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更待月 ―― 納涼会

 車寄せで牛車が止まった。深い紺色の五衣(いつつぎぬ)を纏った女官が牛車の側までくると、弥子の手を取り、降りるのを手伝った。


 異国の姫をも思わせる姿に、思わず声を上げそうになり、自分の口を手で塞ぐ者や矛を落として慌てて拾う者がいる。かぐや姫の、神々しく、輝く姿は見る者全てを魅了した。白桃色の衣装が後光のように眩しい。


 弥子は、釣殿へ向かう廊下を歩く間、ずっと誰かの視線を感じていた。

 神の子と噂される姫がいったいどんな姿で現れるのか、皆興味津々で少し離れた廊下からちらちらと様子を伺ったり、わざわざ遠回りをして、かぐや姫の通る道に残る、甘く爽やかな残り香を胸いっぱい吸う蔵人までいる始末だ。


 今夜の弥子のファッションは、平安時代では考えられない装いだった。胸を隠すための下着を身に着け、その上から何枚も重ねた薄絹。夜会巻にした髪に枝かんざしの百日紅(さるすべり)の花が揺れている。さらに透けた薄絹を頭からベールのように被り、薄い桃色の透けたフェイスベールで顔を隠す。大きな目だけは隠せないので、うつむき加減に歩いた。


 ここまで徹底して露出を控えたのは、以前、男装で宮中に来て、ちょっと騒ぎを起こしてしまったので、同一人物であることを隠すための苦肉の策である。


(とにかく、随身とは目を合わせないようにしないと……。帝と惟光には絶対会いたくない。まあ今夜は女子会だから、大丈夫だよね)


 貴族たちの屋敷の庭には大きな池がある。魚を釣ったり、舟遊びをしたり、歌を詠んだりと夏でも宴を楽しむため、工夫を凝らしているのだ。

大きな池の畔に建てられた立派な釣殿が見える。池に向かって伸びる檜の廊下を歩くと、開放的な板の間に案内された。三方に広がる池に映る月が朧げに波を打っている。


 弥子は首を傾げた。

 今夜は格式のある貴族の姫君たちを招待しての女子会だと聞いていた。それなのに板敷きの広い釣殿に畳が二枚、琴を挟んで向かい合うように敷かれている。


「こちらでしばしお待ちを」


 言われるまま、奥の畳に正座した。もしかして女子会ではなく、西の宮と二人で会うことになるのだろうか。やれやれ、それならそうと言ってくれたらいいのに。女官が出ていくと人の気配がなくなった。一人ぽつんと畳の上に置き去りにされた弥子は、周囲を見渡した。脇に置かれた灯台の揺らめきが、琴や高杯の菓子、果物に映り、虚ろな影を作っている。


「宮さまが余興で弾いてくれるのかな」


 金製の器に浮かべた蓮の花、金の蒔絵が施された黒漆の台に設置された琴。随分派手な演出だな、と思っていたところに廊下から人の気配を感じ、視線を向けた。


「今宵は月が美しい。しかし、そなたの美しさには叶わぬようだ」


 月に照らされて眩しい微笑みを見せているのは、他でもない、帝だ。弥子は思わず立ち上がってしまった。


「なっ」


 惟光までいる。逃げ場のない釣殿、御簾もない、まずいって。ばれちゃう。弥子はベールを深く被り、顔を見られないように俯いた。


「なぜ、帝が。宮さまは……」


「西の宮は知らぬ。ここは私の庭だ」


 騙された、弥子は思わず、帝を見上げた。


「だ、騙したのね。女子会だって言うから来たのに」


「策を講じたまで」


 悪びれる様子もない帝の表情に弥子は溜息をついた。横暴なやつ、と心の中で毒を吐く。弥子の不機嫌な表情はフェイスベールをしていても帝には伝わっていた。


「そう怒るでない。今宵の宴の主催者は私だ。客人をもてなすゆえ、楽しまれよ」


 なだめるように言うと、帝は弥子の手を取り、座らせた。自分も向かいの畳へ座り、琴の弦を撫でるように爪弾いて音を確かめる。


「気高きそなたに私からの贈り物だ。しかと受け止めよ」


 静けさの中、帝が奏でる音は力強く、情熱的で、夜空を駆け巡る神話の世界と重なって、弥子の心に深く刻まれていった。



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