119 純然たる復讐
“風が痛い”
身体ごと吹き飛ばされるような暴風ではなく、ふわぁっと吹き抜けて行くような穏やかな風が痛いと感じるのには理由がある。
冬本番のバルトサーリは、北から運ばれる乾いた寒気に晒されており、降雪量は少ないものの肌を刺すような極低温に晒された街は、氷点下の続く日々を過ごす事を強いられている。
雲一つ無い晴天、風も身体を撫でる程度の微風。そうであっても、冷気に晒された肌はピリピリと悲鳴を上げ、防寒用のブーツを履いていても、足の爪先から感覚が無くなって行く。
ここ、アムセルンド公国の首都バルトサーリ郊外にある墓地も、辺り一面小麦粉のような細かい雪に覆われてはいるものの、歩くのに支障が出るほどの積雪は無く、敷地内に点在する墓標を覆う粉雪が、突然息を吹きかけられたかのように風に散って行く。
キラキラと大気が輝くダイヤモンドダスト現象の中、墓地の一角に並ぶ彼らは、凍て付く風よりや痛みを伴う寒さよりも、自らの胸の内から溢れる感情を抑える事が出来ずに、鎮痛な表情をしていた。
とある墓標の前で横一列に整列しているのは、公国陸軍の軍人たち。総勢で十一人はいるその軍人たちは、略式ベレー帽を被ったり野戦戦闘服に身を包んではおらず、正式な軍帽と儀礼用の制服とコートをまとい、これ以上無いほどのカッチリとした正装で墓標を見詰めていた。
『アムセルンド公国陸軍 参謀部所属 参謀情報部三課』
大軍同士が野原で正面から激突し、その雌雄を決しようとする軍事ロマンチシズムを徹底的に排除し、確実な勝利を得るために闇に潜んで蠢く部隊。
大軍同士が衝突したり、新兵器や大量破壊兵器が戦場で何千何万もの命を奪う前に、ピンポイントで戦局を覆すために作られた部隊、それが参謀情報部三課。
今、三課の指揮官であるオレル・ダールベック中佐を筆頭として、メンバー全員が整然と並んでいる。参謀情報部の総司令官に新任となった、ノルドマン准将も一緒だ。
「分隊気をつけっ!……ラーゲルクランツ少将閣下の御霊に敬礼!」
部隊の正式な副官となったレイザーが号令をかけると、彼女の声が辺りに凛と響き、兵士たちは一矢乱さぬ見事な敬礼を墓標に向ける。
「分隊、直れっ!ラーゲルクランツ少将閣下のご家族様と、被害に遭った方々の御霊に黙祷!」
大地を覆う粉雪がクッションの役目を果たすのか、高くて雑味の無いレイザーの声は、その余韻すら残さずに消え入った。
「分隊、直れ!……ノルドマン准将、お願い致します」
部隊の公式な行事として慰霊祭を行なったので、レイザーはオレルではなく総司令官のノルドマンより一言発して欲しいと願い出る。
しかしノルドマンはそれを固辞し、中佐から皆に一言頼むと譲り、寂しそうに笑う。
代理を頼まれたオレルは列から一歩二歩前に進み、ラーゲルクランツ少将の墓標の隣に並んで振り返る。そして全員の顔を見回してから、ゆっくりと力強く言葉を発し始めた。
「兵士諸君、我々はパルナバッシュで華々しい戦果を上げて帰国した。まさしく凱旋と呼んでも良いのだが、それも完全に打ち砕かれてしまった!」
──オレルは言う、こうなったのは全て私のせいだと。危険が迫る事を予見出来ていたのに、最悪の結果を招いてしまった。諸君らの栄光に泥を塗った事を深くお詫びする と
意表を突いて謝罪から始まったオレルの訓示は、兵士たちを驚かせ戸惑わせたのだが、その後に続く言葉が凄かった。
オレルが烈火のごとく怒っているのを悟らせながら、兵士たちのモヤモヤを吹き飛ばすような、苛烈で彩られた激しい言葉で彼らの背中を押したのだ。
「諸君、私はわがままだ。常識人を気取り、偉そうで気取ったセリフを吐いているが、根っからのわがままである。だから気に入る、気に入らないで全てを判断する」
──何だ?何を急に自己の主張を始めたのだ?と、呆ける部下たちに向かい、オレルは畳み掛けるように話続ける
「私は気に入った人々は守るし、気に入らない奴らには容赦しない。汚い手を使うのはお互い様だとしてもだ!私は少将閣下を、閣下の家族を、関係の無い一般市民を爆殺した犯人が気に入らない。犯人に命令を出した連中も気に入らない」
それまでは鎮魂のためにと厳かな顔をしていたオレルだが、その清正とした表情が徐々に徐々に変化する。
瞳の奥に毒々しいほどの怒りをにじませ、身体からは圧倒的な殺意を放ち始めたのだ。
「私はここに宣言する、爆弾テロの実行犯及び共犯は絶対に許さない。地獄の果てまで追い詰めて、必ず相応の報いを受けさせる。それも大の大人が泣いて命を乞うほどの残忍なやり方でな」
一端言葉を区切り、スウと深呼吸する
そう言う間を取る事で、兵士たちに考える時間を与えるのだ
「これは純然たる復讐である、これを成したところで少将閣下の御霊が戻る事は無い。あくまでも私の怒りによる行動であり、その正統性を問えるたぐいのものではない。それでも……それでも私と一緒に犯人を追い詰めたいと思う者は、一歩前に出ろ」
……ザッ……
志願者を募ろうとしたのだが、一秒もかからない内に全員が一歩前に踏み出して復讐戦を志願したのである。
「全員志願か、よろしい。奴らを許すな、参謀情報部に牙を剥いた事を後悔させてやれ」
オレルは敬礼する事で、自らの訓示が終わりであると知らせる。すると空気を読んだレイザーが、すかさず号令を放つ。
「分隊!我らが指揮官殿に敬礼!」
突入班のバイパー、シルバーフォックス、グリズリー。そして狙撃班のフルモナとハルヴァナ。副官となったレイザーに、ファウスト、マザーズネストの全員が、高揚感に溢れた顔付きでオレルに敬礼する。
「それでは解散!私はマーヴェリックに会いに行くが、本日は飲酒を許す。痛飲しても良いが明日のトレーニングは自己責任だぞ」
部下たちの顔色がパァっと明るく朗らかになる。職務上での使命や義務感などが抜けた、若者たちらしい爽やかな朗らかさだ。
オレルと部下たちのその関係を見ながら、良い部下を持ったなと羨ましそうに眺めるノルドマン准将が、はたと気付いて兵士たちに声をかける。
「き、君たち、今日は中佐の許可を得て一杯やるそうだが、一つお願いがあるんだ。そのだな、乾杯の時の合図をだな……」
ノルドマンがそこまで言えば、気付かない部下たちではなかった。彼らは一度立ち止まり、ノルドマンに向かって敬礼をしながら、本日の乾杯の合図を口にしたのだ。
「少将閣下に」「少将閣下の魂に」「少将閣下の御霊に」と──
オレル率いる参謀情報部三課は、無事パルナバッシュ王国からの帰国を果たした。声高らかに凱旋したと思っていたら、まさか総司令官がテロによって暗殺されていたとは
復讐を誓うオレルと三課の兵士たちであったが、この年が明けたばかりのバルトサーリでは、彼らにとって更に衝撃的で過酷な運命が待っていたのである。




