小望月 ―― かよ
しばらくして都に戻った随身が薬師を連れて戻ってきた。大急ぎで連れてこられたのだろうか。薬師は、地に足を着けた途端、胸に抱えていた薬籠を道へ置き、よろよろしながら草場の陰へ行く。馬に酔ったのか、消化しきれない朝餉を吐いていた。涙目の薬師に対し、容赦ない惟光。
「さっさと診よ」
惟光にせかされ、薬師が弥子たちのいる川辺へ降りてきた。薬師が傍にくると、独特の薬草の匂いがした。地味で単調な色目の狩衣を纏い、頭巾を被っている。薬師は、子供の手首に自分の手を置いて脈を測ったあと、顔色、舌の色、首の辺りを調べると診断を下した。
「見たところ、擦り傷がある程度。少し、痩せてはおるが、心配はないでしょう」
帝の手配した医者なら、宮中から来ているはず。それなりに有能だよね、多分。医者が大丈夫と言ったんだから、疫病の疑いはなくなった。惟光も、もう子供を見捨てる理由がなくなった。弥子は、診察を終え、川で手を洗う薬師に頭を下げた。
「先生、どうもありがとうございました」
弥子が薬師に礼を言うのを聞いた惟光は、少し驚いた。
(丁寧な言葉遣い? しかも薬師相手に?)
ほっとした弥子は子供の手を引いて川辺の大きな石に腰を下ろし、隣に子供を座らせた。
帝と惟光は、弥子たちの会話が聞こえる程度の離れたところに立っている。帝は弥子の側に行きたかったが、「子供が怖がるから、みんな離れてて」と弥子に追い払われた。仕方ないので、惟光や随身と一緒に二人の様子を見守るしかなかった。
「お腹空いてない?」
弥子が優しく聞くと、子供は黙って頷いた。
「この子に何か食べ物をわけてあげて」
背後に控える随身が果物や餅を差し出すと、よほどお腹を空かせていたらしい。ものすごい勢いで食べている。弥子は竹筒に入った水を飲ませてやった。
「慌てないで、ゆっくり食べて。誰も取らないから」
(子供には随分、優しいのだな。礼儀作法を知らぬかと思っておったが、薬師には礼を尽くしておった。この方は、まこと理解しがたい。敬うお相手が違うのではないか)
惟光は心の中で呟いた。
「……これ、持って帰ってもいい?」
「もちろん、いいよ。ねぇ、名前教えてくれる?」
「かよ」
「かよちゃん。可愛い名前だね。いくつ?」
「六つ」
「どこの村の者だ」
惟光がなんの感情もない声で訪ねると、弥子が振り返って睨みつけた。
「こんな小さな子供相手に威圧的な聞き方しないで。大丈夫、あの人たち、全然怖くないからね。そうだ、果物、たくさんあると重いし、お姉さんが、一緒に行ってあげようか」
「お姉ちゃん? お兄ちゃん?」
後ろでくつくつと笑い声が漏れる。
弥子は着ている男物の小袖を見て、苦笑いする。
「本当は、お姉さんなんだけど、内緒ね」
「うん」
「おうちはどこかな?」
「山のずっと向こう。かよ、逃げてきたの。怖い人がいっぱい来て、みんな連れていかれたの。かよは、姉ちゃんが逃がしてくれたの」
帝と惟光は顔を見合わせた。人さらいは大罪である。これはただ事ではない。同時に帝も惟光も嫌な予感がした。
「主上、この辺りに賊が潜んでいるやもしれませぬ。弥子さまと都へお戻りに」
「帰らないわ。私は、かよちゃんを送っていく」
「だめ、行ったらお姉ちゃんも捕まっちゃう」
不安な顔で弥子にすがるかよを見て、弥子は優しく背中を撫でてやった。
「大丈夫、お姉ちゃんはすーごく強いから」
「ならぬっ」
帝の鋭く刺すような声に弥子はドキッとした。威圧的で怒りを目に滾らせて弥子を睨んでいる。
「断じて許さぬ」
怒らせたら本当に怖い人なんだ。弥子はごくりと唾を呑んだ。
「でも」
「ここにおる者たちは、私の手足となって動く者。この者たちに様子を見に行かせるゆえ、安心して待っておればよい」
「じゃあ、かよちゃんは」
「事態をつかむまでは、屋敷で面倒を見てやる。この子供も、私の大切な民だからのう。心配ならそなたも来るがよい」
「それなら、うちに連れて帰って面倒を見るわ」
「ほう……。下女のそなたが? かぐやならまだ分かるが」
「姫さまは分かってくれる」
「あの屋敷は、翁が主。ならば、一緒に屋敷まで行って翁に確かめてみるか。そなたはなぜかいつも塀を越えて出入りしておる。大事になるのではないか?」
(きーっ、むかつく。分かってて言ってるよね、絶対。弥子は拳を握った。殴って記憶消してやろうか)
「分かったわよ。じゃあ、その子をお願い」
「分かればよい」
帝は扇を閉じるとくるりと背を向けた。
(弥子が子供を連れ帰ったら、村の場所を聞き出すやもしれぬ。一人で村に押しかけることも考えうる。そのくらいのことは、やりかねん。そのような危険な真似など、させられるものか)
二人の随身が、山の向こうの村を目指し馬を走らせた。土ぼこりを上げ、消えていく後ろ姿を見送りながら弥子が尋ねた。
「村は特定できるの?」
「言ったはず。あの者たちは、私の手足となって動く、選りすぐりの臣下。明日には、知らせが入るであろう」
かよは惟光に乗せてもらっている。随身の乗った馬が前後に着き、辺りを警戒しながら馬を歩ませる。
(この山のどこかにまだ賊が潜んでいるかもしれない)
弥子は遠くの山を見て溜息をついた。




