とある××××公爵の独白⑥
数日後、王家による精神干渉を終えたリリアーナは、驚くほど大人しくなっていた。
だが、それは以前のような、生気のない静けさではない。
「お父様、おはようございます」
その一言を聞いた瞬間、私は言葉を失った。
娘から挨拶されるなんて、何年振りだろうか。
穏やかで、落ち着いた声音。
相手を気遣うような感情のこもった話し方。
それは、狂う前のリリアーナのように思えた。
賢く、誰よりも心優しかった、私の娘。
私は思わず目を逸らした。
泣いてしまいそうだったからだ。
しかし、断定するのはまだ早い。
「……今日は随分殊勝な態度だな」
リリアーナは目を丸くした後、淡々と答えた。
「挨拶をしただけでそんなことを言われるなんて、今までの態度を反省しなくてはいけませんね。これからは心を入れ替えて良い娘になりますわ」
――賭けに、勝った。
そう思った。
リリアーナの感情が落ち着いたのは間違いない。
だが、まだ“あの女性”が表に出ているのかは確信が持てなかった。
「ところで、リリアーナ。この帳簿なんだが」
私は仕事の書類を差し出した。
過去の発言から、“あの女性”には会計の知識があると踏んだからだ。
十六歳のリリアーナにはまだ教えていないことだった。
「ああ。それなら、こちらの費用を先に整理してから利益を計算した方が分かりやすいと思います」
リリアーナは涼しい顔で答える。
私はその瞬間、確信した。
今ここにいるのは、私が知るリリアーナであり、同時に、あの“もう一人”でもある。
◇
私はリリアーナに悟られないよう、彼女を誘導する必要があった。
まずは、娘が知らねばならない事実を伝えるために、アルヴェルト家が代々受け継ぐ秘密を話した。
本来ならば、成人するまで伝えることは許されない。
だが私は、『学園入学前には伝えるしきたりだ』と嘘をついた。
王家による精神干渉。
監視術式と、王家の監視について。
そして、この一族が王家に逆らえない理由。
リリアーナは最後まで一言も口を挟まなかった。
静かに聞き続け、話が終わると、ただ小さく息を吐いた。
「……そういうことだったのね」
その一言は妙に大人びて感じた。
彼女はしばらく何かを考えた後、ゆっくりと口を開く。
「……お父様、私からもお願いが」
「なんだ」
「本日教えていただいた精神干渉術式に関する本があれば、貸していただけないかしら?」
――動いた。
「かまわない。しかし、何か悪用しようとしているのではないな?」
私が訝しむように装うが、リリアーナは全く怯まなかった。
「まさか。でも、自分に施される術式くらい、理解しておきたいだけですわ」
思わず目を見開いた。
その堂々たる態度に、なぜだか安心した。
私は理解した。
もう、この子は私が守るだけの存在ではない。
私よりもずっと先を見ている。
「……わかった」
私は頷いた。
「本は手配しておく」
その瞬間だった。
リリアーナがにこりと微笑んだ。
あの事件以来、初めて見る笑顔だった。
その笑顔だけで、何百回と繰り返した人生が報われたような気がした。
◇
それからリリアーナは、静かに動き始めた。
表向きは、今までの悪行を反省し、礼儀正しく過ごす公爵令嬢。
しかし私は知っていた。
娘が、水面下で盤面を動かし始めていることを。
私は何も聞かなかった。
聞けば、王家への悪意として監視術式へ映るおそれがある。
だから知らないままでいた。
その代わり、娘が動きやすいよう、できる限りの手を打った。
まず、エドガー付きのメイドを些細な理由で解雇した。
そして代わりに、リリアーナに共感してくれそうな、聡明な同年代の少女を後任として迎え入れた。
後にエドガーの手記を入手できたのも、その娘がいたからだった。
もちろん、それも私の計らいである。
本来であれば、優秀なメイドが主人の持ち物を勝手に持ち出すなどありえない。
私が『リリアーナがどう扱うのか見てみたい』と、手記の持ち出しを内密に許可したのだ。
私の期待に応え、彼女は見事に役目を果たした。
エドガーがいなくなった後もリリアーナの侍女となり、やがて主従というより、良き友人のような関係になっていった。
そういえば、彼女は私が拘束されたときには既に姿を消していた。
……どうか、どこかで無事に暮らしていてほしい。
エドガーの仕事をリリアーナに確認させたのも、私の意図によるものだった。
普通なら十六歳の娘へ任せる仕事ではない。それでも私は任せた。
あの女性なら、必ず違和感に気付くと信じていたからだ。
レイナとエドガーを屋敷から去らせた時も同じだった。
個人的な敵意ではない。
あくまで公爵家の運営上、必要な判断。
リリアーナが偶然何かを見つけ、私がそれに対して厳しい対処を行う。
そう見える形だけを選び続けた。
学園へ入ってから先は、もう私の干渉できる範囲ではなかった。
それでもリリアーナは、魔獣討伐に関わる者たちを一人ずつ表舞台から退けていった。
私は娘から頼まれたことだけは、できる限り叶えた。
ベルトン家への多額の寄付も、その一つだった。
学生の身には過ぎる額であっても、娘が必要だと言えば迷わず渡した。可能な限りの情報操作も行った。
また、私は公爵家で小さなトラブルを起こし続けた。そうすれば王家の監視は私に向き、僅かながらにリリアーナの行動に自由が生まれる。
王家に悟られないよう。
監視術式に映らないよう。
細心の注意を払いながら、私は娘の進む道を静かに整えていった。
私にできることは、もうそれだけだった。
ミレイア・ルーンまでもが投獄されたとき、私は確信した。
やはり“あの女性”は未来を知っている。
未来の知識と、綿密な計画によって、ついにリリアーナは成し遂げた。
レオンハルト、そして王家への復讐を。
リリアーナが魔獣召喚を途中で止めたため、国家転覆までは至らなかった。
その結果、彼女は命を落とすことなく王都を去った。
それでも王家も実権を失い、今ではただのお飾りになっている。
何百回繰り返しても変えられなかった運命を彼女は変えたのだ。
◇
娘が古代魔獣を召喚したことで、私は捕らえられた。
古代魔獣召喚は国家反逆。
首謀者はリリアーナ。
そして私は、その父親だった。
私自身が魔法陣を書いたわけではない。
命令を下したわけでもない。
それでも、公爵家当主として責任を問われるのは当然だった。
私は一切弁明しなかった。
どんな罪でも甘んじて受け入れるつもりだった。処刑されたって構わない。
娘を見捨て、危険な賭けに巻き込み、復讐者へと送り出した。
罪深い父親が背負うべき報いなのだ。
◇◇◇
静まり返った地下牢。
テオドールは今日も、処刑の日を待っていた。
その時だった。
聞き慣れた足音が廊下へ響く。
毎朝朝食を運んできていた看守だった。
だが、その手に食事はない。
鍵束だけを握っている。
その顔にはいつもの朗らかな笑みはなかった。
看守は鉄扉の前で立ち止まり、静かに鍵を差し込む。
重い音を立て、扉が開いた。
「……公爵」
「元、だ。何度言ったらわかる」
ついにこの日がきたのか。
テオドールの胸には、安堵にも似た感情が広がった。
しかし、次に出た看守の言葉はテオドールの予想を裏切るものだった。
「釈放が決まりました。出てください」
「……何故だ」
看守は少しだけ間を置いた。
「城が落ちました」
テオドールは眉をひそめる。
「……何だと」
「東の国です」
沈黙が落ちる。
看守が何度も話していた東の国。ついに、ここまで来たのか。
「国王陛下は捕らえられました。王家だけは最後まで抵抗してたみたいですけどね。正直、戦力差がありすぎて、戦いにもなりませんでしたよ」
看守がようやく口角をあげた。
「新政権は、旧王政が反逆罪で収監していた者たちを恩赦すると発表しました」
テオドールはしばらく動かなかった。
やがてテオドールは立ち上がり、ゆっくりと鉄格子の外へ踏み出した。
「よかったですね、公爵。……私は少し寂しくなりますが」
その言葉を聞いたテオドールは、看守のほうに振り返る。
「釈放されたとて、私は公爵ではない」
いつも通りの、突き放すような声色。
しかし次の瞬間、彼は初めて看守へ笑い返した。
「……これからは、テオドールと呼んでくれないか?」
看守は少し目を丸くした後、再びいつもの人の良さそうな笑顔を浮かべた。
◇
テオドールは地下牢を出た。
久しぶりに浴びる陽光が眩しい。
王城前の広場には、新政権の兵士たちが整列していた。
その中央には、見覚えのある者たちが控えていた。
そして、彼らに囲まれて、一人の女性が立っている。
銀色の髪、濃紺の瞳。
テオドールと視線が交わる。
「……久しぶりだな、リリアーナ」
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
せっかく番外編を書くなら、読み応えのあるものにしたいと思っていたら、気づけば全6話になっていました。
少しでも楽しんでいただけたなら嬉しいです。
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