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五話

 レインにオーランと呼ばれた男は黙って部屋に入り椅子に座った。その顔には並々ならぬ決意があった。

 「オーラン……あなた、オーラン・グリーン様でしょ? 」

 弾けるように近付き、レインはオーランの元に近寄る。彼は痛みを我慢するように目を閉じ、口を結んでいる。レインにオーランと呼ばれることが苦痛でならないようだ。

 

 レインはなぜ私は気が付かなかったんだろうと愕然とする思いで自らの間抜けを指を指して笑いたい気分であった。

 だけどもよく考えてみればこの半年確かに毎週のように会っていたが酒を飲むときは顔を伏せたり、背けたりして、寝具にごろんと横になってしまえばレインに背を向けていたので案外顔をじっと見る機会はなかった。

 

 それに髪は伸び放題だったし、顔も髭で覆われていた。気付けと言う方がなかなかに難しいではないかとレインは一人憤慨する。

 レインがじぃっと見ているとオーランはようやく目を開いた。レインの好きな青い瞳がきらきらと輝き、髪を切り髭を剃っただけで男はこうも変わるのかというくらいオーランは美青年であった。

 

 「俺は……いや、わたしはオーラン・グリーンではないよ」

 「えっ……でも、私が間違えるはずないですわ……」

 その言葉を聞いても首を振り「違うんだ」と言った。

 「私はオーラン・グリーンではないんだ。あなたがレイン・クロウスでないように」

 はっとレインは顔色を変えた。オーランの言う意味をやっと理解したからだ。

 

 オーランはもう昔とは違うと言っている。もはや騎士オーラン・グリーンは地上から消滅し同じように伯爵令嬢レイン・クロウスも地上から消滅している。

 

 今はただ一人の娼婦と一人の客でしかない。そこには軽蔑も嘲りもなく、ただ頑然たる現実だけがあった。

 過去を消し去りたいと思い、産まれたときから娼婦であったという顔をして生きてきた自分が昔馴染みに出会っただけでまたぞろレイン・クロウスに未練を見せ、オーラン・グリーンに縋り付かんとしたことをレインはひどく恥じた。

 

 「わたしは……わたしはオーラン・グリーンではないが、わたしの話をあなたに聞いてほしい。よろしいか?」

 「はい」とレインは頷いた。

 「わたしは昔ある人に仕えていた。その方は優秀であり非常に高い地位にいた。しかし政敵から罠にかけられとある場所に押し込められることになった。」

 

 父の話だとレインは思ったが黙って聞いていた。

 

 「わたしはなんとか主を救出するべく動いたが警備は厳重であった。一人ではどうしょうもない、ということで同志を集めることにした。しかし、日が経つにつれ主救出のために集まった同志たちは一人また一人と姿を消した。これが敵の手による買収や離間工作によって同志たちがバラバラになってしまったのならわたしもまだ張り合いがあっただろう」

 

 「しかし、原因は政治的な計略ではなかった。ただただ単純な生活苦であった。主の救出に燃える烈士たちも腹が減り、雨露を凌がなければならない。当然働きに出て、救出の機を窺うわけだがそんな生活は長くは続かなかった。気付けばわたしは一人となり、そしてその救うべき主も一年前に亡くなられた」

 

 そこでオーランは頭を下げた。オーランの涙の雫がテーブルに落ち、そして滲んでいく。

 「あぁ……」わたしは涙は出なかった。お父様もう亡くなっておられたのね、寂しかったでしょう。私どもを心配したことでしょう。

 「お父様……」もはや顔も声ももうおぼろげとなった父のせめてもの冥福を祈った。

 

 「主の死を前に、わたしは一つ大きな思い違いをしていたことに気が付いた。それは主が亡くなられたとき、わたしの頭に初めて思い浮かんだ。主の妻子の保護こそ主の第一の願いだったのではない、かと。しかしそれに気が付いたときにはもう取り返しのつかないほどの時間が経っていた」

 頭を下げたままそこまで語るとオーランとめどなく涙を流した。

 「申し訳ありません、お許しを……お許しを……」

 彼の後悔や絶望、己への失望は計り知れなかっただろう。主を助けるため奔走して、同志を集め、裏切られ、主は死に、そして自分は見当違いの努力を続けていた。なんたる悲劇か、ここまでくればいっそ喜劇ではないかとレインは思ったが、もちろん笑えはしなかった。

 

 「わたしは……わたしはすぐに王都に取って返し、あなた方の保護をするべきでありました。あなた方をお護りすることこそ我が主の願いであったはずなのに……」

 嗚咽を上げ、むせび泣くオーランの手を握りレインは「いいのです。いいのです、もうすべて過ぎ去ったことなのです」と繰り返し、オーランにつられるように少し涙を零した。

 その瞬間だけ己を含めたすべての者たちに捨て去られた騎士オーランと伯爵令嬢レイン・クロウスが居た。

 

 「それからどうしたのです? 」

 オーランは既にもう騎士オーラン・グリーンからただの男へと戻っていた

 「そ、それからわたしは主の妻子の足取りを調べたがどうしても追い切れずに絶望してこの街へ来た。ここに来たのは本当に偶然だったんだ」

 「そして死のうと思った。生きていても仕方ないと思ってね。いつしかやめられなくなってた酒をしこたま飲んで、川に身投げしようとした、しようとして止められた」

 

 「えっ……」とレインが声をあげた。その状況に見に覚えがあったからだ。「まさか」と続けた。

 「ここの女主に声をかけられた。当然そのことは当時は知らなかったが、そのとき女主はよほど腹が痛むのか手で腹をさすりながらわたしに話し始めた」

 

 【死ぬのかい、兄さん? 兄さんだよな? 爺さんってわけじゃあるまいね、すごい髭だね。そうかい、死ぬのかい。金は持ってるかい? なに乞食しようってわけじゃないさ、あたしが乞食に見えるかい? こんな肉置きの豊かな乞食見たことあるかい? ねぇだろ。それにしても兄さん死ぬくせに嫌に不景気な顔だね。死ぬならドッと楽しいことして死にな。あそこに娼館が見えるだろ? そろそろ閉まっちまうがね、駄々こねりゃ上げてくれるよ。あそこはいい店さ別嬪揃いだしね。女抱いて死ねりゃ最高さね、おー腹が痛え痛え】


 「そんなことを言って去っていったよ。わたしはいざ死のうとした瞬間に声をかけられ、やたらめったらまくし立てられたもんだから気が萎えてしまってふらふらとここ妖精亭を訪ねたってわけだ」

 レインは信じられない思いだった。オタカはもちろんレインとオーランの関係なんて知らないだろう。たまたまだ。たまたま二人はオタカに助けられたんだ。オタカさんは神様のような、とある娼婦が言っていたことを思い出した。

 

 「そこであなたに出会った。本当に心臓が飛び出るくらい驚いた」

 「そうは見えませんでしたよ」

 そう言って二人はくすくす笑う。

 「懸命に生きているあなたを見てわたしはなにもかも捨てようと思った。復讐も後悔も過去も捨て、ただあなたと一緒に居たかった」

 

 レインはオーランの急な告白に顔が熱くなり、喉がカラカラに渇いてくる。

 「急にどうしましたの? 恥ずかしいわ」

 「本当のことなんだ。聞いてくれ。わたしは仕官先を探す旅に出ようと思っているんだ。それにあなたもついてきてほしい、無論わたしの妻として」

 「そ、それは……本気ですの? わたしは……わたしはただの娼婦よ」

 「わたしだってただの浪人で今はこの娼館の客だ」

 「わたし達ならどんなことでも乗り越えられる。考えてもみてくれ、これ以上の不幸なんてもうありはしないよ」

 手と手の指を絡み合わせて目を見つめる。

 「えぇそうね、わたしあなたとならどんな苦労をしてもいいわ。いえ、あなたと苦労したいわ」

 「なら、ついてきてくれるね」

 

 オーランと一緒に行きたい、妻になりたい。諦めていた人並みの生活を手に入れたい。

 【それに男どもはあんたらを犬畜生とも思ってやしないよ】

 オタカの言葉が脳裏に過る。違う違う、オーランに限ってそんなことはない!

 【あの人に限ってそんなことない! あんた嫉妬してんだろ! 】

 店を脱けた女の声だ。あの女はどうなったんだろう。あの心中死体の女はその女だったんだろうか。無性にレインは気になった。


 「もう少し、時間をちょうだい? 」

 レインがそういうと明らかにオーランは失望したような顔をした。

 「そうしてあげたいのはやまやまなんだけど実は北に仕官のツテがあってね。まずそこに行こうと思ってる。明日にはこの街を出ないと約束の日時に間に合わなくなるんだ」

 「明日! ? いくらなんでも急すぎるわ」

 「わたしにとっても急な話で今日そのツテから手紙が来て、いついつに来いって呼びされたんだ」

 「そう……」

 二人は黙りこくってしまった。静寂が場を支配するがオーランが意を決したように言う。

 「明日の正午。わたしは街の北門で待つ。来てくれるのをわたしは信じているよ」

 オーランは立ち上がり、部屋から出ようとする。

「ちょっ、ちょっと待ってください」

 慌ててレインはオーランを止めようとするがすっと躱されてしまい、オーランは帰ってしまった。

 

 どうしようどうしよどうしよう頭がパニックになりそうになるのをなんとか堪えてレインは考える

 これがわたしの人生を決める選択になる。そんな予感がしていた。

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