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弓張月 ―― 五人の貴族

 (なんと強気な。この宴の場にこのような歌を送ってくるとは)


 先日、川辺で遭遇した娘――同じ人物と考えて間違いないと、帝は確信した。

 娘の面影が鮮やかに浮かび上がる。


(竹を手に凛とした瞳を向け「かかってきなさい」などと申して私を驚かせるばかりか、大口を開けて魚にかぶりついた。極めつけは、屋敷まで送り届けた時、門をくぐるどころか、塀を軽々と飛び越えて消えていった)


 帝は扇の陰で、かすかに口元を歪めた。石作に向けた冷ややかな眼差しには、哀れみと、それ以上の愉悦が混じっている。


(石作、そなたの手には負えん相手ぞ。……それにつけても、この文字の面白さといったらどうだ。高貴な姫君の丸みのある糸を引くような文字とは違い、一文字一文字、はっきりと書かれている。優雅など微塵もない。かといって無知の拙さとも違う)


 この言の葉が持つ不思議な力に引き込まれ、ずっとながめていたいと思った。


「これほど見事な拒絶を突きつけられて、まだ未練があるか。そなたのような男に見せるには惜しい歌だ。これ以上、この文を人目に晒すことはなかろう。私が預かっておく」


 帝は扇をゆっくりと下ろした。その瞳は獲物を追い詰める獣のように静かでありながら、熱を帯びている。


 帝の言葉に、会場は水を打ったような静寂に包まれる。宴の主である石作は、招待した主君に自分の客を完膚なきまでに奪われ、顔から血の気を失ったまま打ち震えることしかできない。


 帝は懐に収めた文の感触を確かめるように、そっと胸元に手を添えた。


「恐れながら申し上げます。姫はおそらく、この宴に参られるつもりだったのです。なれど急な病か、あるいは急用が出来、このような文を届けたに過ぎませぬ。それ故に、返事が遅かった……」


 石作は必死で言い訳を並べ立て、額に滲む冷や汗を拭うことも忘れている。その醜態を冷ややかに眺めていた車持皇子が、薄ら笑いを浮かべて口を挟んだ。


「石作殿、ならば直接確かめてみるがよいのではないか。我らもその姫には大変興味があるのだよ。ただ美しいだけでなく、竹取の翁に莫大な富をもたらしたというその才、皆がこの手に入れたいと願っておる」


 車持皇子は酒杯を回しながら、帝の表情を窺うように続けた。


「どうだ、賭けをせぬか。誰が姫の心を得て、正当に我がものと出来るか。それとも石作殿、姫の御心を得るほどの器量も持ち合わせぬと。……よもや執拗に言い寄る御身を気に食わぬ姫が、この機会に窮地に陥れてやりたいと、冷酷な戯れを仕掛けたのやもしれぬのう」


 会場にざわめきが広がる。

 石作は車持を睨みつけ、畳んだ扇で指した。


「分かり申した。車持皇子殿、そなたこそ後悔するでないぞ」


 帝は扇で口元を隠したまま、氷のような瞳で石作を見下ろしている。その沈黙は、宴のすべての参加者にとって、何よりも恐ろしい拒絶の宣告に等しかった。


(あの娘を賭けに? 『ならぬ』と命ずるのは容易い。だが、それを禁じたところで、欲に駆られた者どもが陰でこっそりと姫のもとへ押し寄せるのは火を見るより明らかだ。ここにいる者たちだけではない。都中の欲深き者どもが、こぞって姫の屋敷の門を叩くことになろう。ならば……)


「石作、車持よ。姫の屋敷へは自由に行くのはよいが、恥をかくやもしれぬぞ。その時はどうするか、分かっておるよのう。……さて、誰が最初に門前払いを食らうのか。見物といこうではないか」


「恐れながら申し上げます」


 中納言石上麻呂足は、広間の床に額を擦りつけるほど深く頭を垂れた。その姿は、貴族としての面目を保ちつつも、誰よりも低く、誰よりも重く屈している。


 かつて石上は、朝廷の古き伝統を重んじる旧家の名門として、その名を一目置かれていた男だった。

 しかし、時代の奔流と権力闘争の陰で、彼の家格は静かに摩耗し、官位を保つだけで、今やかつての栄光は面影のみとなっている。


 だからこそ、彼は姫という「神の如き権威」を手中に収めることで、傾いた家門を再興させ、自らを再び頂点へと押し上げようという、切実な野望を抱いていたのである。


「恐れながら申し上げます。姫は神の子と噂されておる。この世の者とは思えぬ美しさ、そしてあの屋敷のあり様……。ならば、誰が門を叩くべきか、人の思惑で決めるのはあまりに不敬。この順番も、神に決めていただいては如何かと存じます」


 頭を下げたままの石上の声は、床板に吸い込まれるように響いた。その視線は決して上げられることはない。その言葉に込めた熱量だけは、御簾の奥に座る帝まで確かに届いていた。


 一言一句に、「自分を一番に選んでくれ」という卑しい魂胆が透けて見える。広間の貴族たちは、石上のあまりの露骨さに呆れ果て、あるいは冷ややかな視線を浴びせていた。


 帝は、扇の端で口元を隠しながら、その様を愉しげに見下ろした。


(誰が一番であろうと同じこと)


「よいだろう……。誰か、くじを持ってまいれ」


 命を受けた蔵人が慌ただしく動き出す。


 用意された神のお告げの壺。五人は、まさに神頼みしながら折った紙を取り出す。一と書かれた紙を引き当てたのは石作皇子だった。車持皇子、阿部御主人、大伴御行と続き、石上麻呂足の紙には五と書かれてあった。


「神の決めたこと。誰を恨むこともできぬ……。その魂胆、一番無様な形で姫に届くことになりそうだな」


 帝の容赦ない言葉に、石上は言葉を失い、広間の重い空気の中で、ただただ打ちひしがれていた。


 宴の喧騒は波が引くように去り、今は静寂が広がっていた。


 夜空には、欠けた弓のような月が鈍く光を放っている。それは姫を狙う男たちの欲望を映し出すかのように、鋭く、そしてどこか儚げな形をしていた。






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