142 オレル・ダールベック、東へ
『アムセルンド陸軍総局』とは、公国の首都バルトサーリにある国軍の最高意志決定機関にして、首都圏防衛の最高司令部である。
首都の象徴である八月宮殿をランドマークとして、その西側城壁門に隣接するように建てられた三階建ての立派なそれは、王国時代には貴族軍の司令部として利用されて来た由緒正しき歴史的建造物であり、公国の時代に至ると陸軍本部がそれを引き継いだのだ。
公国政府との折衝を行いながら、全陸軍部隊の人事や会計業務などの行政管理を行う「軍政部」。そして陸軍の作戦立案から用兵の指揮を行う「軍令部」の二本の柱をまとめてこの陸軍総局が存在し、言わば陸軍の要。まさに中枢がここにあった。
そして今、参謀情報部三課の指揮官であるオレル・ダールベックは、この陸軍総局ビルに足を踏み入れた。
もちろん、彼の所属する参謀情報部もこのビルの一角に居を構えているのだが、総司令官のノルドマン准将に面会を求めて訪れたのではなく、全く違う系統の全く違う将官から緊急に出頭命令を受け、普段とは違うルートを辿りこのビルを闊歩していたのである。
──参謀情報部オレル・ダールベック中佐、総局軍令部へすみやかに出頭して、ファイデル軍令部長に面会を求めるように。尚、この軍令部通達は最優先事項にて、如何なる理由があろうともすみやかに履行されたし──
先日、パルナバッシ政変に関する公聴会に出席を求められ、衆人監視の晒し者にされてしまった件もあり、ひどく警戒感を抱いていたオレルは、軍令部長じきじきに「お叱り」の声があるものだと覚悟していた。公聴会において委員たちを敵視するような言動について、小言を言われるのであろうと予測していたのだ。
何故なら、一般的な兵士と高級将官とでは、頭ひとつ抜きん出た者に対する感情が違うからである。
総局ビルに入り、玄関ロビーから階段から三階の絨毯の敷かれた廊下を歩いていると、「時の人」であるオレルは他の軍人や事務方の者たちから熱い目で見られている。
「あのアークヴェストの英雄が、政府委員会の公聴会に出席した」「パルナバッシ王国のクーデターを、ダールベック中佐が裏で演出したそうだ」……そう四方八方でささやき合う一般兵士たちが、彼に憧憬の念を抱いたとしても、それは理解出来る範囲の話である。軍人と言う立場からすれば、華々しい活躍以外の何ものでも無いからだ。
だが、政治家や政府関係者とも繋がりのある高級将官が、下級の兵士たち同質の感情を抱く訳が無い。
良く言って「やっかみ」、悪く言えば嫉妬。政治家とのパイプを横取りしてしまうのではないかと言う、負の感情に支配されているかも知れないのだ。
ましてや高級将官たちが堕天使転生者の手先と化しているならば、負の感情を含めながら無理難題の任務をオレルに擦り付け、失態を招こうと画策しているかも知れないのだ。
平静を保ち、理論整然をもって切り抜けよう ──オレルの警戒心は、軍令部長室に近付けば近付くほどに、その高まりを増していたのであった。
「失礼します」
コンコンコンとドアをノックし、軍令部長付きの秘書室を開ける。秘書室でアポイントメントを確認しないと、その奥の軍令部長の執務室にはたどり着けないシステムになっているのだ。
忙しそうに執務机にかじりついていた従卒兼秘書の青年将校がオレルに気付いて立ち上がり、尊敬の眼差しを向けながら敬礼をして来た。
「ダールベック中佐ですね?私はファイデル中将閣下の従卒でローレンツ中尉と申します。ダールベック中佐が見えられたら執務室に通すよう言われています」
敬礼を返すオレルに向かい、“その扉の先に中将がお待ちです”と左手でジェスチャーしながらオレルに執務室の扉を開けさせた。
──だが、待っていたのは軍令部長のファイデル中将ではなかったのだ。ファイデル中将の代わりに誰かが居たと言う事ではなく、オレルの頭髪一本一本が怒りで逆立ってしまうような招かざる人物が、そこにいたのである。
入室して来たオレルに対して、「遅かったな中佐!」と 豪快且つ見下したような高見の言葉を発して来たのはなんと、五大貴族の一翼を担うヤーズフェルト家の当主。『若き闘牛』の異名を持つ、フィリクス・ヤーズフェルト公爵であったのだ。
フィリクスは応接用ソファに腰をうずめ、この執務室の所有者であるファイデル中将よりも、遥かに尊大な態度でオレルを迎えたのである。
「……フィリクス・ヤーズフェルト、何故あんたがここにいる?」
手のひらを爪が突き破ってしまうのではないかと言うくらいに、両の拳をワナワナと震わせながら自制するオレルに対し、のけ反るようにソファに座り、高々と足を組む姿のフィリクスは高慢そのもの。執務机で冷や汗を拭うファイデル中将がひどく小さく見えるほどだ。
「いきなりの質問だな。だがその前に敬礼はどうした?敬意の足りない無礼者か貴様は?」
「然るべき組織の然るべき序列に対しては、私も組織人としての礼節は保っているし、年功序列に対しても同じだ。……だが、あなたは軍人でも年長者でもない」
「ほう?貴様は名誉除隊の元大佐に対してそう言うのか。ならば五大貴族のヤーズフェルト家として貴様に敬意を要求してやるか」
「どちらにしても同じ事。私は私自身が敬意を寄せるべきだと判断しない限り、なんぴとの風下にも晒される積りは無い」
ゲヘナ・ウォーカーのクセにこしゃくな物言いだ と、一言ポツリと漏らしながらもヤーズフェルトは悪意をふんだんに盛り込んだ笑みを崩さずに、オレルがここに呼ばれた理由を説明し始める。──本来なら軍令部長がすべき話を、その圧倒的な立場をもって有無を言わさずに彼が乗っ取ったのである。
「良く聞け中佐。東の王国フォンタニエで面倒な事件が起きた。面倒だが公国にとっては重大且つ深刻な事件である」
一切口を挟まずに聞き始めたオレルは、この若い公爵の話がどう言う結末を迎えるのかを注視している。
「昨日午後、プロニスラフの公国領事館に賊が侵入し、人質を取って籠城を始めた。こちらとしては、人質解放に軍を派遣したいのだが、それは政府間協議で頓挫してしまったのだ。だが、軍事アドバイザーの立場なら若干名の軍人を受け入れても良いと言って来ている。貴様の大好きな"国家安全保障問題の解決"の時間がやって来たのだよ。もちろん行くよな?」
何と、フィリクス・ヤーズフェルト公爵は、オレルに解決を図れと迫って来たのだ──




