とある××××公爵の独白⑤
その日の朝、看守は来なかった。
毎朝、朝食を持ってきては他愛のない世間話をしていく、恰幅の良い気のいい男。
東の国のこと、教会のこと、市場で流行っている菓子のこと。
そんな話を聞くのが、いつしか牢獄での唯一の楽しみになっていた。
外で何かあったのか、それとも自分の処刑の日がついにくるのか。
最早どちらでもかまわなかった。
――いっそ、早く終わらせてくれればいい。
そう思いながら、テオドールは壁にもたれ、鉄格子から漏れる光を眺めた。
思い返すのは、あの最後の人生だった。
◇◇◇
何十回目だったのか。
いや、何百回目だったのかもしれない。
もう数えることすらやめていた。
そんなある日。
私は、一つの真実へ辿り着いた。
リリアーナには、おそらく別の人格が存在する。
そう考えなければ説明できない出来事が、あまりにも多すぎた。
精神干渉を受けたあと、リリアーナは、ごく稀に自分の知らないことを口にした。
「この数字、集計方法を変えた方が早いのではないですか?」
「……今はまだ、この教会があるんだ」
そんな言葉を口にするのは、一瞬だけだった。
本人は話したことすら覚えていない。
まるで夢でも見ていたかのように。
次の瞬間には、元のリリアーナへ戻ってしまう。
十年に一度あるかないかの発言。
一度の人生なら、気のせいで終わる程度の違和感だった。
だが、私は十年もの人生を、何度も繰り返した。
僅かな違和感を、何十回も、何百回も積み重ねた。
そして、ようやく気付いたのだ。
“その女性”は、おそらく成人している。
話し方、物事の考え方、知識。
どれを取っても七歳の少女ではない。
恐らく私と、それほど年齢も変わらない。
そして、恐ろしく聡明だった。
最初は、娘が生み出した別人格なのだと思った。
辛すぎる現実から心を守るため、人は時に自ら別人格を作ることもあると聞く。
しかし、それでは説明できないことが一つあった。
彼女は、未来を知っているようだった。
十年近く先の出来事を、まるで自分の記憶であるかのように口にすることがあった。
「エドガーは魔法の才能があるから」
そうぽつりと呟いたときにはぞっとした。
十年後から戻った私は知っていた。
エドガーが王立学園へ入学後、その魔法の才能を開花させ、学生の身で宮廷魔導士を手伝うことになる未来を。
しかしそれまでのエドガーは、レイナの教育方針もあり、魔法などまともに扱えない、ただ勉学に秀でた少年だった。
そんなことが、別人格で説明できるはずがない。
では、彼女は何者なのか。
私にはわからなかった。
わからなくてもよかった。
別人格でも、未来から来た誰かでも、神の悪戯でも。何でもよかった。
ただ、それが誰であれ、一つだけ重要なことがあった。
おそらく、彼女は精神干渉に完全には呑まれていない。
だからこそ、時折あの人格が表へ現れる。
そして、あれほど聡い彼女なら。
私には決してできなかったことを成し遂げられるかもしれない。
――王家の監視術式を欺き、運命そのものを覆すことを。
あまりにも愚かな賭けだった。
成功する保証など、どこにもない。
もし違えば、私は娘をさらに苦しめるだけだ。
だが、私は思い出す。
断頭台に立つ、見た目も精神もボロボロになったリリアーナを。
彼女の白く細い首にギロチンが落ちる瞬間を。
血に濡れた彼女の首が、石畳を転がる光景を。
そんな姿を何十回いや、何百回と見させられたのだ。
どんなに希望的観測だったとしても、もう他に選択肢など残されていなかった。
◇
私は考えた。
どうすれば、あの人格を引き出せるのか。
思い返せば、あの人格が表へ現れる頻度は、年齢とともに減っていた。
一番多かったのは七歳。
精神干渉を受けた直後だった。
歳を重ねるにつれ、あの女性の発言はなくなっていく。
精神干渉そのものが、あの人格に何らかの影響を与えている。
そう仮説を立てた。
ならば、さらに強い精神干渉をかければ彼女を引き出せる可能性はある。
精神干渉は高度な術式となり、それこそ特殊な魔術を使える魔道士が複数人いて、ようやく行うことができる。そして彼らは王家に抱え込まれている。
私が金に物を言わせたところで、どうにかなるものではなかった。
それならば、王家がリリアーナに精神干渉をかけなおす理由を作らなければならない。
王家が危険視するほど、リリアーナは壊れている必要がある。
そうすれば奴らは、自ら娘へ強い精神干渉を施すだろう。
そして古代魔獣召喚を成功させるには、彼女自身が王家と、その取り巻きを憎み続けなければならない。
つまり、私はリリアーナを見捨てなければならないのだ。
そう気づいた瞬間、胃の底で泥濘のようなものが蠢き、喉元までせり上がってきた。
私が守れば、リリアーナはこれ以上傷付かずに済む。
だが、それだけでは何も変わらない。
あの子は結局母のために復讐を選び、古代魔獣を召喚し、そして処刑される。
何百回繰り返しても、その結末だけは変えられなかった。
だから、見捨てる。
エドガーから。
カイルから。
ユリウスから。
私は、娘を守ってやることができない。
リリアーナが彼らにどんな仕打ちをされるか知っているのに。
それが、親としてどれほど残酷な選択なのか。
私は誰よりも知っていた。
リリアーナの凶暴性がピークとなる十六歳まで、およそ九年。
私は、耐え続けた。
使用人たちから遠巻きにされても。
傷だらけになって帰ってきても。
衣服が乱れていても。
私は、何もしなかった。
私は何度も自分自身を責め、毎晩、誰にも聞こえない地下室で、一人嗚咽を殺した。
そして、リリアーナが十六歳になり学園入学を控えたころ、私は、自ら王家へ報告した。
「娘は日に日に攻撃的になっております……このままでは、何をしでかすかわかりません」
さらに、決して口にしてはならない言葉まで使った。
「……いずれ王家へ牙を剥くやもしれません」
あの日。
王城から戻る馬車の中で。
私は吐いた。
何度も。
何度も。
自分が今、何をしようとしているのか。
誰よりも理解していたからだ。
数日後、王家は決断した。
リリアーナへ、より強い精神干渉を施すことを。
私自身の手で。
娘へ、さらなる呪いをかけさせた。




