とある××××公爵の独白③
その日、地下牢の外は朝から妙に騒がしかった。
廊下を行き交う兵士たちの足音も慌ただしい。
朝食を運んできた看守も、どこか落ち着きがない様子だった。
「何かあったのか」
テオドールが尋ねると、看守は困ったように笑う。
「聞いてませんか、公爵。第二王子、エーベルハルト殿下が王城を出奔されたそうですよ」
「……出奔?」
「ええ。王様は血相を変えて探してます」
「誘拐ではないのか」
「違います。どうも、旅に出たまま帰ってこないミレイア様を追いかけたらしいんですよ」
「……そうか」
「国は大騒ぎですけどね。国民の間じゃ『身分を捨てて愛を選んだ王子』なんて、美談になってます」
看守は肩をすくめる。
「王家としては笑い事じゃありません」
テオドールは小さく笑った。
娘を追い続けた少女。
その少女を追いかけた王子。
きっと、彼らは幸せになるんだろう。
「……それは、よかった」
看守は不思議そうな顔をしたが、何も聞かずに牢をあとにした。
鉄扉が閉まり、静寂が戻る。
テオドールは静かに目を閉じた。
あの三度目の人生を思い出す。
◇◇◇
三度目に目を覚ましたとき、私には確信があった。
リリアーナを壊したのは環境だ。
ならば、その環境を変えてしまえばいい。
私は最初にレイナとエドガーを屋敷から追い出した。
公爵家の跡取りとして迎え入れた義息を追い出すのは世間の反発もあったが、そんなことはどうでも良かった。
使用人もすべて入れ替えた。
レイナとエドガーの策略とはいえ、娘を虐げた者は、一人残らず遠ざけた。
騎士団長の元へは直接赴いた。
カイルをリリアーナへ近づけるなと命じた。
侯爵家にも根回しをし、ユリウスとも接点を持たせなかった。
娘を傷つけた幼馴染たちは全て排除した。
もう誰にも、娘を傷つけさせはしない。
そう誓った。
◇
結果は、確かに変わった。
以前のような激しい癇癪は起こさなくなった。
物を壊すことも減った。
私と並んで紅茶を飲むことさえあった。
決して笑顔は見せない。
相変わらず人形のようだった。
それでも、穏やかな時間は確かに増えた。
学園へ入学してからも、大きな問題は起きなかった。
相変わらず学園では一人で過ごすことが多く、孤立しているようではあったが、誰かを攻撃したり、誰かと争うようなことはなさそうだった。
聖女候補ミレイアとの対立もない。
悪女と呼ばれることもない。
社交界で煙たがられるようなこともなかった。
初めて、私は未来を変えられたのだと思った。
――今度こそ、間に合ったのだと。
◇
だが、十七歳の春。
リリアーナは、再び古代魔獣を召喚した。
違ったのは、ただ一つ。
今回は魔族と手を組んでいなかった。
誰の助けも借りず、たった一人で――古代魔獣を呼び出したのだ。
アルヴェルト家の中でも、リリアーナの魔力量は歴代でも屈指だった。
それでも、一人で古代魔獣を召喚できるなど、聞いたことがない。
そんなことが、本当に可能なのか。
当時の私には、その理由がわからなかった。
◇
結末は変わらなかった。
いや、以前よりも早かった。
魔獣召喚が始まった、その瞬間。
ミレイアと王太子、そして仲間たちは駆けつけ、あっという間に術式を崩壊させた。
リリアーナは捕らえられた。
私は反逆者の父として拘束された。
そして、また、断頭台へ立っていた。
横には、見すぼらしい布切れを纏ったリリアーナが立っている。
今までの処刑のとき、彼女はもっと狂気を孕んだ目をしていた。
しかし今のリリアーナは呆然と遠くを見つめている。
民衆からの罵声の中、私は娘へ問いかけた。
「どうやって、あんな魔法を使った」
リリアーナは静かに首を振る。
「……私にも、わからないの」
か細い声だった。
「でも……私の中に、私以外の強い魔力が流れていた」
私は息を呑んだ。
「だから……それを使っただけ」
私以外の魔力。
その言葉を聞いたとき、嫌な予感がした。
覚えのある感覚だった。
そしてそれは、私が「あってはならない」と胸の奥へ押し込めた、あの疑念そのものだった。
「なぜだ」
私は震える声で尋ねた。
「なぜ、こんなことをした」
娘はゆっくりと私を見る。
精気のない暗い瞳に、私はどう写っているのだろうか。
「……お前は」
喉が震える。
私は、私は今度こそ完璧に娘を守ったと思っていたのに。
「私の知らないところで、誰かに虐げられていたのか……?」
リリアーナは小さく首を横へ振った。
「いいえ」
そして、力なく微笑んだ。
「でも……こうしなければ、いけないと思ったの」
セシリアにそっくりな濃紺の瞳には涙が浮かんでいた。
「そうしなければ……お母様が、浮かばれないから」
その瞬間。
私は初めて、胸の奥に得体の知れない違和感を覚えた。
――私以外の魔力。
――母親が浮かばれない。
その二つの言葉が、頭から離れなかった。
処刑人が娘と私の頭を乱暴に掴み、断頭台に乗せる。
「お父様……ごめんなさい」
リリアーナの瞳から涙が溢れる。
それは、数十年ぶりに見たリリアーナの本物の感情だった。
いっそ、今までのように狂気の令嬢のままでいてくれたほうがずっと楽だった。
私が守ろうとしたからこそ。
愛情を注ぎ続けたからこそ。
最後の最後になって、娘は本当の心を取り戻してしまった。
無情にも刃が振り下ろされる。
世界が赤く染まり。
私の意識は、再び闇へ沈んでいった。




