三話
部屋に入るとレインは男に抱きついた。抱きついてわかったがこの男は見た目も立派だが、中身がずっしりと重厚感があり体を接しているとまるで樹齢何千年という大木に身を任せているようなそんな安心感がある。
抱きつきながらこんな男に暴れられなくて良かったと思った。これならオタカさんだって負けちゃうわとくすくすと笑った。
「なにかおかしいかね」と男は先程と比べ人が変わったように優しい声で言った。彼の青い瞳は酔いのために揺れていたがその綺麗な瞳の色を見てに父や母そして兄と見た素晴らしく澄んだ北の海を思い出した。
「いえ、思い出し笑いです」と言って、昔の美しい思い出を忘れるためにレインはつま先を伸ばし口付けしようするが男は肩をそっと抑えてレインの腕から逃れると用意してあった寝具にレインに背を向けるようにごろんと横になった。寝転がるとわざとらしい大あくびをしている。
「あら、どうしたんです? 」とレインも男に身を寄せるようにして横になる。背中にもはっきりと鍛えた筋肉の隆起がありこの人は何者なのだろうかというレインには珍しい好奇心を抱かせた。
「いいんだ……いいんだ……」と言ってレインの方を見ようともしない。そう言うともぞもぞと身じろぎする。
あら、なにか気に触ることしたかしら、とレインが思っていると男が「酒はないか」と尋ねてきた。
それほど酔っているのにまだ飲むつもりなのかと呆れながら「ありませんよ。みんなお客さんみたいな酔っぱらいになったら私たち困ってしまいますから」と言った。
それを聞くと男は声をたてて笑い、その声が嗄れたカラスのような声でなんだかレインは不気味に感じた。
「そうだ。そうに違いない。酒なんて置かない方がいい。あんた名前はなんていうんだ?」
「レインよ」
「そうか、レインか。良い名前だな」
男は噛み締めるように、記憶に刻みつけるようにレインと口の中で呟いている。
「ねぇお客さんの名前は? 」
「言いたくねぇ」
親しみのあるような素振りを見せるとくるっと手のひらを返したように冷たくなる。なんだか嬲られているようでレインは腹が立ってきた。
「あの、私が気に入らなければ別の娘を付けましょうか? 」と腹立ちまぎれに言ってやった。もっとも最初に男の対応をした娘はもう帰っているだろうし、イザベラにしてもこの男に付くのは嫌がるだろう。なによりもう営業時間外だ。これは仕事というより男が暴れないようにするための行動だった。
「いや! あんたでいい……あんたがいいんだ。そこに居てもらうだけでいい、それだけで胸がいっぱいだ」
レインの腹立ちを察したのか男は宥めるようにそう言った。女をおだてることにまるっきり慣れていない不器用な言い様にレインは返って好感を持った。
「ここは泊まりはやっていないんだろ? 迷惑だろうが少し寝かせてくれ、もちろん金は払う」
「それは構いませんが何時頃起こせばよろしいですか? 」
レインが聞くと二時間ほど経ったら起こしてくれと言い、男はそのままレインに背を向けたまま眠ってしまった。
妙な男だと思った。あれほど抱かせろと騒いでおきながら部屋に入ると男の方からは指一本触れようとせず同じ床で寝ているにも関わらず背を向けてさっさと寝てしまった。
その振る舞いはなんだか子供のようで伸びっぱなしの髪や髭で容姿はよく分からないが案外若いのかもしれない。寝ている顔を覗いてやろうかと思ったがやめた。
男はきっかり二時間ほどで目を覚まし来たときとは打って変わってあっさりと帰っていった。
金も余分なほど置いていった。なにもしてないからこんなに貰えないとレインが言うと、いやこれは迷惑代も入っている最初俺が絡んでしまったあの娘にこの中から金を渡してやってくれと殊勝なことを言うものだからレインはおとなしくそうですかと受け取った。
男は「世話になった」と頭を下げて灯も照らさず闇の中に溶けるように消えていった。
「なんだか気味の悪い男っ」
振り向くと鍋を被って、竹箒を持ったイザベラが立っていた。まるでこのまま戦場に行って子鬼たちと戦うんじゃないかと思われる勇ましさだ。
レインは吹き出すと「なによその格好は」と言った
「あっ……あの男が暴れたらこれで姉さんの加勢をしようと思って」自分の格好を忘れていたのかイザベラは真っ赤になりながらごにょごにょ言って鍋を脱いで竹箒を適当なところに立てかけていた。
こんな格好をして部屋の外で待機していたのかと想像すると愛らしかった。
ふと思い立ち、イザベラに男から貰った金の三分の一をイザベラに渡した。
「これはあの男からもらったお金よ」とレインはイザベラに渡した。今夜のことはオタカには内緒にするつもりだった。
営業時間外にしかも酔っぱらいを入れたとなればガミガミ言われるのは間違いなく、そんなお説教受けるのはまっぴらごめんであり、それなら私とイザベラとあの最初に男の対応をした娘で綺麗にお金を三等分にして黙っておく方がいいと思った。
「こんなに貰えないよ」とイザベラは手渡された額の大きさに狼狽える。
「これはオタカさんへの口止め料とさっきのあなたの私を助けようとしてくれていた心遣いへの感謝よ」
大真面目に鍋を被って竹箒を手にしていたイザベラの姿を思い出し、また吹き出すと今度は声に出して笑い始めた。
「姉さんもう言わないで」とイザベラはまた赤くなり手をもじもじさせて恥ずかしさで目をうんと潤ませている。
そこであらこの娘、私の前で貴族振るのをやめているわと気が付いた。どういう心境の変化か無意識かイザベラはレインの前では年相応の普通の少女の振る舞いをしていた。
金をじっと見ていたイザベラが渡された金額の半分をレインに差出し、「じゃあこれは姉さんが酔っぱらいからお店を守ってくれた代」と言い「ありがとう姉さん」と続けた。
レインはこのいじらしく可愛らしい少女を思っきり抱きしめてやりたい衝動におそわれたがそれをなんとか耐え、渋々金を受け取り「さぁ戸締まりしましょ」とイザベラの背中を押した。イザベラの体の薄さと柔らかさが手のひらから伝わってきてレインはなんだか次は涙が出そうになる。
今日の私はなんだかおかしいわと思いつつ。レインとイザベラは戸締まりをし、お互いの部屋に戻り長い一日を終わらせた。




