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第68話 祝福された完璧な王太子様⑩

 王城中央会議室。


 重苦しく澱んだ沈黙が、張り詰めた空間を完全に支配していた。

 厚いカーテンの隙間から、朝の光が細く差し込んでいる。だが、誰一人としてその清々しい光に目を向ける余裕などなかった。


 長机を囲むのは、この国の最高中枢。

 国王、王妃、宰相、大貴族の長たち、騎士団長。そして、教会側代表である大神官。

 誰もが死人のように青ざめ、固く口を閉ざしている。


 机の上に山のように積まれているのは、今回の災厄に関する最終報告書だ。

 王都の凄惨な被害状況、壊滅的な結界の損傷、未だ深刻な魔力汚染が続く避難区域。そして――教会が検出した決定的な“禁術運用記録”。


 その書類の最後部には、一際異彩を放つ一文が記されていた。


『リリアーナ・フォン・アルヴェルト 行方不明』


  

「……中央区画の被害は、現在も集計を続けております」


 宰相が、何十歳も老け込んだような掠れた声で報告を紡ぐ。


「外周の主要三区画は半壊。結界汚染区域は住民をすべて強制退去させ、依然として封鎖状態。城下では王家への強烈な不信感による、民衆の激しい混乱と暴動の兆候が続いております……」


 誰もが精神的に磨り減っていた。

 だが、今この場にいる全員が理解している。本当に国家の危機を招いているのは、物理的な被害そのものではない。

 この王国において、王家と教会は国家運営を支える“両輪”だ。互いを牽制し合えるだけの独立した権威を持つ。

 だからこそ、今回のように教会の定めた絶対法(禁術禁止)を破った証拠を正面から突きつけられた時点で、王家といえど黙殺は不可能なのだ。


「……教会側の、最終的な要求は何か」


 国王が、絞り出すように低く問う。

 大神官は、一切の躊躇なく、冷徹に答えた。


「王家が秘匿している管理術式の全面開示。禁術を運用していた責任者の厳罰処分。及び――次期王位継承権の再審議です」


 室内の空気が凍りつく。

 王太子の廃位。実質的な国家の首替え要求だ。だが、それを聞いてなお、王家側の誰一人として異議を唱える者はいなかった。



 その針のむしろのような空気の中心で。

 レオンハルトだけが、未だに自分の“正しさ”を信じて静かに佇んでいた。


「アルヴェルトへの管理は、必要でした」


 低く、どこまでもよく通る声が会議室に響く。重鎮たちの視線が、一斉に彼へと集まった。


「アルヴェルト家は、いつ暴発するか分からない危険血統です。今回、リリアーナが古代魔獣の召喚を仕組んだことで、私の懸念が正しかったと完全に証明された。もし事前に管理をしていなければ、これ以上の……いや、国そのものが滅びる被害が出ていた可能性すらあります」


 真っ直ぐな声。一切の淀みも、迷いもない。

 本気で自分は国家のための正義を行い、何一つ間違えていないと信じ込んでいる人間の声だった。

 だから。会議室の空気は、さらに冷え切った。


「……まだ、そんなことを言うのか、貴様は」


 誰かが掠れた声で、絶望を乗せて呟く。

 しかしレオンハルトは、己の正当性を証明するために淡々と弁論を続けた。


「問題の本質は、術式の制御失敗にあります。管理という方針そのものは必要不可欠だった。彼女を制御するための精神干渉も、長期の監視も、婚約による拘束も。すべては国家維持のために――」


「黙れッ!!!!」


 凄まじい怒声が、会議室を震わせた。

 全員がビクリと肩を揺らし、息を呑む。


 叫んだのは――国王だった。


これまで静観と沈黙を守っていた男が、初めて剥き出しの情動を爆発させていた。


「貴様という奴は……! 一人の人間を、一体何だと思っているのだ……!!」


 そこに含まれていたのは、父親としての怒り、王としての嫌悪、そして、目の前の我が子が“まともな倫理観の通じない怪物”に変貌していたことへの純粋な恐怖のように見えた。

 だが、レオンハルトにはその激昂の理由が理解できない。彼は不審そうに、僅かに眉を寄せた。


「……父上も、事前にすべて承認していたでしょう。リリアーナへの精神干渉術式の組み込みも、公爵家の監視体制も。すべては王家最高幹部の承認事項のはずです。なぜ今更、私一人の独断であるかのように激昂されるのですか」


 淡々とした、事実の確認。

 言い逃れをしたいわけではない。論理的な矛盾を指摘しただけ。だからこそ、その言葉はあまりにも残酷に、国王の退路を断った。


 国王の顔色が、一瞬にして土気色へと変わる。

 一瞬だけ。本当に一瞬だけ、その目に致命的な動揺が走った。


 ――そう、危険血統の排除・管理は、多かれ少なかれ王家全体の総意だったのだ。

 だが。次の瞬間には、国王の目から"父親"としての光が完全に消え失せていた。


「……レオンハルト。妄言はやめろ。全て、貴様の“独断”で行ったことだ」


 地を這うような、低い声。


「確かに私たちはアルヴェルト公爵家の管理、監視を行っていた。しかし長い歴史の中で、禁術などには手を出していない。国家の未来を憂うあまり、お前が狂気的な危険思想に取り憑かれ、暴走したのだ。我が王家は、お前が裏でそこまでの禁術を拡大運用していたなど、一切把握していない。王家は、お前の歪んだ完璧主義に利用された被害者だ」


 会議室が、しんと静まり返る。


 レオンハルトの青い瞳が、初めて、目に見えて大きく揺れた。


「……父上、何を……」


 彼はしばらくの間、言葉を失って立ち尽くしていた。ただ静かに、冷徹な目で自分を見下ろす実の父親を凝視している。

 その瞳に浮かんでいたのは、裏切られたことへの怒りではなかった。


 ―― “困惑”だ。


 なぜだ。なぜ国のために最善を尽くした私が、悪者にされている?

 その瞳は、本気でそう訴えていた。


 王の言葉は、完全な嘘ではなかった。


 王家は代々、アルヴェルト一族への監視と最低限の精神干渉を行っていた。

 だが、リリアーナだけは別だった。


 ――かつての“あの件”以来。


 彼女には異例とも言える多重の精神干渉術式が施され続けていた。


 そしてレオンハルト自身は、今なお気づいていない。

 それが、かつて自分が引き起こした過ちが巡り巡って招いた、破滅の始まりだったことに。


 国王の言葉に、周囲の側近や重臣たちは、ただ一斉に深く顔を伏せた。誰もレオンハルトを擁護しない。反論などできるはずがなかった。

 正確には、レオンハルトの独断で禁術を使うことなどできないと、ここにいる全員がわかっていた。しかしここで「王家全体が禁術に関わっていた」と認めれば、王朝そのものが転覆する。

 だから、秩序のためには切り捨てるしかない。


 レオンハルト一人を。



「教会として、正式に要求いたします」


 レオンハルトの哀れな姿を見据え、大神官が静かに引導を渡した。


「禁忌を犯し、王国の権威を失墜させた大罪人――レオンハルト・ヴァルディアの、王位継承権の永久剥奪を」


 かつて彼を熱狂的に支持していた重臣たちも。

 彼の優秀さにすがっていた貴族たちも。

 共に戦った騎士団長すら。

 誰もが静かに視線を逸らし、沈黙を守り続けている。


 かつて、誰もが憧れ、平伏した完璧な王太子。

 絶対に間違えない、間違えるはずがなかった、生ける理想。

 その美しき幻想が、今、音を立ててドロドロの泥へと崩れ去っていく。


 国王が最後の宣告のために口を開く。その声は、微かに震えていた。


「……レオンハルト・ヴァルディア。貴様の、王位継承権を剥奪し、すべての地位と特権を此処に召し上げる」


 部屋の空気が、完全に止まった。

 その瞬間――初めて、レオンハルトの端正な顔が、絶望によって無惨に歪んだ。


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