有明月 ―― 蔵人頭惟光
「帝はどちらに」
「寝所でございます」
惟光は即座に踵を返し、廊下へ踏み出した。普段は音一つ立てず歩く彼が、焦りを隠さず足早に歩を進める。すれ違う女官たちが思わず道を空けるほど、惟光は猛進するように清涼殿の奥深く、夜御殿の寝所へ急いだ。
沈香の甘味、酸味、苦味、辛味が複雑に入り交じった奥深い香りで満たされた帝の寝所。ステージのような高さに設置された御帳台。いつもは静かな部屋も今は異様な雰囲気に包まれていた。御帳台の下に膝を着くと、惟光は身を低くして声をかける。
「惟光が参りました」
微かな衣擦れの音と、弥子の抗う声が御簾越しに漏れ聞こえてくる。
「じっとしておれ」
「痛いってば」
「痛むか」
「いいから早くしてよ」
「そう暴れるでない」
どこか楽しんでいるような帝の声に、惟光の心臓は、いつになく、激しく波打っていた。
(……もしや今、少年を縛り上げ、無防備な姿を弄んでいるのではあるまいか。普段は高潔な主君が、あろうことか寝所へ連れ込んだ少年を組み伏せ、あられもない姿にして辱める――)
脳裏に浮かぶ禁断の光景に彼は顔を赤らめていた。
(私の主君はいったい、何をされておるのだ)
「……恐れながら申し上げます! 中のご様子が……いえ、外の騒ぎが大きくなっております。どうか、何卒!」
惟光は震える声で叫んだ。帝の尊厳がこれ以上損なわれるような事態だけは、何としても防がなければならない。
「邪魔するでない」
帝はそう言い捨てると、弥子の両手を縛っていた手巾をほどいてやった。手首には薄っすらと赤い跡が残っている。弥子は自由になった途端、部屋を観察した。大量の布と御簾に囲まれた小部屋、敷き詰められたふかふかの布。
「これって、もしかしてベッド?」
(この狭い空間で男と女が二人でいるって、やばくない?)
抜け出すには御簾を持ち上げて出るしかない。弥子は前転し、御簾の裾を掴むと隙間から艶やかに外へ飛び出した。そして立ち上がると高座から床に向かって飛んだ――
着地したかと思ったら今度は、手をついて一回転してみせた。最後に両手を広げてポーズを取る。
自分の頭の上を通り過ぎ、軽やかに飛ぶ弥子の姿に驚きを隠せず、惟光は腰を抜かした。
振り返った弥子は胸の辺りを軽く払った後、腰に手を置いた。
「か弱い女の子を槍で脅して縛って、寝室に連れ込むとか、それ犯罪だからっ」




