125 垣間見た真なる敵 前編
寒気団が運び込んだ氷点下の分厚い雲は手が届きそうなほどに低く、その薄暗さも相まって、バルトサーリの街はまるで冷凍庫に入っているかのような沈滞した気配に覆われている。
“よほどの用事が無い限りは家で過ごす日”であり、人々は暖炉やストーブの前から離れようとしない、我慢の日である事から街を行く人影はまばらで、その姿は着膨れした雪だるまが、もうもうと白い息を吐き出しているようにも見える。
そんな静かな街のゆっくりと流れる時間をぶち壊すかのように、ボボボボボと不安定な音と共に、不安な黒煙を吐き出しながら、ジョスリーヌ・バイルホイスの運転する車は、飲食街から政治の中枢である八月宮殿方面へと向かって行く。
助手席には天敵とも言うべきオレルを乗せ、無言のまま運転を続けるジョスリーヌは、普段であるならば常に挑発的で忌々しい表情をするのだが、今日に限っては違う。悪魔の転生者に対して厳しくはあるが超然とした表情で接している。
それだけ彼女も真剣なのだ── そう察したオレルも、車内で彼女を挑発する事無く、無言のまま下手な運転に揺られていた。
車がピタリと止まった先で、彼女が着いたぞと久々に口を開く。そこは何とホテルのロータリーであり、バルトサーリに昨年出来た、高級ホテルの『ホテル・コラルヴァンデン』の正面入り口だ。
「良いか……冷静でいろよ。決して激発するな」
彼女はそう言って車を降りて、ドアマンに向かって鍵を投げ渡す。
「着いて来い、ここに貴様が目指す敵がいる」
このホテル・コラルヴァンデンは、民間資本で建てられた高級ホテルではない。八月宮殿に続き、首都の新たなランドマークとなるべく公国政府がプロジェクトを進めた国営のホテルである。
この国を訪れた他国の政府要人や財界の大物が後々まで話題にするようにと、その造りは贅沢の極みと言っても過言ではなく、部屋から廊下からラウンジからと、全てが最高級品で飾らせている。
また、切り出した石のブロックをセメントモルタルで接着しながら積み上げる中世方式の建築技法ではなく、セメントモルタルに砂利と砂を混ぜた『ベトン(コンクリート)』と鉄筋で建てられた七階建てのこのホテルは、大陸初の近代建築物とも言える、公国の威信を賭けたホテルなのだ。
ジョスリーヌとオレルの二人は、ため息が出そうな巨大シャンデリアが輝くロビーを抜け、フロントの目の前を無言で通過する。するとその奥の壁にはアムセルンド公国初のエレベーターが設置されており、二人は迷う事無く格子戸を開けて乗り込んだ。
ジョスリーヌは最上階である七階を押し、格子戸を閉めるとそれは自動的に動き出す。胃の奥が下に引っ張られるような軽い重力を感じながら、二人して壁の上側に設置された機械仕掛けの金属プレートをじっと見詰めている。
……一階、二階、三階と、その金属プレートに表示してある文字を矢印が移動していると、ちょうど四階に差し掛かった頃に、ジョスリーヌが再び口を開いた。
「七階フロアの半分は、要人専用のスウィートルールが並び、残りの半分は要人専用の高級レストランだ。どちらもボディチェックが無いと進めないエリアだ、せいぜい大人しくしていろ」
「ふざけた事をぬかす天使だ、大人しくないのは貴様だと思っていたのだがね。それでどうするんだ、二人で仲良くランチでも食べるのか?」
「憎まれ口を叩いていられるのも今のうちだけだ。この公国の闇を垣間見た瞬間の貴様の顔、しっかり見届けてやる」
──オレルは見逃さなかった
エレベーターの階層を示す矢印を見詰めたままのジョスリーヌが、最後に消え入りそうな声で「その前に私が怒り狂うかも知れんがな」と呟いたのを。つまりは、彼女もこの件に関しては冷める事の出来ない怒りに包まれており、オレルの心配などしていられないほどに激発寸前であるのが分かったのだ。
剣を抜きたい衝動を抑えながら
銃の引き鉄を引きたい衝動を抑えながら
そこまで我慢して自分を圧し殺しながらも、おずおず会いに行かなければならない相手とは誰なのか……その存在の大きさに気付き、いよいよオレルの脳裏に危険信号が灯る。
まだ自分たちの戦力や戦闘体制が整っていない内に、ジョスリーヌを後をホイホイと付いて来たの早計ではなかったか。今、敵に対してオレル・ダールベックの存在を知らしめるのは早計ではないのか──
今となっては手遅れに等しい杞憂を抱きながらも、エレベーターの矢印は最上階を指し示し、そして軽快にチン!とベルを鳴らした。
「異世界転生人ギルドのアムセルンド支部長、ジョスリーヌ・バイルホイスとその連れだ。面会出来るか?」
エレベーターを出た途端、エレベーターホールに詰めていたボディガードに先ず囲まれて、ボディチェックを受ける。その際にジョスリーヌが彼らにそう告げたのだが、既に顔パス状態になっているのか、ボディガードは内線電話で"奥"に確認も取らずに二人の行動を認めてしまう。
そして刃物や銃器を持っていないのが証明された二人は、要人専用の高級レストランに向かう廊下へと通される。それを会話も無く黙々と二人は歩くのだが、いよいよ高級レストランの入り口にたどり着いた。
「ジョスリーヌ・バイルホイス様、オレル・ダールベック様、お待ちしておりました」
入り口にはドアマンも立っているのだが、それとは別に老齢な執事が立っており、二人を礼儀正しく迎え入れた。
ここでオレルが驚いたのは、この執事が自分の名前を把握していた事にある。エレベーターホールではジョスリーヌが「連れ」としか表現していないのにも関わらず、何と執事はしっかりと名前を呼んだのだ。
嫌な予感しかしないのだが、今更引き返す事も出来ない……
執事の後に従い、バルトサーリの街並みが一望出来る広いフロアを通過して奥の個室フロアへ。その最深部にたどり着いた時、ひるがえった執事はゆっくりと扉を開けて、お入りくださいと二人を促した。
「……そうか、そう来たか……」
オレルはそう呟くので精一杯。むしろ、その程度の感想しか吐き出せないほどに動揺している。
通された部屋は煌びやかな装飾に包まれ、中央に細長いテーブルが鎮座している。そしてそのテーブルを挟んで貴族が三人ほど食事の最中である。
その貴族とは、『若き闘牛』の異名を持つフェリクス・ヤーズフェルト公爵と、エサイアス・ローゼンプラド侯爵が横並びで座り、そしてテーブルの反対側にはアリョーシャ・ライル侯爵代理の姿がある。
そして部屋の一番奥の"上座"の壁に、公国の元首である大公アレクシス・ヘイデンスタムの肖像画がデカデカと飾られているのだが、何と、その本人がテーブルの一番奥に位置取り、オレルの姿を驚きもせずに、ニコニコしながら見詰めているではないか。
……クソ!あてが外れた、闇に潜む貴族の頂点は、五大貴族の中の一人程度だと思っていたのに、まさか、まさかマルヴァレフト家以外全員アウトだとは……
そう、オレルの理解者であるランペルド・マルヴァレフト侯爵以外の五大貴族、その全員が汚職にまみれた闇の者であったのだ。つまり国そのものが取り返しのつかないところまで真っ黒になっていると言う事。だから味方の絶対的な少なさを持って、今は絶望するしかないのだ。
だが、オレル蒼ざめた理由はこれだけではなかった。国の頂点イコール闇の頂点である理由以外に、更に衝撃的な事実を受け入れる必要があったのだ。




