第13章 あの章は、だれの告白だったのでしょう
私は、語りました。
たしかに自分の言葉で、あのときのことを――あの「罪」とも呼べぬ感情を、淡々と。
誰にも理解されないことを承知で、
それでも誰かに知ってほしくて、
私は、告白したのです。
でも、最近ふと気づいてしまったのです。
あのとき、私が語っていた言葉の調子が、どこか“私らしくなかった”と。
まるで、誰かに語り方を教わっていたような。
あるいは、“語るように仕向けられていた”ような。
そんな、違和感。
もう一度、自分の章を読み返してみたのです。
すると、思い出せない感情がありました。
たとえば、あのときに流れた涙の意味。
それが何の涙だったのか。悲しさだったのか、安堵だったのか。
私は、自分で語っておきながら、答えられなかったのです。
もしかしてあれは、
“語ることを前提に組み立てられた私”の姿だったのではないでしょうか。
本物の私がそこにいたのではなく、
“読まれるための私”が、そこにいただけではなかったかと。
誰かが、私に語らせたのです。
私という存在を、「読ませるための装置」に変えて。
文章の流れは整いすぎていて、
感情の起伏は脚色じみていて、
結末に向かう流れは予定調和すぎた。
あれは、きっと“読む側”にとっての告白だった。
“書かれた私”の視点で、“読まれたい形”に仕上げられた一章。
そうでなければ、
どうしてあんなにも多くの“読者の顔”が脳裏に浮かぶのでしょう?
あれは、私の告白ではなかった。
あれは――
読者が望んだ“私”の告白だった。
もしも、あなたが、あの章を「彼女の本音だった」と感じたなら。
それは、私の感情ではなく、
あなたの感情をなぞっただけの言葉だったかもしれません。
そして今、私は問い直します。
あの章は、だれの告白だったのでしょう。
それでも、あれを読んでしまったあなたには、
もう逃げ場がない。
それは、あなたの罪にも、なってしまったのだから。




