110 凱旋する者、闇に還る者
「もう国に帰っちゃうんでしょ?マリールイスのところには挨拶に来て、何で私は無視するのよ!」
血相を変えてオレルを呼び止めたのはフランカ・ペトラ。異世界転生人ギルドのパルナバッシュ支部長がそこには立っている。ギルドの支部に赴き連絡係には挨拶しておいて、支部長に挨拶が無いのはどう言う事だと憤っているのだ。
いや、挨拶の有無に固執しているだけではない。そもそもオレルとフランカとの関係は、今のこの世界に始まった訳ではない。格闘家のオレルが拳聖と呼ばれていた前世の世界では、フランカとは親と子のように過ごした師弟関係でもある。
よって、オレルが何の言葉も残さないままに帰国してしまう事に焦り、支部長の部屋から慌てて駆け出して来たのだ。
「遊びで来ている訳じゃない。私は我が国の安全保障問題上、重大な脅威を排除するのに成功した。だから帰国するだけの事だが」
「それにしたって、あまりにも唐突じゃない。せめて別れの挨拶ぐらいあっても良いでしょうに」
道路で背を向けながら、横顔だけを向けて話すオレル。そもそもが背中を向けたままでいる事で、親しく話すのを無言で拒否しているようにも見える。
無論、フランカもその空気は察知しており、時代を超えた知人のその冷たい態度に酷く狼狽している。
「私だって協力したじゃん、情報やセーフハウスの提供だって……」
「それは本件が転生人ギルドの失態から始まっているからな。それにギルドは私に協力を求めていた事からも、当たり前の話だ」
精一杯の作り笑いが崩れてしまい、笑っているのか悲しんでいるのか分からない表情の少女は、ズラリと並んだ正論に反論出来ず、言葉に詰まったまま霧雨に髪を濡らしたまま立ち尽くす。
あれだけ関係が良好だった前世の育ての親に対して、当時の穏やかだった記憶を懐かしみながらすがろうと近付くも、のべつ幕なしに冷たくあしらわれてしまい、今となってはこの数メートルの距離が無間に感じられるほどに遠い。
「フランカ、君は確かに協力してくれた。だがそれは私や我々に対してギルド支部長としての立場で協力した訳ではない。君自身の極めて個人的な理由で協力しただけだ」
「何よそれ?個人的な理由なんて……」
腹の底を探られた動揺で、彼女の目がひどく泳ぐ。
それを確認したオレルは、これ以上言葉遊びに時間をかけるのは無駄だと感じたのか、ゆっくりと振り向いて彼女の瞳を真正面で見据えた。
「宮廷魔導師筆頭フランカ・ペトラ。秘密工場の管理室にファイルが置いてあって、君が頻繁に出入りしているのが記録されていた」
フランカは違うともその通りとも言わずに沈黙している
「君はギルドの支部長に就任する以前から、宮廷魔導師として核開発に協力していたのだ」
──核爆弾そのものに興味があったとは思わない。魔導の道にしか好奇心が作用しない君の事だ、ヴァレリ・クリコフから新たな魔法の可能性を示されて、その話に飛び付いて共同研究を始めたのだろうな。
そしてある日、ピタリと足を止めた。手に入れた重力魔法と引き換えに払った代価の恐ろしさ……核開発を通じて加速される、人類滅亡競争に気付いて、君はギルドに情報をリークしたんだ。「時代考証に合わない超兵器が秘密裏に開発されている」とね。
核開発には反対するが、魔法学の飛躍的向上が止まるのは惜しい。半々の立場を取る事で、結果全ての者を裏切り続けたんだ。
「……反論はしないわ、お師匠様の言う通り。引き返す事の出来なくなった私が自ら情報を暴露したの」
そう。フランカはいつかこの日が来る事を既に覚悟しており、独りで抱えきれなくなっていた想いを、この場でオレルに代弁させているのだ。
「芝居が上手くなったな。ここで初めて会った時、私はまんまと騙されてしまった」
「それで……どうするの?私を殺すの?」
「私は目的を達成した、後は帰国するだけだ。我々が王都で魔法追跡を受けたり、黒魔女を脅してブラックドックを差し向けられたりもしたが、あれが宮廷魔導師のあの男ではなく、君の差し金であったとしても、全ては終わった事だ。我々は帰国するよ」
「嘘ばっかり。裏切りなんて、あなたが一番嫌いな事なのに」
オレルはおもむろに左腕を上げ、左手の指を左の耳に当てる。そしてコートの袖に付いてある小さなボタンに向かって、こう話しかけたのだ。
「コヨーテよりマザーズネストへ。作戦中止、作戦中止だ。狙撃班を下がらせろ」
(マザーズネスト了解、狙撃班を撤収させます)
「秘密施設にあったファイルは二つ。一つは宮廷魔女に渡して、もう一つはさっきマリールイスに渡した。宮廷魔女に渡したものは、直轄領に点在する強制収容所の場所が記載されている。彼女たちは間違いなく解放運動を始めるだろう」
「そして私はギルドからペナルティを受ける訳ね」
「ギルドがどう判断するかについては、私に聞いても意味が無い」
話はこれで終わりとばかりに、オレルは彼女に背を向ける。そろそろ帰ると無言でアピールしたのだが、お師匠様と消え入るようなか細い声に刺激され、顔だけ横に向ける。
「魔力を各属性魔法に分岐させる原点となる【基点の波形】、それを検出するクリコフの機材が超文明だと判断されれば、ギルドは君にペナルティを課すだろう。超文明を使って開発された超魔法としてね」
怒りもせず、嘲りもせずに、無表情で見詰め来るオレルに恐怖を覚えるフランカ。彼が暴力的な行動を起こすのではと、痛みに対する恐怖が生まれたのではない。
自分の目で判断すれば、これだけ近い距離にいるはずの二人なのに、二人を隔てるような巨大な大地の裂け目が出来ており、彼女はそれ以上彼に近寄れない事に恐怖を覚えたのである。
つまりは精神的な絶縁。フランカは彼に見捨てられたと言う事実に恐怖したのだ──ああ、この人は私に二度と笑顔を向けてくれない と
「さようなら師匠、ううん、オレル・ダールベック」
「ああ、さよならだ」
自分の研究する世界、自分の求める道があるとする。
それに対して一心不乱に突き進むのは求道と言う言葉の美学で飾られるかも知れない。
その先にもし、輝ける結果が待っていて、それを見つけて栄光に輝く自分がいたとしても、得てしてそう言う者は何かを犠牲にしている。
それが自分の人生であったり、身の回りの人々の不興を買う程度ならまだ可愛い。フランカ・ペトラは自分の知識欲を優先するあまりに、危うく人類の命運を天秤の反対側に乗せそうになったのである。
──いや、因果律が産んだ波紋は消す事は出来ない、無かった事には出来ないのだ。つまり、この世界に誕生してしまった核開発は、知識として残留思念の波として大陸中に広がって行く。決して消える事は無いのだ。
「この世界は、第二次世界大戦を迎える前に、核戦争で決着するかも知れないな」
フランカの視線を背中に感じながら、それを一切無視して車に乗り込む。
その時に呟いたこの言葉は、決して彼女を責める意味で口にしたのでは無かった。




