147 コールサイン ジョーカーとロッタ
──階下での対応が慌ただしくて朝食の用意が遅れてしまいました。心よりお詫び申し上げます。
ルームサービスの担当者は平身低頭でそう謝罪を繰り返しながら、レベッタとカールのいる部屋で朝食の配膳を行った。
プロニスラフの街でも一二を争う高級ホテルではあるが、朝食は奇をてらう事の無いオーソドックスなスタイル。
目玉焼きとカリカリになるまで火を通したスライスベーコンをメインに、キャベツの酢漬けや蒸したジャガイモやニンジンがプレートの脇を飾り、それらと一緒に焼き立てのパンが数種類とフルーツの盛り合わせが並ぶシンプルかつ豪華な品揃えだ。
本来ならばニコニコでそれらにありつくレベッタなのだが、昨日からの疲労と睡眠不足で食欲が無いと言って敬遠しようとする。だが、まさに今日これからが本番なのだとカールが説得した結果、気合いを入れ直した彼女は、勢いで口の中に放り込みながら、砂糖をたっぷり入れたカフェオレで胃に流し込んで、何とか食事を終わらせた。
時間は朝の八時二十分過ぎ
ルームサービスの若者が言っていた通り、階下は慌ただしくそして騒がしい。もちろんカールたちの耳にも入っているのだが、人質救出に向けて市政・地元警察・軍の統合本部がこのホテル内に設営される事から、階下が騒然とするのも納得出来るのだが、逆に落ち着かなくてしょうがない。
いつ、どのタイミングをもって自分たちが統合本部に招かれて、領事館についての詳細を求められるか分からない。
だらしない服装をしている訳にはいかず、ぼんやりと目を瞑って脳の回転を落とす訳にもいかない……そう言う緊張感が、二人を包み込んでいたのである。
だが、その緊張感が更に心拍数を上げる事態がやって来る。二人の部屋の扉を勢い良くノックすると共に、公国陸軍を名乗る男性が訪ねて来たのだ。
(私は公国陸軍の者だ。こちらに駐在武官殿がいると聞いたのだが)
もちろん、二人の脳裏に鮮烈な光が走ったのは言うまでも無い。オスティン・フリートラントを通じてフォンタニエ側からは“公国から優秀な軍事アドバイザーが来る”とは聞かされており、そろそろホテルに到着する頃だと思ってはいたものの、これほど早く自分たちの元に足を運んで来るとは考えてもみなかったのだ。
“事態の解決を図るため、同胞が駆け付けてくれた!”
レベッタは飛び跳ねるように席を立ち、そして入り口に駆けて扉を開ける。廊下に立っていたのは略式ベレー帽をかぶった青年将官と、その後ろに立つ少年少女の合計三名。
襟章や腕章や略綬(りゃくじゅ・胸に小さな長方形を重ね合わせる略式勲章)などがゴテゴテと軍服に縫い付けられた、ひと睨みで兵士たちが直立不動になるような歴戦の覇者が駆け付けると思ったのに、何だこの肩透かしのようなメンバーは と、鼻白むレベッタ。
はるばるプロニスラフにやって来た人たちに対して失礼だと考えたのか、あれ?あれれ?と思う不信感を一切表情に出さず、彼女は三人を奥へと通して改めて挨拶を行った。
「はじめまして、私がプロニスラフ領事館の駐在武官、レベッタ・ハウトリムセン少佐です」
身体の芯に鉄筋でも入れたかのように、背筋をビシッと伸ばして敬礼するレベッタ。部下が上官に対して行うような最敬礼を行ったのには意味がある。この目の前の青年将校が羽織っているハーフコートの隙間から、“中佐”を表す階級章がチラリと見えたのだ。いくら貴族家のお嬢と言っても、それなりに軍務に就いていれば、身体が自然と反応してしまうのである。
だがこの後、その青年中佐が自らを名乗った途端、レベッタとその背後に立つカールの身体に激しい電流が走ったのだ。
「陸軍総局参謀部 参謀情報部三課の指揮官、オレル・ダールベック中佐です。人質救出作戦の合同会議に参加する前に、独自の情報を仕入れておきたかった。諸君らの協力を願えるかな?」
穏やかな声で切り出したオレルだが、レベッタの反応は凄まじいものがあった。あの、アークヴェスト撤退戦の英雄が目の前にいる!と、瞳を蘭々と輝かせ始めたのだ。
更に最近の話で言えば、本国から送られて来た新聞によると、昨年末に起きたパルナバッシュ王国の政変を裏で画策したのが、彼と彼の部隊であると記載されていたのだ。お飾りではなく実戦派の軍人を目指すレベッタにとって、オレルの名前は憧れであり、目指すべき軍人の手本なのだ。
「中佐、協力も何もありません!何なりと申し付けください」
憧れの人物を前に、もはやレベッタはメロメロなのだが、カールは一種彼女とは違う反応を見せている。
多分、ここに赴くまでの間に、オスティン・フリートラントからオレルに対して事前情報がもたらされていたはずである。──公国駐在武官の隣に立つ男カールは、民間人を装った公国軍の諜報員だ と
自分の所属する部隊とは違う上官に対して、自分の全てを明かさないまま、スパイとしての本分を貫き通すか。それとも自分の所属から作戦目的から全てをオレルに明かし、人質救出に対して全面的に協力するか。
悩んだのはほんの一瞬ではあるが、オレルと目を合わせた瞬間に彼なりの決断を示したのである。
「申告します。陸軍総局参謀部 参謀情報部一課、フォンタニエ方面作戦部所属のカール・オーウェンミュラー大尉です。ただ今をもって、中佐殿の作戦に全面協力させて頂きます」
オレルの目の前で見事な敬礼をしたカール。それを横目に見ていたレベッタは、アゴを外さんばかりに口を開けて驚いた。 ……“本名なのかい!” 声には出てなかったが、彼女の口は間違い無くそう動いていた。
レベッタが目をまん丸に口をパクパクしているのを尻目に、オレルは口元に苦笑をたたえなごら「大尉、まだ甘いな」と一言漏らす。私が君の立場なら、徹頭徹尾自分の役目を貫き通すと言いたげなのだが、彼の苦笑……そこには間違い無くカールに対しての好感も含まれている。だから甘いなと漏らしながらも、次に繋がる希望の言葉をもたらしたのである。
「カール・オーウェンミュラー大尉、貴官に戦時任官法を適用させる。緊急時につき貴官を参謀情報部三課所属とし、情報部少佐の任を命じる。おめでとう少佐」
握手を求めたオレルは、目を白黒させながら差し出したカールの手をガッチリと掴み、レベッタにも目を配る。
「今後は作戦遂行上名前は呼ばない、コールサインを適用させる。オーウェンミュラー少佐、君はコールサイン【ジョーカー】。そしてハウトリムセン少佐、君はコールサイン【ロッタ】だ」
ジョーカーとはもちろん、トランプカードの一つで万能を意味するものだが、この時のオレルは、カード競技ブラックジャックにおいて、ハウス側(ディーラー側)が有利にゲーム進行出来るようにと、客に紛れて参加させる「仕込み役」の事を意味して名付けたようだ。
そしてレベッタに付けられたロッタとは、北欧神話に登場する盾乙女・戦乙女ヴァルキリーの一人で、戦闘の帰結を決める役割を持つ女神の名前である。
「合同会議が始まるまで後十分、我々が作戦の主導権を握るには情報が必要だ。さあ、私に教えてくれ」
新たな仲間を得たオレルは、意気揚々とした表情で二人に安堵と希望を提供したのである。




