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更待月 ―― 昼下がりの休憩室で

 内裏から戻った翌日、一仕事を終えた蚕と弥子は、湯殿に隣接する休憩室で一枚の紙を挟んで向かい合っていた。そこには五人の貴族を撃退するための無理難題が、書き連ねられている。


「……私に聞けばよかったのに。これを書かせたせいで、借りを作ってしまったんだぞ。また呼び出されたらどうする」


 父が不満気にぼやくと、またお説教が始まったと言わんばかりに弥子は、ごろりと横になった。紙を手に取り、天井に向けてかざすようにして眺める。


「だったらあの場でそう言ってよ。お父さん、ずーっと気絶してたじゃない」


 ぐうの音も出ない蚕は、「めんぼくない」と項垂れた。弥子は帝の筆跡をじっと見つめていたが、ふと疑問を抱いた。


「ところでお父さん。どうしてそんなに『竹取物語』に詳しいの? 専門外でしょ」


 カチッ。月野海のスイッチが入った。こう見えて彼は大学教授であり、現役の学者でもある。今は、平安の世で特殊な能力を持つ蚕の姿をしているが……。


「実はな、あの物語には、私の研究魂に火をつける描写があるんだ」


「へぇ……」


「不老不死の薬だ」


 弥子は体を起こし、胡坐をかいた。そして身を乗り出す。


「面白そう」


 父は、目を丸くした。普段は、科学や研究の話をすると「もういいから、はいはい」と受け流されるのに、珍しく興味津々に目を輝かせている。嬉しくて飛び跳ねた。


「聞いてくれ。物語の結末に、姫を失って傷心した帝が家来に命令するんだよ。高い山で姫からもらった不死の薬を焼けと。そこから、その山は不死と呼ばれるようになった。それが今の富士山だ。富士山には様々な謎と伝説があって、死者の国、死者がよみがえる地とも呼ばれている。今でも活火山で、日本を象徴する山でもある富士山と竹取物語、不老不死の薬、話を聞くだけで興奮するだろ。考えるだけでわくわくしてこないか」


 興奮しているのは父だけであった。弥子は父がなぜそこまで興奮出来るのか分からずに、ぼんやり眺めている。


「何の根拠もない、ただの伝説でしょう」


「これは単なる伝説ではない」


 蚕がぴょんぴょん飛び跳ねる。 


「この物語にはおかしな矛盾点がたくさん隠れているんだ。つまり、あれは不老不死というより万能薬なんだ。それを作るための暗号かヒントがあるはずだ、と」


 父は走り出したら止まらない、暴走機関車のごとく、まくし立てる。学校で教壇に立つ父も、きっとこんな感じなのだろう。弥子は大きな欠伸をした。


「まず調べたいのが、かぐや姫が難題として出した、贈り物だ。貴族の誰かが持ってくる偽物の中に特殊な成分が含まれているのかもしれない。考えられるのが、隕石だ。いいか弥子、隕石には地球外物質がたくさん含まれている。非タンパク質構成アミノ酸、ケイ酸塩鉱物、ナノダイヤモンド……」


 熱弁を振るう父の顔を見上げているうちに、弥子のまぶたはだんだんと重くなってきた。蚕の口から出る言葉が、心地よい子守唄のように響いていく。


 眠ってはいけない、何度も瞬きをしてみたが、限界が近づいている。コクリと首を垂れた。胡坐をかいたまま、意識は急速に深海へと沈んでいく。


「……つまり、宇宙こそが不老不死の源で……百三十八億年前誕生した、……我々生命体を作り出した……」


 父は語るのをやめ、目の前でうとうとと首を揺らしている弥子の顔を覗き込んだ。そして、もぞもぞと彼女の傍へと這い寄ると、弥子の指先を軽く噛んだ。


「いたっ!」


 びっくりした弥子は反射的にぶんっと腕を振った。その勢いに弾き飛ばされた蚕は、ヒュンと空を切って、天井へぺたりと張り付く。数秒の沈黙の後、蚕は重力に従うようにぽとりと落ちてくると、畳の上で二度ほど跳ね、無防備な腹を見せて転がった。


「ごめん。ちょっと退屈で……」


 掌の中で、蚕はちんまりと身体を丸め、どこか呆れたような仕草を見せる。


「ったく、私の娘だとは思えないな。学問に対する敬意というものが微塵も感じられん」


 不服そうにする父を見て、弥子は機嫌を取ろうと、軽く手を叩いた。


「そうだ、お茶にしよう。帝にもらったお菓子食べようよ。この時代も小豆があるから、もしかしてねりきりかな」


 わくわくしながら蒔絵が施された小ぶりの重箱の蓋を開けると、茶色く揚げられた梅の形の菓子が上品に並べられていた。表面は油が酸化して少し黒ずんでいる。


 弥子と蚕は顔を見合わせた。


「これはおそらく、唐菓子だな。確か、米粉、小麦粉などを水で練り、成形したものを油で揚げたもので、貴族の儀式に用いられる加工食品だったと記憶しているが……」


 父の説明を聞いた後、とりあえず食べてみることにした。ほんの少しちぎって蚕の前にも置いてやった。口にした瞬間、弥子の眉間にしわが寄る。


「正直、あんまり……好きじゃないかも。……油臭い」


「そうだな」


「惟光が勿体ぶってくれたけど、これのどこが最高級のお菓子なのか分かんない。捨てるわけにもいかないし。どうにか美味しく食べる方法はないかな」


 弥子と蚕は重箱を見つめた。何か閃いたのか、弥子は手をポンと叩いた。

 

「そうだ、あれに漬けてみる?」


 弥子は立ち上がり、いそいそと棚に並ぶ壺を二つ取り出した。機嫌よく重箱の菓子を移し、上からたっぷりの蜂蜜を注ぐ。さらに柚子の皮を大量に切って入れ、壺を軽く揺らす。

 菓子全体に蜂蜜が浸かったのを確認して蓋をし、壺を棚に並べた。

 そして呪文をかけるように、指でなぞり、小さく呟いた。


「美味しくなーれ」



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