第41話 正解だけを選ぶ切り捨ての指揮
お前、誰だ?は、ちょっと酷いよね 笑
影が先に伸びてきた。
鏡の壁を滑って増殖した黒が、6人の足元を静かに噛みに来る。
「名を呼ぶな。返事もするな」
ホウジュンの声は短い。
命令ではなく、酸素みたいにそこにある。
ひとりが反射で「了解」と言いかけ、喉ぼとけの奥で言葉を止めた。
瞬間、足下の気配が変わる。
仲間のひとりが「避けろ!」と叫ぶより一瞬早く、ホウジュンは半歩ずれて影の刃を踏み抜き、棍の柄で横合いの影を弾いた。
鏡面にばら撒かれた黒い水のようなそれが、ひと呼吸遅れて引いていく。
「問題ない」
トン。と振り払った棍を肩に担ぐ。
平静に見えるその態度に、仲間の一人が若干の違和感を感じていた。
それから、時折降るホウジュンの、短く舌打ち。眉間に寄る皺。
けれど、的確以上に動くその体と、飛ばしてくる指示。
少しの違和感は、どんどんと蓄積されていった。
別の方向から影。
その到来を知らせる声が、鏡の層で何人分にも割れる。
混線する警告の中で、ホウジュンはふいに静止し、考えるより先に踵を切って、来た道とは別の角度へ滑る。
踏み抜いた位置に、焦げたような黒い輪郭が生まれて消えた。
「……お前、誰だ?」
違和感に耐え切れなくなった一人が呟く。
ホウジュンの動きが止まった。そして、再度舌打つ。
仲間からのその言葉すら想定内のように、彼はぞんざいに視線を投げ、低い声だけが、答えの先に落ちる。
「見えてる通り…俺は俺だ」
違うのはここだと、こめかみを指先でトントンと軽く叩く。
目に映る前に、頭の中にそれが浮かんでくることに、ホウジュン自身が一番苛立っていた。
「ここに……トキがいる」
それ以上は言わない。けれど、理解された。そう分かった。
それ以降、仲間たちは何も言わず、ただホウジュンの指示の通り動いていく。
“次に切るべき鎖の位置”“影が最初に伸びる角度”“偽物の道の見分け”──
図形だけで押し込まれるような感覚。
視界は遅い。
けれど、思考が早い分、身体は先に動く。
先に進むにつれ、鳥かごが密になり、巨大化しているように感じられた。
天井から垂れた鎖が、鏡の層で増殖して見え、数が合わない。
ひとつの籠に、供給線が二本。
切る。落ちない。
上を見上げた視線が、天井のさらに向こう側の鎖に接続されているのを捉える。
「反応なしは無視していい!」
見せつけて、近づけさせて、罠に引き込む構造だと知れた。
それに付き合ってやつ道理はない。
既に蓋が開き壊れかけているもの、中身が空になっているもの、それらは全て捨て置いた。
鏡の床に、糸のような黒が走る。
影の新しい形。
踏み抜けば拡がる。
避ければ追ってくる。
棍の石突が、天井の無数の角度に叩きつけられ、鎖の中を走る黒い毛細がばらけて消える。
籠は揺れるが、やはり落ちないようにできている。
「どこまで、読んでんだよ…お前」
ホウジュンの呟きは、誰の耳に届くこともなかった。
罠にかからないと知ると、オブリシカは静かに揺れ、鏡の廊に外が出現した。
廃橋の欄干、割れた街灯、風のない空。
誰かが半歩踏み出しかけ、ホウジュンが気配だけで肩を押し戻す。
「外界すら…偽るか…」
くるりと背を向け、仲間たちを視認する。
手傷を負っている者が数名。けれど致命傷はない。
今さらここで、外に誘われるような面子もいない。
けれど、外へと導くためのような空間が出現した。
ホウジュンは目を閉じ、こめかみに指をあてる。
思考が答える。その嫌悪感を振り切るように、舌打ちが無意識に起こる。
鏡面の床に薄い輪が走った。
影の起点がずれた合図。
今までに落とした籠の数。
仲間のように見えたそれらの数。
「合わない……」
一つ足りない。とホウジュンが零し、仲間が、え?と反射で声を漏らす。
答えるより先に、ホウジュンの棍が地面を叩いた。
それは、現れかけの影の根元を正確に打ち抜き、霧散する。
「……今の…見えてたのか?」
「たまたまだ…」
苛立ちまぎれの行動が、偶然踏み抜いた。それだけ…
それすらも、思考に支配されているように感じて、眉間にしわが寄る。
「で、何が合わないって?」
聞き逃さずにいた仲間が声をかける。
いや、と歯切れ悪く口籠るが、諦めたように頭を振ると、バッと顔を上げる。
「いなくなったのが5人。今遭遇したのは4人だ…足りない」
「誰か、わかってる、のか?」
「あぁ…」
臍を噛む。
浮かぶのは気の抜けた、柔い笑顔。
「ソウイチだ」
次回更新予定は6/19です。




