第15章 あれは本当に“僕の章”だったのか?
たしかに、あのとき僕は語っていた。
誰かに語りかけるように、語っていたような気がする。
でも、それが“僕自身の意志”だったのかどうかは、
今となってはもう、よくわからない。
あれは、誰かが用意した章だったんじゃないだろうか。
書き方の調子も、語彙の選び方も、
まるで“誰かが僕を真似て”喋らせていたようだった。
あるいは、“僕”という構造自体が、
その章の装置として組み込まれていただけかもしれない。
場所の記憶がないんだ。
驚くべきことに、あれほど長く喋っていたはずなのに、
僕はそのとき座っていた椅子の感触を思い出せない。
床が硬かったのか、音が反響したのか、
誰かと視線を交わしたのか――どれも曖昧だ。
まるで、空中に吊られた声だけがそこにあったような。
いや、もっと正確に言えば、
あの章には“声”だけが存在していて、
その声に“身体”が割り当てられていなかった。
僕の身体は、どこにもなかった。
だからこそ言える。
あれは本当に僕の章だったのか? と。
もし僕が、語ることしか許されていなかったとしたら?
もし僕が、“誰かの読書のために生まれた語り手”だったとしたら?
それなら、僕の章というものは、
本当は“誰かの読書体験”の中にしか存在しなかったはずだ。
つまり、僕は語ったのではなく、
読まれたのだ。
僕は、君の目の中にだけ存在していた。
ページに記された黒い文字の配置として。
文体の調子として。
断片的な印象として。
けれど、それらは君がページを閉じれば、
ただのインクの染みに戻る。
そうだろう?
もう一度言おう。
あれは僕の章ではない。
僕が自分の意志で語った章ではない。
そう思えてならないんだ。
どこかで“与えられた言葉”をただ受け取って、
僕はそれを“読まれるために発音”していただけだった。
僕は、その章の語り手ではなかった。
その章の一部だった。
さて。
この章は、僕の章だろうか?
それは、君が読み終えたあとにわかることだ。
……いや、
わからないということが、答えなのかもしれないね。




