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有明月 ―― 宮中

 明け方の静寂を打ち破り、内裏の門に馬の蹄の音が激しく響き渡る。


 門番たちは石像のように凍りついた。帝が自ら手綱を引く馬の背に、貧しい身なりの少年の姿がある。まさか馬上のまま内裏の門を叩くなど、前代未聞のことであり、かつ、これまで一度もなかったことだ。


 帝は手綱を引いたまま、「開けよ」と命じる。門番たちは顔を見合わせ、驚きを隠せなかったが、帝の絶対的な威光の前に抗う術は持たず、無言で重厚な門を押し開いた。


 本来ならば馬から降り、歩むべきところ、帝は乗ったまま強引に突き進む。静寂に包まれた内裏の白砂を容赦なく踏みしめた。


 帝は殿舎へ続く石段の際まで馬を寄せ、ようやく手綱を引いて止める。

 背後で門が重々しく閉ざされると、帝は馬上で身を乗り出し、弥子を軽々と地面へと下ろした。砂利の庭に降り立った弥子は、閉ざされたばかりの門を振り返り、言葉を失う。


「やばい。絶対やばいところだ、これ」


 弥子は小さく呟くと、袂に潜んでいた蚕がもぞもぞと這い出てきた。そして袖口から恐る恐る外の様子を覗き見る。


「ひゃーっ」


 蚕はそのまま気絶し、ぽろり、と袂の深いところへ転がり落ちていった。


 弥子は周囲を見渡した。竹取の屋敷とは全く構造の違う高い塀に息を呑む。白く塗り固められた壁面は、指をかける隙間もなければ、足をかける窪みもない。塀の屋根には瓦が重苦しく並び、威圧感すら感じる。


「さすがのそなたも塀を越えるのは無理であろう。ここには足掛けになる木もないゆえ。帰りたければ門をくぐるしかないぞ」


 帝が耳元で囁くと、弥子は弾かれたように飛びのいた。額に汗が滲む。


(落ち着け、落ち着け、私。考えるのよ)

胸に手を置いて息を吐く。


(門まで走る? 足には自信がある。でも、刀を持った男たちがわらわらと出てきそうだし、そこら中から視線も感じるし……)


「私が帰れないとでも思う?」


 それでも弥子は強気の姿勢を崩さない。彼女の視線が門へ向く。


(走って、門の前で大騒ぎする。門番たちが中の様子を気にして門を少しでも開けたら……そこから飛び出して猛ダッシュ! 名付けて『天岩戸作戦』)


 弥子はごくりと唾を呑んだ。


 そんな弥子の思考など筒抜けであるかのように、帝は愉悦を滲ませた笑みを浮かべる。


(何こいつ。面白がってない? 帝がそんなに偉いわけ?)


 心の中で毒づき、弥子は帝を睨みつけた。


「帝に対して不敬であるぞ」


 どこに潜んでいたのか、影のように動く随身たちが瞬く間に弥子を取り囲んだ。硬質な金属音、砂利の踏みしめる音、鋭い矛の穂先が弥子の退路をすべて塞ぐ。


(さすがにまずい状況かも。お父さん、気絶している場合じゃないよ)


 弥子は息をのんだ。


(どうする……。あの変な槍を奪って戦う? 竹刀より長いけど、扱えるかな。いやその前に、動いたら刺されるかも……うーん)


 そうこう考えている間も、随身がじりじりと間合いを詰めてくる。


「やめよ。この者は私の客ぞ。無礼は許さん」


 帝の一言で随身たちが数歩下がり、距離を取る。それでもまだ矛は向いたままだ。帝は随身の間を割って入り、懐からさらりと絹の手巾を取り出した。弥子の両手首を優しく、しかし決して逃がさぬ力強さで包み込むと、帝はそのまま手際よく手巾の端を交差させ、弥子の両手を縛り上げる。


「えっ……」


 弥子の声が上がるよりも早く、帝は弥子の腰に腕を回すと、まるで軽い荷物でも扱うかのようにひょいと肩に担ぎ上げた。逆さまに近い視界で、宮中の砂利道や、随身たちの足袋の先が通り過ぎていく。


「な、何すんのよ! 降ろして! ちょっと」


 弥子は肩の上で身をよじり、必死に抵抗を試みる。縛られて担がれている、行先はまさか牢屋? なんの罪で? 槍持った人たちが不敬だって言っていた。


「どこに連れていく気ーっ、ねぇーったら」


 弥子の叫びは宮中に響き渡り、騒ぎになった。随身に矛で囲まれていたところを見た女官たちが扇の陰から覗き見、ひそひそと囁き合う。退屈な宮中、噂の種はあっという間に花開く。


「帝が男の子を連れ帰ったそうだ」

「可哀そうに、これから処罰されるそうよ」

「あら、とても美しい少年だとききましたわ」

「寵愛を受ける美少年、どこかの物語にございませんでした?」

「女房をおそばに置かないはずですわね」


 声が風に乗って蔵人頭惟光の耳にも届く。


「こんなに朝の早いうちからいったい何の騒ぎだ」


 帝の側近として、日々の政務から身の回りの雑事に至るまでを采配する、いわば宮中の執事とも言うべき人物だ。


 惟光は、低く、しかし鋭い声で女官たちの囁きを遮った。


「噂話はやめよ。不敬に値するぞ」


 その言葉には、ただの執事としての注意以上の、隠しきれない動揺が混じっていた。女官たちは惟光のただならぬ気迫に圧倒され、蜘蛛の子を散らすようにその場から立ち去っていく。




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