130 闇を見詰める者は 前編
上げた両手と脇の下を触られ、上着の内側を覗かれ、腰のベルト回りをも探られ、ズボンのポケットと裾も上から撫でるように触られてボディチェックが終わる。
「悪いが彼女はレディだから、その辺にしておいてくれないか?」
隣のレベッタに付いた屈強な用心棒が、彼女の腕と脇と腰回りを確認し、自分の仕事に対する義務感を超えるような、まるで趣味的な下卑た眼差しを彼女のスカートに向けた時、先にチェックを終えていたカールが口を挟んで制止する。
「彼女は私の秘書だが、とある有力貴族の御令嬢でね。こんな些細な事で問題になるのは、お互いに面白くないだろ?」
入り口を守る用心棒に二人に向かい、人差し指を左右に軽やかに振ると彼らも観念したのか、一人がアゴで奥に続く通路を指し示しながら「入りな」と通行を許可した。
ここはプロニスラフの飲食街の奥の奥。雑居ビルの入り口で、この階段を上がって二階に向かうと、とある裏組織の事務所に続いている。
経済調査を名目に街の名士や財界の重鎮たちに取材を続けたカールたちは、いよいよアンダーグラウンドの社会へと足を踏み入れるのだ。
──アムセルンドの役人が、この街で情報収集活動をしている。「お国」の経済調査で本に載せるらしい──
丁寧に動き回り訪問を重ねた事で、街にはこの噂が順調に広がった。
噂が広まったと言うのは、もちろん財界にだけではなく、興味を示した全ての人々によって情報が共有化された事を示している。つまり井戸端会議や商店街であっても、それがアンダーグラウンド社会であったとしても、珍しい話題や情報は人々の好奇心によって波紋のように広がって浸透するのである。
かくして、とある街の名士と面談している際に、カールは炭鉱労働者の手配と仲介を行なっている手配師を紹介してもらった。企業経済の動向だけではなく、末端の労働者層の経済状況も知りたいと願い出た結果、その名士が引き合わせてくれたのだが、その手配師が起点となって、プロニスラフの裏の顔を覗けるルートが出来たのである。
労働者が労働者同士で徒党を組まないように、労働者に代わって企業と賃金交渉を行う手配師系マフィア
企業側に付いて労働者を管理し、労働争議などの荒事を解決するマフィア
労働者向けに女性を手配するマフィア
大陸中から流入する麻薬などの違法薬物を管理して販売するマフィア
企業製品ではなく地下組織で魔力を充填させた、もぐりの家庭用暖房機器販売マフィア
亜人や獣人などの捕虜・奴隷を安価な労働力として企業に販売する人身売買マフィアなど……
聞けば聞くほどにプロニスラフの裏社会が賑やかなのは、なるほどこの街が炭鉱労働者と鉄道労働者で溢れかえっていながら、更に神聖魔法系宗教の聖地である事から、人が集えば集うほどに裏社会も活況になるのだと理解出来た。
ここで、カールが着目したのは人身売買マフィアについて。マフィア間での抗争が今現在下火になっており、裏社会による凶悪犯罪が少ない情勢下では、フォンタニエの首都にある大使館で"あの情勢結果"は出なかったであろうと判断。この地域特有の裏稼業ならば珍しい証言を得る事が出来るのではと、人身売買マフィアに着目したのであった。
今夜はその人身売買マフィアの事務所を訪問すべく、カールとレベッタは街の暗黒街へと繰り出したのである。
「おい、大丈夫かい?」
「何がですか?」
ボディチェックを通過した後、中に通され石造りの階段を上がる二人。するとレベッタが上着の裾をチョイチョイと引っ張りながら、漠然とした質問を投げかけて来る。
いよいよ垣間見るアンダーグラウンドの世界に怖気付いたかなと考えたカールは、彼女を安心させるセリフを考えながら立ち止まって振り向くのだが、そこにはカールが予想した"恐怖に怯える貴族令嬢"の姿は無かった。期待に胸膨らませるようなニコニコ顔で、何を心配しているのかさっぱり理解出来ない様子だったのだ。
うむ?と首を傾げるカールにレベッタは笑顔で指摘する。
「あの二人の門番、君の背中をじっと睨んでいたぞ」
「彼らのお楽しみを阻止したんです。恨まれて当たり前ですよ」
「あはは、自覚があるなら良いよ。私はね、あんなところで波風立てるなら、スカートの中身ぐらい見せても良かったんだよ」
「それはそれで却下です。後々噂になって街に出回ると、私の頭痛が止まらなくなります」
どこか浮世離れしているが、貴族のプライドに縛られていない人物だ── そうカールは彼女の性質を好意的に受け止めるも、このような破天荒な主張でかき回されてしまうのも迷惑。いずれにしても自分のペースを崩されては敵わんと、身を引き締めて事務所のドアの前にと立つ。
ノックを繰り返しと、中からドスの効いた声で誰か?と尋ねて来たので、手配師から紹介された経済調査士だと答える。するとドアはガチャリと開いて二人は部屋へといざなわれる。
一歩中に入った二人が鼻白んで目を白黒させたのには理由がある。そこは事務所と言うよりも、何やら成金趣味が金にものを言わせて買い集めたような、ドギツイ色彩の調度品に彩られたラブホテルの一室のようで、全く情緒の感じられない異空間であったのだ。
「あんたが大学の先生かい。何が知りたいのか知らんが、まあ座りな」
部屋で迎えたの厳しい表情を崩さないスキンヘッドの老人、間違い無くこの人身売買マフィアのボスだ。そして彼は部屋の中央にある応接セットのソファに身体を埋めて、面倒臭そうにカールたちにくつろげと促す。
「アムセルンドにあるバルトサーリ国立大学の准教授、カール・オーウェンミュラーと申します。彼女は秘書のレベッタです」
訪問を受け入れてくれた事に感謝を述べつつ、テーブルを挟んで対面のソファに座る二人。調度品から壁紙からシャンデリアから、何とも下品で目の疲れる内装に落ち着かない二人だが、その二人が更に落ち着かない理由が新たにやって来た。何と、マフィアのボスが手を叩くと、隣室に待機していたであろう召使いが二人現れたのだ。
それは水着のような際どい服を着させられた二人のいたいけな少女。二人とも首輪をはめられ両足を鎖に繋がれており、逃げる事も抵抗する事も出来ない、まさに奴隷だ。
「おおい!酒を持って来てくれ、先生たちのも入れて三人分だぞ!」
「いえ、あまりお構いなく。我々も長居する訳じゃありませんから」
「別に早く帰ってもそれはそれで良いんだが、アイツらの教育も兼ねてるんでね。おおい!酒は奥の棚だ!」
まだアイツら、この国の言葉覚えてねえから、いちいち教えてやらなきゃいけなくて── マフィアのボスは少女たちに向かって怒声を飛ばす。
彼女たちを良く見れば、栗毛の少女は犬系の血統を持つ獣人らしく、獣耳が怒声に耐えられないのかうなだれている。
もう一人の草色が混ざった金髪の少女は、中途半端なトンガリ耳、人からもエルフからも忌み嫌われるハーフエルフだ。
鎖に繋がれている事から、本人の自由意志によってここにいる訳など無いのは明白だ。奴隷として親から売られたのか、それとも戦災孤児を大人が拾って来たのかは分からないが、どちらにせよ人道上問題があるのは確か。
まだ亜人や獣人などデミヒューマンに対しての権利が確立している世界情勢ではなく、逆にデミヒューマン社会では人間が奴隷になっている混沌の時代。亜人の少女を売買する闇を垣間見たカールは、内心舌打ちをしながら憤るのだが今はもちろん行動に起こす事は出来ず、腹の底で自重と言う言葉を何度も唱えるのだが、意外な事に気付いた。
……隣に座るレベッタも同じように憤っていたのだ……
ソファに浅く腰掛け、両の手を自分の膝に置いて、大学准教授の秘書を装いながらも、その両の手は拳となってギリギリと握り締められていたのだ。顔は笑顔を絶やさずにいるものの、少女の奴隷を見た瞬間からはらわたが煮え繰り返っていたのである。