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有明月 ―― あやかし

 惟光は口をぽかーんと開けたまま、弥子を見ている。


(女だと? では、なぜ、あのような男の姿をしておる。もしや、あの者はあやかしか)


「主上」


「おお、なんと」


 惟光の声は帝の声にかき消された。さらに惟光は帝の態度にも困惑した。帝が嬉しそうに御帳台から降りてきて、弥子の前に立ったからだ。


「まことにそなたは面白い。さすが塀を越えるだけはある」


「近寄らないで。それ以上近寄ったら痛い目にあうわよ」


 弥子は腕を下し、足を肩幅に開くと息を整える。彼女の空手は型である。実践向きではないが、威嚇するくらいにはなるだろう。瞬時に体を横に半回転、右腕を腰の位置に、左腕は拳を額の前に構えた。


(帝がこの世界で一番偉いことは分かる。抵抗したら殺されるかもしれない。でもだからって、はいそうですか、ご自由に頂いてください、なんて絶対無理だから)


「安心せよ、そなたを傷つけようなどとは思っておらん」


「は? どこがよ。意味不明。前にも言ったけど、なんでも自分の思い通りに行くと思わないでね。これだから貴族は嫌いよ」


「そう、申すな。とにかく落ち着かれよ」


 惟光は口をぱくぱくさせている。目の前で起きていることに頭がついていかない。


(怖いもの知らずなのか、ここがどこかも、口の利き方も知らぬとは。いや、やはり、あの者は人間の姿をしたあやかしに違いない)


「主上、なりませぬ。早くこちらへお退きを」


 惟光を無視して帝はどんどん弥子との距離を詰めていく。帝は興奮していた。この娘が欲しいと、切に願うほど。しかし冷静を装わなくてならなかった。無理強いはしたくない。それがどれほど嫌悪感を募らせるか、痛いほど自分自身が分かっていたからだ。


「娘、名は?」


(誰が教えるか)


 弥子は口を噤んだまま、瞳に怒りを滾らせていた。


「そんな気の強いところばかり見せていると、いつか本当に斬り殺されてしまうぞ。……外の随身たちも、惟光も、皆そなたの首を()ねることを何とも思わぬ者ばかりだ」


「気が強くて悪かったわね。あなたがここに私を連れてくるからでしょう。いいから離れてよ」


 帝は一瞬、きょとんとした顔をした後、腹の底から楽しげな笑い声をあげた。静かな清涼殿に響き渡る笑い声を耳にした者は驚きと恐怖を感じた。その光景を目の当たりにした惟光も信じられず、動揺した。


「……はははっ。なるほど、私を責めるか。恐れ入った」


 帝は弥子の腰に片腕を回すと引き寄せた。指先で顎をすくい上げ、強制的にその瞳を自分に向けさせる。弥子は息が止まりそうになった。


(この顔で迫るのは無しだよ。腹が立つのにドキドキして、それが悔しい。しっかりしなさい)


 弥子は流されないよう自分に言い聞かせた。


「帝、私に何か用事があったんじゃないの」


「おお……そうであった。すっかり忘れておったわ」


 帝は冗談めかした口調でそう言い放つと、側に控える蔵人頭に顔を向けた。


「惟光」


 帝の低い呼声に応え、惟光は慌てて膝を着き、視線を極限まで下げ、平伏した。


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