七話
レインがイザベラことエリーに金をやり、オーランとの待ち合わせをすっぽかした日からもう三年が経とうとしていた。
相変わらずレインは妖精亭に勤めて、枯れた老人のような生活をしていた。
あの日から街で起こった人死が出たような事件を聞く度にエリーではないか、もしくはエリーの想い人である行商人ではないかと気が気ではなかったが幸い二人のような死体は出てこず、芯から安心はできないがきっと上手くいったのだと自分に言い聞かせた。
オタカはエリーが妖精亭を脱け出して行方をくらませたとき彼女にしては珍しく落胆というか悲しんだ様子を見せた。オタカもまたエリーのことを気に入っていたのだろう。
「バカな娘だよ。この世には神様も勇者様も居やしないのになにを思って飛び出して行ってしまったんやら……」
他のところから来た娼婦に神様のようだ、と言われ、レイン自身も自分とオーランを助けて引き合わせたオタカを神様のように思ったことがあるので、レインはそんなことを言うオタカが可笑しかった。
オタカが神様ならきっと勇者様もどこかに居るだろうと思った。そこでごろんと寝転がるオーランの背中を思い出し、胸が痛くなるがすぐに頭の中から追い出した。
エリーの同僚である娼婦たちもオタカと同じく皆一様に残念がり、寂しがった。そこでレインはおや、と思った。
確かに自分には可愛らしい年相応の娘のような顔を見せていたが他の娼婦たちには以前通りに貴族の娘のような、お高くみせる振る舞いをしていたのであまりこころよく思われていないんじゃないか、と心配していたが案外他の者からも人気があったようだ。
「あぁ、あの娘が本当は貴族の娘じゃないらしいってのは皆知ってますよ。話すことも嘘なんだろうなって思ってました。でも良いじゃないですか、イザベラの嘘には夢があった。楽しくって明るいきらきらした嘘の話、それを聞いてたらなんだか元気が出るようであたしはイザベラの嘘話を聞くの好きでしたよ」
ある娼婦が言っていた。どうやらほかの娼婦たちも同じように思っていたようで中には心配して涙を見せるものもあった。
「あんたが手伝ってやったんだろ? 」
ある日のことレインはオタカに出し抜けに言われてどきりとした。
「あんた、他人の事もいいけどね、もっと自分のことを考えな。他人の世話焼いたってなんにもなりゃしないんだからね」
それをオタカが言うのかと思いはしたが別にこだわりなく「はい」とレインが頷くとオタカは満足したようであった。
そんなオタカもニ年ほど前から通風を病み月の半分ほどは店に顔を出さずに養生して、その間は一番の古顔で文字も書け計算にも強いレインが妖精亭の采配を振るっていた。
自然レインは客を取ることも少なくなり娼婦でありながら娼婦でないような不思議な立ち位置になっているがオタカはレインの働きぶりに満足しており、これならあたしゃいっそ引退しようかねぇなんて冗談を言うこともあった。
三年経ったがオーランからの便りはない。
自分で捨てたくせに、すっぽかしたくせに、いつか仕官を果たしたオーランが迎えに来てくれるのではとあまりにも自分に都合の良い、甘い妄想をすることもあった。そんな自分が憐れで可哀想で笑えてくる。
仕官したらどこぞの相応しい娘を嫁に貰うはずである。娼婦の私なんて箸にも棒にも引っ掛けはしないだろう。
オーランが娼婦の私を想ってくれたのはオーラン自身がなにも持ってない浪人の身の上だったからだ。禄を頂くようになれば必ず自分のことが邪魔になったはずだ。そうだそうに違いない。あの日行かなくて良かった。私は正しい判断をした。とレインは自分によく言い聞かせていた。
三年が経った、とレインは思った。エリーやオーランがどうなったのかわからないきっと上手くいっているはずだ。なにか失敗するようなことがあればまたここに私を訪ねてきておいでと心の中で思った。
「なに考えてんだね、あんた」
レインの意識が現実に戻ってきた。目の前には茶を飲むオタカが座っていた。こうまじまじと見ると病の影響なのかそれとも出会って八年が過ぎたせいなのか、なんだかひどく老け込んだような気がした。
「しかしこの流行病も勘弁してほしいもんだ。商売上がったりだよ。まったく」
忌々しそうに音を立てて茶啜る。相変わらずキツい香水の匂いがする。
この街では、いや、この国では流行病が猛威を振るっている。死ぬほどのものじゃないが感染力が強く、罹患すれば咳が止まらなくなり高熱が出て動けなくなる。
妖精亭でも数人罹患し住み込みの娘は養生所へ送って今妖精亭に居るのはレインと、朝の早い時間からなんだかんだ言って心細いのか通風で痛む足を引っ張って来たオタカだけだった。
「衛兵たちも半分以上やられちゃったらしくて盗人たちは大喜びだって話よ」
レインが言うと面白くなさそうにふんっと鼻を鳴らした(こうするのがオタカの癖であった)
「その盗人たちも病にやられちまったって話だろ。バカバカしいね」
「あら、知ってたの」
「そんな笑い話は昔からあるのさ。人とものが違うだけで大筋は同じようなもので、しょうもない」
そこでオタカは一旦言葉を切って茶菓子を口に放り込み噛み砕きお茶で流し込む。
「人生と一緒さね、代わる代わる人やものが出てくるが行われるのは同じようことばっかり、はじめは笑ったり泣いたりもしてやるけど何回も同じようなもんを見せられちゃ見飽きて欠伸も出らぁな」
「どうしたの、なにを言ってるの? 」
「別に言いたいことなんてないさね、ただもうあんたは十年近くここで勤めてくれてる。そんな娘他には居ないよ」
「いきなりそんなこと言い出して変なオタカさん」
珍しく誉めるようなことをオタカが言ってくるからレインはちょっと照れてくる。
オタカの真似をして茶菓子を放り込み噛み砕きお茶で流し込む。
同じことをしているのにみっともないからやめないかってオタカに叱られる。その叱り方は母が娘に叱るようであり、その目には慈愛がこもってる。
叱られたレインは首をすくめてバツの悪い顔をしてみせる。レインは今、私オタカさんに甘えてるわと気付き顔が赤くなってくる。
「あんたこれからどうするね」
「どうってここで働いていくわ。いけない? 」
「いけなくはないが、どうだい? 所帯持つ気はないかい? 」
「えっ……?」
まったく意外な展開であった。まさかオタカの口からそんなことを聞くとは思ってなかったのでレインはびっくりする。
「どうしたのよオタカさん、所帯だなんて、そんなこと相手あってのことじゃない」
「それがあるんだよ」
またもやびっくりして思わずレインは思わず茶を啜った。娼婦の自分をもらいたいんなんてそんな男居るわけないじゃないか、とそのままオタカに伝える。
「いや、それが居るんだ。あんたに心底惚れたってのが何人かね。この二年くらいからぽつぽつあたしに口利いてくれって頼みにきてね」
「うそようそ。そんなこと……」
「いや、あるんだ聞いておくれよ。相手方はちゃんとした連中さ、大店の商店の番頭から職人を束ねてるやつもいる。みんなあんたに惚れて嫁にしたい言ってんだ」
「でもなんだって私なんか」
「見てるやつは見てるのさ、この二年ほどあたしが痛風やらかしてあんたがあたしの代わりにこの店できりきり働くの見て、この娘と一緒になりてえって思ったってみんな言ってやがるよ。あたしがいくら働いてもそんな口誰から聞けやしなかったのに」
そこでオタカは豪快に笑って、笑ったかと思うと突然レイン……と聞いたこともないような優しい口調で語りかけた。
「あんたが覚えてるがわからないがあたしは男なんて娼婦を犬畜生みたいに思ってる、みたいなことを言ったことがある」
「えぇよく覚えてるわ」
「その考えはあたしゃ変わらない。いろんな酷い男を見すぎた。あたしの可愛らしい女たちに惨い仕打ちをする男たち。あたし自身、金をむしられたり、命を取られかけたこともある。男は酷い、女のことを端っから見下してまるで同じ人間だと思ってやしない。あたしらだって腹も減るし、寒いとも思うし、疲れもするってことが頭の中からすっぽ抜けてやがる。娼婦相手なら尚更さ」
「でも、あんたはまだ違うだろ? あんたはまだあたしほど男を憎みきって、男に絶望しきってしないだろ? あたしにゃ無理だ。だけども世の中男と女しか居ないってのも事実だ、その男と女が手を取り合って、うんと幸せになる姿をあたしゃ見てみたいとも思ってる。それがあんたならこんな嬉しいことはねぇ」
「オタカさん……」
ありがたくてありがたくてレインは涙が出そうだった。オタカがこんなに自分を想ってくれているとは考えてもみなかった。
いつだって人生の潮の変わり目というのは突然やってくる。ここで幸せになるために縁談を受けて、誰かと夫婦になって暮らしていく。それができたらどんなに良いか。
でも、どうやったってオーランのあの青い瞳が忘れられない。遠くにあれば、時間が経てば、薄れていくと思った。だけどオーランの青い瞳の眼差しはどんどんレインの中で強いものになっていっている。
「ありがとうオタカさん、本当にありがたいわ。でも私ダメよ、無理よ」
「そうかい、まぁしばらく考えな。連中はいつまででも待つって言ってるからね」
お茶を淹れて来ようとレインが立ち上がるとけたたましい早鐘の音が聞こえた。ちょっと尋常な叩き方ではない。私外見てくるとレインはオタカに断り、外に出た。
外に出ると北の方から人々が取るものもとりあえず、慌てて走ってくるのが見えた。とんでもないことが起こったんだわ、レインは走る商人風の男を捕まえてなにがあったか聞いた。
「子鬼だ! 子鬼どもが北の門を破って入ってきた! 」
それだけ言うと男はレインの腕を振り払いまた走り出す。
ふと、一瞬気が遠くなるなりかけるがレインは衛兵はなにをやってるんだ! と憤りつつオタカにも知らせるために店に戻ろうとする。
そこでさっきの笑い話を思い出す。
先ほどの笑い話、実は半分は本当なのだ。衛兵隊の中でも流行病が広まっている。
つまり衛兵たちは半分以上動けない。




