【春里の奏太へのお願い】
春里が奏太と約束をしたのはテストが始まる一週間程前だった。
「やっぱり人参を鼻先にぶら下げてもらいたいんだ」
奏太は何の脈略もなく突然言い出した。無邪気な口調と笑み。春里はなんか嫌な予感がしていた。
「今まで俺って百番以内には入っていたんだけれど、五十番以内には入った事ないんだ。と言うことで、賭けでもしてみない?」
奏太の提案に春里は溜め息を吐いた。
「なんとなく分かりました。それで?どうすればいいんですか?」
「話が早い人好き。頭のいい人大好き」
奏太は無邪気にはしゃぐ。そして、春里ににこりと微笑んだ。
「それは、結果が出てからのお楽しみなんだけどね、俺のお願いを聞いてもらいたいんだ。もちろん無理なことは言わない。いやらしいことも言わない。だから安心して」
「なら、わたしも五十位以内に入ったらお願いを聞いてもらえますか?」
「もちろん」
いい返事か返ってきた。その勢いと雰囲気で春里は簡単に了承した。何も考えていなかったというのが近いのかもしれない。ただ、そういうのも悪くないと思った。
テスト結果が貼り出され、春里は予想以上の結果に笑みを零した。
「篠原さんってすごいね」
隣に立っていた姫川が呟くように言った。
「今回は勉強したところが出てくれたからね」
「それだけじゃないでしょう」
姫川はクスクスと笑う。
確かに十位以内には入れるかもしれないと思っていた。ただ、この学校の生徒がどの程度の頭脳を持っているのか分からなかったから手探りではあった。奏太と賭けをしたが、自信がある裏には不安もあった。だが、蓋を開けてみたらどうだろう。不安がることなどなかった。
貼り出された紙の一位のところにきちんと春里の名前があった。
「わたしは三十二番だよ。これでも篠原さんのお陰で上がった方だけれど、やっぱり違いが出るよね」
あのいじめ事件の後から春里と姫川は急速に近づいた関係になった。そして、当たり前のように一緒にいる事が多くなり、姫川の勉強も見てあげることが多くなった。
「次回は十位以内に入れるようにお互い頑張ろう」
春里が言うと、姫川は嬉しそうに微笑み、頷いた。
この学年で春里が通う普通科は四百名以上いる。だから、三十二位は決して悪い結果ではない。奏太と五十位以内と言っていたのもそれなりにそれがいい成績だと思ったからだ。だが、実のところ奏太の場合は少し違う。三年生になると選択によって受ける授業が変わって来る。
奏太は貴之と同じクラスなので、理数系に当たる。なので、テスト結果の提示も文系と理数系に分散されるのだ。春里がそれに気づいたのはテストが終わってからだった。単純計算からすれば二百名中五十位以内と言う話になる。奏太は策士だったのかもしれない。春里はうかつだったと思いながらも、奏太にそれを指摘するのを止めた。あまりにも奏太が楽しそうだったから。
その日もやはり奏太は下駄箱のところでいつもの格好をして待っていた。春里が近付くと満面の笑みで迎えた。この笑顔を見れば春里にも分かる。結果は上々だったのだろう。
「俺、すごいよ。二十一位」
確かにすごいのかもしれない。今まで五十位にも入っていなかったというのだから、二十一位は快挙だろう。だから、気が咎めた。ここで春里の結果が言い辛くなってしまった。だが、そんな春里の気持ちなど関係なく奏太は春里のテスト結果を聞いてくる。口ごもっていると、楽しそうに春里を攻めてくる。だから、春里は仕方なく言った。
「……一位です」
多分、奏太の耳にも届いていたはずだ。一度言えば分かるようにはっきりと言ったのだから。だが、耳を疑ったのだろう、惚けた顔をして「はあ?」と裏返った声で聞いてきた。
「一位なんです」
春里はうまく微笑むこともできなかった。
「へえ、春里ちゃんって頭いいんだ」
「それしか取り柄がないんですけれどね」
自分でも頭がいいと分かっているから否定をする事はない。頭がいいと言うよりも勉強が好きだった。誰かと騒ぐよりも、難しい問題を解き明かす事が何よりも好きで、それをしていると時間が早く過ぎて行った。
「否定もしないところが春里ちゃんらしいね」
奏太は両手を後頭部で組み、空を見上げながら言った。うす雲が全体にかかっている空は秋らしい色を持っている。
「わたしらしい、ですか……」
春里は自分らしい、とはどういうことなのか未だに分からないでいる。いろいろと自分を守るために被ってきたものが多過ぎて、どこに真実の自分が存在しているのかも分からなくなってきていたのだ。だから、出逢って間もない奏太にそういう事を言われる事が不思議でならなかった。
「でね、俺のお願いは一日デート。映画を一緒に観に行かないかな?後はランチね」
もう抑えられないと言った笑みを浮かべながら弾けた口調で奏太は言った。こんな風に言われてしまったら、さすがに春里も拒否はできない。
「いいですよ。何か観たい映画があるんですか?」
「当日までに調べるよ」
「分かりました」
奏太は今にもスキップしそうな勢いだ。春里は自分と一緒に過ごして何が楽しいのだろうと思うのだが、奏太がそれがご褒美だと言うのならいいのだろう。
「ところでさ、春里ちゃんのお願い事は決まった?」
奏太は春里の顔を覗きこむ。いつもの優しい笑みは春里を笑顔にさせてくれる。
「はい。奏太さんが進路が決まってからでいいんですけれど、一緒に遊園地にでも行きませんか?」
「え?遊園地デート?」
きっと思いもよらない提案だったのだろう。予想以上の表情を見ることができて春里は大満足だった。
「もちろん貴之さんも一緒ですよ」
そう、春里はここ何年も遊園地に行っていない。それでも別になんとも思っていなかったのだが、なぜか遊園地に遊びに行きたいと春里は思ってしまった。
今春里と仲がいいのは姫川だけだ。だから、姫川と二人で遊園地に遊びに行くことを想像してみた。だが、楽しんでいる映像が想像できなくて、力尽きた。
次に奏太と貴之と一緒に行くことを想像してみた。すると、姫川とは想像できなかった事が容易に想像できてしまったのだ。春里は二人が一緒にいる空間が好きだ。二人の会話が楽しい。そこに時々割り込む事がおもしろい。だから、奏太と貴之と三人で楽しい場所に遊びに行きたいと思った。
「俺と二人きりじゃ駄目なの?」
「はい。貴之さんもいてはじめて楽しめるので」
「何かそういう言い方、傷つくんだけど……」
「なんで、ですか?わたしはお二人の楽しげな雰囲気が好きだから、きっと遊園地も楽しいだろうなって思っただけなのに」
「貴之と二人きりだったら行くでしょう?」
春里にはどうして奏太がそんな事を言うのか分からなかった。春里にとってはどちらが欠けてもいけないのだ。遊園地で楽しむには二人揃う事が大切なことなのだから。
「わたしは三人で行きたいんです」
「まあ、賭けの結果のお願いだから、拒否はできないしね。映画は二人きりで行けるわけだし、まあいいか。でも、受験が終わってからじゃ遅くない?」
「わたしは受験の邪魔はしたくないんです。きちんと先の約束をしてくれれば、わたしはそれを楽しみに頑張れますから」
三人で思う存分楽しむには、二人の心配事が減ることが大切だ。受験勉強から解放され、これからの輝かしい未来を期待している時だからこそ楽しめそうな気がする。
「分かった。俺もそれを楽しみに頑張るよ。貴之には春里ちゃんがきちんと伝えるんだよ」
「はい」
約束ができた事が嬉しかった。『奏太が一緒』と言えば絶対に貴之は拒否しない。だから、貴之との約束も取り付けたようなものだった。
ということで二人のお願い事がきまりました。春里は頭がいいけれど、その分運動神経がすこぶる悪い。奏太はどれもほどほどという感じでしょうか。じゃあ、貴之は?と考えると、どちらもいい感じかも。
次回は春里と奏太のデート。だけれど、視点は貴之です。貴之の心情。
次回もお付き合いください。




