第四幕
朝のまどろみの中で、わたし達の小屋には静寂が満ち溢れていた。
結局何も無しに一晩が過ぎたのだ。
あぁ、このまま今日も何もなければいいだろうと思った。
昨日の悲鳴の通信が効いたらしく、軍は予定を早めて移動をしているらしい。その上で、「小屋の職員の一時撤退」を決めたとのことだ。安全が確保されるまで、良くも悪くもわたし達は街に戻ることになる。もっとも、フレッグにとっては気が気ではないのだろうが。
皇国軍の通信が入った。
マーロの街はひどいありさまだったらしいが、それでもドーム二つの被害で済んだらしい。階層をつなぐ連絡電車や、下層は無事だったと報告があった。
それでもマーロの富裕層の八割、人数にして二千以上の人間は死んだことになるのだろう。この数字はなんと口に出すことのできない寂寥感で場を支配した。
フレッグにとっては下層の家族の安心はひとまずよかったと言えるのだろうが、それでも同じ街の人が亡くなった事実は痛ましく、今後の街の運営にも大きな影を落としていることだろう。
ドーム二つが壊されていることからも、余りにも大きな被害であったといえる。
アンスリューは顔面を白くしながらも、冷静さは失ってはいなかったようで、「少し横になる」といって自室へ戻っていった。
わたしも横になりたい欲求がでてきたため、フレッグに後をまかせ、少しの間その場で横になることとした。
横になるとかすかに明かりを感じ、重い体に引っ張られるようにまどろみの中へすぐに落ちていった。
どれくらい時間がたったのだろうか。
フレッグがわたしの体をゆすって起こしてきた。「外で物音がする」というのだ。映像を確認しても特になにも映っていなかったから軍ではないらしい。
わたしはアンスリューを呼ぶようにフレッグに指示し、目覚めたばかりの体に鞭を打って扉の方へと近づく。
そうすると、「ずる…ずる…」という何かを引きづるような物音がした。
すぐに、アンスリューとフレッグがやってきた。
アンスリューも音を確認し、確かに物音がするため、アンスリューに短波通信機を渡し、地下二階の映像室で入口を見張るよう指示した。
フレッグに杭打ち機を持たせ、わたしは斧を構えて扉の方へと向き直った。
すぐさま、アンスリューから連絡が入る。「何も映っていないが、風除室が風でなびいている。穴があけられているみたいだ!」と叫んでいた。
わたしは通信機をとって叫んだ。
「こちら、AL一〇八!AL一〇八!噂の奴がどうやらこっちまで来たようだ!軍が近くにいるなら助けてほしい!こっちはバリケード作って粘ってみるが、どういうモノか分からないんだ!」
わたしの大声に呼応するように、一つの呻き声ににた声を聴いた。
「ウォオオン!」
それは人の言葉が出せる言葉ではない!
あぁ、それは扉の前に!
テーブルに伏せていた体が吹き飛ばされる感覚があった。
鋼鉄製の扉なんて紙屑同然にひしゃげている。
なんだその力は!
驚くのもつかの間、ひしゃげた扉は粘土のようにゆがみながら吹き飛んだ。
派手な音に驚くわたし達の横を、滑るように扉が飛んで、壁に激突した。
そして、入口から目の前に現れたそれは、今まで見たこともない姿をした生き物だった。
極度に肥大化した頭部は鼻と口が前にせり出すようになり、口から覗く鋭い牙が幾本も見え、だらしないその口元から紅い舌がちろちろとまるで蛇のように揺らいだ。わたしの倍はあろうかという体は、小さい入口に阻まれて中に入ることはできない様だった。
その入口から執拗に中のものをかき出そうとする様に、異様に長く太い腕を入れてきた。
全身には、まるでそれ自体が生き物のように黒い逆立つ毛がびっしりと生えており、まるで触手にようにゆらゆらと蠢ていてる様はまるで冒涜的な印象を与えた。
「フレッグ!」
わたしは叫び硬直したままだったフレッグに向かって椅子を蹴っ飛ばす。
派手な音で驚きフレッグは一瞬身を竦めたが、すぐに階段のある奥の方へと下がっていった。
「なんだ!あれなんだ!」
「獣だ!おいフレッグ!打て!」
「クソ!あんなの押さえつけられるわけないだろう!」
この状況になるなんて。
あぁ本当に悪い夢であってほしいと祈った。
しかしこれは夢ではない。
自ら持っていた斧を振りかぶって、その太い腕の先にある指を狙って振り下ろした。
狙いは良かったようだが返ってきた重さは、想像の比ではない。
過去にケーブルを切った事があったが、その手ごたえとは違う異質な重さだった。全く別種の極度に分厚いゴムの塊にぶつかったような感触を得た。
獣はその指にあたったわたしの斧をまるで意に介さず私をつかんできた。
咄嗟に身を翻す。しかし、私の右の脇腹に獣の爪が引っかかった。
引き裂かれる肉の感触と焼けるような痛みが襲った。
「……っ!」
わたしは叫んだ。叫んで斧を振り回した。
わたしの名を叫ぶ声が聞こえる。
突如、わたしはその獣に吸い寄せられる様な感触を得た。
掴まれたと分かったのはその蠢く触手のような毛の感触を全身で感じたからだ。
もぞもぞと、それでいて意思が無いようで。
発狂しそうな気持ち悪さを覚えたが、言葉を発することもできなかった。
直ぐに嫌な音が全身に響く。
右腕に持っていた斧は落とし、身をよじる度に響き渡る痛みは、全身の骨の悲鳴か。
突如全身を右に押し込まれる。
「グリーオ!」
わたしの名を叫ぶアンスリューが片手に白煙を上げる杭打ち機をもって叫んでいるのが見えた。
その後ろには斧を拾ったフレッグだ。
「……思い切りやれ!」
わたしはかすれた声でそう叫んだのを最後に、意識を落とした。




