157 ロッタの慟哭
■事件発生から三日目 十八時五分 領事館正門前
声を枯らしながら必死になって説得に声を上げ続けていたロッタ。だが彼女の拡声器越しの声が再び異変を知らせる。
「な、何だ君たち、何をやっている!君たちはまた人を殺そうと言うのかっ!」
拡声器の声が逆効果となってしまったのか、辺りは騒然となってしまう。領事館の正門前に詰めていた地元警察や州軍警備隊だけでなく、野次馬たちまでもが領事館内を覗こうと騒ぎ出したのだ。
「さっき君たちが射殺したのは軍人だった、領事館付きの公国警備隊の兵士たちだ。だが……だがその人たちは軍人じゃないぞ!領事館の職員で普通の民間人だぞ!君たちは子供まで……!せめて子供だけは!」
領事館から出て来たのは五人の民間人。五人が五人ともロッタの顔馴染みの領事館関係者であり、その中の一人はなんと子供である。
物見やぐらに立つロッタの視界の先、領事館の玄関口前にそれらの人々が横に並ばされ、背後に銃を構えた男たちが並べば、これから一体何が起きようとするのかなど一般人でも分かってしまう。
「考え直せ!思いとどまってくれ!私は領事館の人々だけでなく君たちも助けたいんだ!」
彼女の悲鳴とも呼べるその叫びは、もはや武装集団との人質交渉でも何でもなく、単なる懇願と言っても良いほどに痛々しい。
プライドや立場をかなぐり捨ててまでも、人命を守ろうとするその気持ちは評価されるべきなのだが、彼女のその悲鳴にも近い叫びは、結果として耳にした周辺の関係者たちすらも浮き足立たせてしまうのは事実。いつの間にかナイト(騎士)の矜持を胸に湧かせた人間たちが、処刑を止めようと領事館の敷地に雪崩れ込み、二重三重の悲劇を生む可能性すらあるのだ。
──そう言う役回りを命じられ、それに殉じようとする彼女に同情こそするが、今は休ませて落ち着かせるしか無い──
ロッタを一度この作戦実行本部へ呼び戻し、しばし休憩させるべきと判断したオレル。マザーズネストに指示を出して思念通信のチャンネルを繋げた。
「こちら作戦実行本部、コヨーテだ。ロッタに最優先指示を送る」
(こ、こちらロッタです!中佐、中佐!彼らがまた処刑を行おうとしています!)
「分かっている。こちらからも様子は見えるし、君の声も窓から聞こえて来る」
(何とか止められませんか?今度は公国軍人じゃなくて領事館職員が立ってます!アイザーさんやバイツェンブルクさん、息子のマルティン君までが!)
「落ち着けロッタ!君に最優先指示を発する。一度作戦実行本部に戻るんだ、休憩を命じる」
(嫌です中佐!今、今処刑を止めないと、あの人たちは……あっ、あっ!司祭らしき老人が出て来ました、さっきの処刑と同じです!)
「慌てるなロッタ!君が混乱する事で、周辺の警備隊や地元警官たちも浮き足立つんだ。死者多数の派手な銃撃戦を招きたいのか?」
決して、決して「君一人吠えたところで事態は何一つ改善しない」とは口にしないオレル。今は感情的になっているものの、彼女が粉骨砕身で交渉人としての職をまっとうしているのは間違いの無い事実。
だから彼女のその頑張りに敬意をしっかりと示し、口が裂けても無意味な行動だとは言わないのだ。現に人質に被害は出ているものの、彼女を柱とした撹乱戦術で、ジョーカーやファウストが内部調査に成功している。──ロッタはしっかりと貢献しているのだ
(司祭が、司祭が説法を始めています。だめだ、処刑が始まってしまう!)
無線のスピーカーからは恐慌の声、そしてそれが途切れると今度は、拡声器を通じて懇願する声が作戦実行本部に飛び込んで来る。
「オスティン、悪いが彼女のところへ行って連れ戻して来てくれないか?彼女には休憩が必要だ」
そう依頼するオレルの表情には、怒りの色は一切浮かんでいない。あくまでも声を張り続けて来たロッタを尊敬する、傷ましい表情である。
オスティンが「分かりました」と答えた瞬間、実行本部の窓からタタタン! と銃声が飛び込み、やがて部屋だけでなく窓の外から入って来ていた全ての雑音が止んだ。たった領事館の職員たちは処刑されたのだ。
正門前も、そしてその周辺も、作戦実行本部までもが沈黙に包まれる。ぐうの音も出ない鎮痛な時間だけが今は漂っている。そして処刑を目前で垣間見てしまったロッタも、今は沈黙したまま通信機や拡声器にその声を乗せてはいない。
──心が折れてうなだれているのかも知れない。又は、我慢出来ずに泣き崩れているかも知れない と、誰もが慮る中、自分の役目を思い出したオスティンが、実行本部で声を張り上げた。
「呆けていてすみません!彼女を連れ戻します」
彼の声にハッとするオレルたち
誰もがオスティンと同じく、鎮痛な時間に支配され我を失っていたのである。
だがここで、思いがけない人物から思念通信が入って来た。それも空気をガラリと変えようとする意志に満ちた優しい声が。
マザーズネストもそれに気付いたのか、嬉々としてその人物の通信をオープンチャンネルに切り替えたのだ。
(……こちらジョーカー……)
そう、声の主はジョーカー。領事館内に潜伏していたのだが、脱出のタイミングを図っていたのである。
(こちらジョーカー。フタフタマルマルに脱出せよとの指示を受けていたが、内部の監視状況が手薄にならない現実をもってこれを断念。今をもって脱出を果たした。……ロッタありがとう、君が頑張ってくれたおかげで脱出出来たよ)
多分、ジョーカーが送って来たこの報告には、心をズタズタに引き裂かれ、打ち砕かれた結果無言になっているであろうロッタに対する労いが込められている。
実際、彼女が注目を浴びれば浴びるほどに領事館裏は手薄になるだろうし、今回のこの処刑に司祭クラスの人間も出て来た。
人質解放にこぎつける事は敵わないとしても、誰もが彼女の功績を認めながら声をかける事に苦慮する中で、ジョーカーはど真ん中ストレートの賛辞を送ったのである。
(こちら……こちらロッタ、取り乱して申し訳ありません。指示通り本部に戻ります)
ジョーカーの言葉が染みたのか、弱々しい声ながらも声が返って来る。
これで一安心、そして一段落。いよいよオレル自身が領事館に乗り込むべく、その夜が訪れるのだ。