第二幕
「獣がでた」
それは、初めて聞く言葉であった。
町外作業員になって八年で一度も聞いたことのない言葉であった。『獣』という物がまず実感が沸かなかった。なにやら恐ろしいモノだというのは、その鬼気迫る通信内容から聞き取ることはできるが、『全身黒く、まるで光の如き動きで怪力をもって建物を壊し、人を食らうモノ』だという。
わたしに理解できたのは、それの恐ろしいものが、マーロの街を破壊し、そのまま野に放たれたということだ。それも幾匹もだ。
わたし達は顔を見合わせどうしたことかと悩んだ。尤もわたし達の選択肢は、徒歩でマーロに行くなどということは最初から除外されていたし、マーロよりも遠い、北のブォストに向かうというのも除外されていた。あるのは、ここで待機するだけだった。
長距離の移動に徒歩で行こうというのであれば、皇国の軍事と同じくリコを服用している必要性があるが、帝国軍上がりのわたし達三人には誰一人ともその治療を受ける気がなかったため、長距離の移動をするには、装甲車を利用する以外なかった。
装甲車は四半期に一度くるだけであったし、ここにはその様な燃費の悪い(尤も敷設ケーブルからの電気供給での動力にはなるが)機械を置くだけの物資的余裕はないのも事実だった。
ここから北または南に十キロも進めば別の小屋はあるものの、そこへ行ったからと言って何かあるということももない様に思えたため(狭い小屋にさらに人を詰めたところでいいことは起きない)、結局最初から最後まで、理屈を捏ねたとしても、結論は『移動しない』しかなかった。
この未知の獣というモノに対して、わたしは興味を掻き立てられたが、同じ作業員である、フレッグにとっては憎悪の対象となっていた。フレッグは、マーロ生まれだ。貧しい下層で過ごし、やっと外へ出れたのが三年前で、二年前から一緒に仕事をしている。いずれは外で貯めた金をもとに、上層への足掛かりをし、家族と共に住みたいと語っていた。
もう一人の作業員、アンスリューにとっては興味の対象外で、わたしと同じブォスト生まれの彼にとっては、今日の作業をどうするかの方が大きな問題だったようだ。
そんな調子であるから、フレッグは怒り狂って「街へ乗り込んでやるんだ!」と捲し立て、アンスリューがそれを諫める格好となっていた。
わたしはどうしたものかと考えた。
通信によれば二、三日の内には、各方面から即応部隊が鎮圧に向かう旨の(最も早いのは西からの皇国の即応部隊が翌日には着くらしいが)通信は入っており、作業においてもその様な不穏なものがいるのであれば『中止』し、のんびり引き籠っていてもいいかもしれないとわたしは思っていた。
アンスリューは、金銭面でがめつい男であったから、できれば少しでも作業を行い金をとりたいと思っているだろうが、フレッグの様子をみて「下手に触れないために、作業は中止してもいいのかもしれない」とわたしに打診する程には冷静であったようだ。
確かに、ここで作業を行うといってもフレッグは勝手にマーロへ走って行って野垂れ死ぬだろうし、残されたわたし達二人は後に軍警から、なぜ見殺しにしたのかきつく咎めをもらうことになるだろう。場合によっては殺人の称号をいただき、最悪は死罪になることもあり得る。町外作業員はある種、危険を冒してでも外に出たいと思う貴重な存在であるから、重用される傾向にある。尤も、町の中の視線は痛いものはあるが。
そんな折、これ幸いとおもう通信が入る。「小屋は全面作業中止し、軍の到着を待つべし。」との通達があったためだ。
フレッグはまだ怒りを露わに喚き散らしてはいたが、アンスリューとわたしでどうにか宥めることとした。
「フレッグ、すぐに出て行って君はどうするつもりだい。ここからマーロまで徒歩で行っても二日程はかかるじゃないか。全く現実的ではない意見をいうものじゃないか。いつもの君らしくない。もっと建設的に行こうじゃないか。通信で会った通り、今日から当面は作業を中止して身の回りを片付けておこう。もしその獣というのがすべて駆除されなかったら、作業中に襲われることになるとなったなら、軍は今の体制のまま作業をさせるものかね。きっと違う方法になってしまうだろう。例えば、二つの小屋をまとめて人数を増員したり、あるいは軍の監視下で作業を遅々と進める方法だろう。尤もわたしが言う方法なんてすぐ思いついたものだから、きっと軍の上では素晴らしい案を持っていることだろう。当然、君の故郷についても何らかの便宜は図られれるだろう。家族の安否が心配なら、明日以降に通信で皇国軍を通じて確認をとってみたらいいんじゃないか。直ぐに状況は分からないだろうが、その方が現実的だろう。君の怒りは分かっているつもりだけど、君自身が傷ついてしまっては元も子もないだろう。フレッグ、君は何のためにここにいるのか。家族のためも含めて君は、君の価値を上げるためにいるのだろう。だったら、もう少しで調べる手が入るんだ、少し、少しの辛抱をすることはできないのだろうか。そうだな、例えば、君の怒りをぶつける物が必要ならどうだろう、今日の夕食の当番は君に譲るから、好きなだけ腕を振るうと良い。どうせ、よくも悪くも一度は装甲車は来るんだし好きなだけ使っていいんじゃないかな。マーロまでの回線が必要なくなれば、わたし達は引き上げることになるしね。そうなってしまえば、重い物資は放置して引き上げだ、せっかくならぱーっと使うのもありだとはおもうね。どうだい?アンスリュー。」
わたしの提案にアンスリューは頷き、フレッグはそっぽを向いたままだが、わめき散らすことはやめた。少し熱が下がったのかもしれない。




