残月 ―― 火鼠の皮衣
庭の柿の実が、少しずつ大きくなっていく。
「食べ頃は、まだ先かぁ」
葉と葉の間からのぞかせる青い実を見て、待ち遠しく思う弥子であった。蚕になった父は、最近、引きこもりがち。山に住む村の人たちが拉致されていた寺院の工房に転がっていた「蓬莱の玉の枝」の偽物を入手した。
しかし蓬莱の玉の枝を前にして、頭を悩ませている。ここには実験器具もない、体も蚕なので、ただただ触ったり、登ったり、舐めたりしているだけ。
「姫さま、あのー、宮中から文が届いております」
「また? これで何通目よ」
御簾の隙間からしぶしぶ受け取り、見もせずに腕に掛けている花摘みの籠に押し込んだ。
「どうせ帝でしょう。こんなもの誰が読むか」
工房の一件から、弥子は帝の誘いを無視していた。帝は五人の貴族のプロポーズ対策に協力するふりをして、実は反逆者の排除に上手く自分を利用しただけ。
釣殿でのもてなしも、目的のためにやったこと。ここは平安時代。貴族は女遊びも激しいと聞く。帝の愛の告白のような言葉も仕草も全ては単なる遊びではないかと、疑っていた。
「源氏物語の帝は浮気を繰り返していたじゃない。宮中には、女の人がたくさんいるわけでしょう。もうハーレム状態じゃない。絶対、楽しんでいるに決まってる。何が皇后よ。あやうく騙されるところだった」
菜園で花を摘みながら、ひたすら文句を呟いていた。
「姫さま、大変でございます」
下女が慌てふためいて離れの庭に駆け込んできた。
「今度は何?」
「右大臣さまの使いの者が、姫さまにお目見えしたいと申しておられます」
その名を聞いて、三番目の貴族の登場か、と思った。休憩室へ入り、難題を書き連ねた紙を棚から取り出して、広げた。
「火鼠の皮衣……」
「如何いたしましょう」
「会いたくないから、帰ってもらって」
「ですが、翁さまが腰を抜かすようなお相手です。お断りして大丈夫でしょうか」
「大丈夫でしょ」
下女の走り去る足音が聞こえなくなってから、御簾の外をチラッと覗いた。
(右大臣って……確か、お雛さまの七段に飾られているおじいさん、じゃなかった?)
弥子は眉根を寄せた。
「ねえ、お父さん。右大臣って、偉い人?」
蓬莱の玉の枝の上から蚕が振り返る。
「現代でいうなら、副総理や財務大臣、官房長官あたりかな。総理大臣の次に物言える立場だろ」
「副総理や財務大臣、官房長官ねぇ。この時代の政治家は帝みたいに若い人が多いの?」
「どうだろう。若い者はいるかもしれんが、帝の周りを固めている政治家は年寄りが多いかもしれんな」
「あとで、翁が何かいってくるだろうから、その時、聞いてみよう」
予想した通り、弥子の離れへ翁が急いでやってきた。腰抜かしたんじゃなかったの? 弥子は少し笑いそうになった。
「かぐや、今度のお相手は朝廷の重鎮、右大臣です。もしこの縁談を断れば、うちはどんな目に合うか分かりませぬ。商売も……嫌がらせを受けて、絹糸を売ることもできないやもしれん」
弥子は御簾越しに翁をじっと見つめた。
「嫌がらせされたら訴えればいいじゃない」
「恐ろしいことをおっしゃらないでください。私は不敬罪で捕らえられ、屋敷は取り潰しになるでしょう。かぐやは私に死ねとおっしゃるのか」
翁のワンパータンの泣きまねも、弥子には滑稽に映るだけ。
「重鎮ということは、右大臣は私より、ずっと年上じゃないの。そんな相手と結婚しろって言うの?」
「それは……。ですが、右大臣は財力もお持ちの方。立派な屋敷に豪華な着物、末永く、贅沢に暮らせます」
貧しくても慎ましく暮らしていた男は、うまい汁を吸い続けたあまり、すっかり金の亡者と化したようだ。
「お金じゃないのよ。お金で愛は買えないの!」
「かぐやは、私のような年寄りは、もはや死んでもいたしかたない、そう申されるのですね。どれほど私が、あなたを大切に思っているか分かっておられない」
すがるように泣く翁を見て、弥子は大きな溜息をついた。
「分かりました。そこまで言うなら、次に大臣の使いの者が来たら――」




