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有明月 ―― 五つの難題

「惟光、私がこの者を寝所に連れ込んだこと、皆がどのように思ったか申してみよ」


 帝の問いに、惟光の心臓が大きく跳ねる。どう見ても帝はこのあやかしに心を奪われている。だがしかし、本音を口にすれば、帝の機嫌を損ねるに違いない。惟光は背中に冷たいものを感じた。額を床に押し付けたまま、努めて平静を装い、絞り出すように口を開く。


「……臣下どもは皆、主上の並々ならぬご寵愛を拝し、ただただその……あやかし、いえ、少年の健気な姿に、いかなるお心を見出されたのかと、畏怖とともに推測いたしております」


 帝は薄く笑った。弥子の後れ毛を指で弄びながら、その視線は再び惟光へと向けられる。逃げ場のない視線に、惟光の呼吸はさらに浅くなった。


「ならば、そのように思わせておけばよい」


 その言葉は、帝が少年を寵愛しているという噂を、公然と認めたに等しかった。寝所に漂う空気が、一層重く濃くなる。


「ちょっと、今のどういう意味?」


 帝は惟光の驚愕を愉しむように、弥子の背後に回した腕をさらに強く締め上げた。


「間違ったことは申しておらん。そなたは私の宝だ。それにしてもそなた……爽やかな花の香りがする。これは何の香りだ」


「いい加減にしてよ、もうっ」


 弥子の叫びとともに、鈍い音が寝所に響く。弥子が帝を突き飛ばした。

 帝は不意を突かれたように数歩よろめき、その優雅な着物の襟元を少しだけ崩した。寝所が凍りついたかのような静寂に包まれる。


 惟光は息を呑み、心臓が口から飛び出るほどの衝撃を受けた。――主君である帝を押し退けるなど、あってはならない不敬。死罪にも等しいその行為に惟光はもう我慢が出来なかった。


「無礼者っ」


 惟光が怒号とともに立ち上がった。平伏していた冷静沈着な姿は消え、そこにあるのは主君を害されたことへの憤怒と、取り返しのつかない事態への焦燥だった。

 だが、その声は帝によって即座に遮られた。惟光は困惑した。なぜ、このような無礼な振る舞いをする者を笑って許しているのか。


「面白い娘だと思わぬか。この娘、どこの者だと思う?」


 帝の問いかけに、惟光は顔をひきつらせた。


「……存じ上げませぬ」


 惟光が低く答えると、帝はさらに愉悦に顔を歪めた。


「さる、姫がそれは大切にしている娘だ」


 惟光の目が見開かれる。


(帝はこれまで皇族の姫君になんの興味も示さなかった。望めばいくらでも女たちは喜んでお仕えするのに、すべて遠ざけてしまわれる。


 それもこれも、あの忌まわしい事件のせいだ。あれ以来、乳母どころか女房すら置かない。


 その帝が、唯一、興味を示された姫がいる。世俗離れした、美しき神の子、黄金の姫と噂される、竹取の姫だ。その姫君が大切にしているだと? やはりこの者はあやかしに違いない。帝も竹取の姫もこのあやかしに、かどわかされておられるのだ。どうすれば、よいものか)


 惟光は、額に汗をかき、唇を噛みしめながら、ただ深く顔を伏せるしかなかった。


「私はただの下女です」


 弥子は、はっきりとした声で言い放った。しかし、帝は、彼女の首筋から漂う花の香りに、ますます目を細めた。


「ならばなぜ、そなたからそれほどにいい香りがする。姫に可愛がられている証拠ではないか」


 帝に痛いところを突かれた途端、弥子は慌てて言い訳を考えるが、その苦しさに言葉がすらすら出てこない。


「これは、シャンプー……えーっと姫君が配合した髪を洗う薬で……」


 シャンプー。聞いたこともない響きに、それが竹取の姫の秘められた技術の一端であると瞬時に悟り、帝は驚きと感心を含めたような笑みを零した。


「姫が自ら配合した薬を、下女の髪に用いるとはな。……なるほど、竹取の姫にとってそなたがどれほどの存在か、よく分かった」


「分けてもらっただけで、そーゆんじゃなくて……」


 弥子の精一杯の言い訳は、もはや帝の耳には届いていなかった。


「姫はそなたを信頼しておるとみた。ならば私もそなたに託そう。私の言の葉を持ち帰り、姫に伝え申せ」


 惟光は、額を擦り付けたまま勇気を振り絞った。


「恐れながら申し上げます。そのような下女に帝が直々に御言を賜らずとも、この惟光にご命令していただけましたならよろしいかと」


「私はこの娘が気に入ったと申したはずだ。この者はとても面白いからな。退屈せん」


 帝の傲慢な断言に対し、惟光は凍りついた。


(立場をわかっておいでか。皇族の姫君ならまだしも、庶民の、さらに男の格好をするような女を側に置くなど由々しき事態)


 だが、その静寂を切り裂いたのは、弥子の声だった。


「さっきから黙って聞いていれば好き勝手なことを。ひとのことなんだと思っているのよ」


 寝所が音を立てて冷え込むのを感じた。惟光は、心臓が止まるかと思った。今の言葉は、天子である帝に対する明確な反逆である。

 帝が寛大なのをいいことに、無礼な態度。まこと許しがたい。屋敷に帰る道中で、始末するしかないようだ。惟光は盗み見るように視線だけを上げ、下女の顔を見てハッとした。


 人をかどわかす美しさ、そして誰にも屈しないこの態度。

 世にも名高い姫君は神の子とも噂される。宴の日、竹取の供の者が車寄せで騒いでおったと聞く。お連れしたはずの姫君が煙のように消えてしまったと。さきほどの奇妙な動きも神の子であればなんの不思議もない。


 そうか、そういうことか。帝の考えていることがようやくわかった。


 この娘が姫なのだ。そう思った途端、惟光の中ですべて繋がった。


(帝は確信しているのだ、この娘が姫であることを。だが帝はあえて気付いていないふりをしている、ならば、この惟光も帝のお心のままにいたしましょう。自分も見て見ぬふりを貫き、姫の正体を決して暴かれぬようにしなければ)


「まもなく、石作が姫の屋敷に参るであろう。追い返すことが出来なければ、石作に、天竺にあるといわれる『仏の御石の鉢』を持ってくるように申すがよい」


 弥子は首を傾げた。顎に指を添え、目を閉じて、記憶の片隅にある「竹取物語」を辿る。


(確か姫は、しつこく言い寄る五人の貴族に無理難題を突きつけたはず。その難題が何だったかまでは覚えていないのよね。だったらここは)


「その提案、乗った。まずは仏の御石の鉢ね。それで、あとの四人には何を持ってくるようにいうんだっけ。紙に書いてくれない? しかしほんと、まんま竹取物語なのね。次から次から押しかけて来る男と対峙するとか、まじでめんどくさい」


 帝は目を見開いた。惟光もまた、床に額を擦り付けたまま呼吸が止まるほどの驚愕を覚えた。


(まさか――姫は、すべてを見通しておるのか。宴に姫はおらなんだ。いかにして、あの座にいたかのように申す)


 帝は、神からお告げを承ったかのような感銘と驚きに心を震わせた。


(これは私への、神から贈られし娘だ。誰にも渡さぬ)


 また、惟光も、我が主君こそが、賢く美しい神の子に最も相応しい、と深く胸に刻んだ。


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