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第67話 祝福された完璧な王太子様⑨

 長い、地獄のような夜が明けようとしていた。

 瘴気で赤黒く染まっていた空は、夜明かりに押し出されるように、ようやく薄く白み始めている。


 だが、朝を迎えた王都のあちこちからは、未だに黒い煙が立ち上っていた。

 無惨に崩壊した街路。形を失って倒壊した建物。至る所に刻まれた、結界侵食の痕跡。


 ――だが、最悪の事態だけは免れた。


 中央結界は辛うじて維持され、王都を呑み込もうとしていた瘴気の拡大も、ようやく止まりつつあった。


 しかし地下礼拝堂の封印区画では、なお予断を許さない状況が続いていた。教会も王城術師団も手を出せず、ただ監視を続けることしかできなかった。



 王城、中央謁見広間。


 辛うじて崩落を免れたその広大な空間には、異様な空気が満ちていた。


 教会の高位神官たち。

 騎士団長や大貴族たち。

 王城術師団。

 そして――玉座に腰掛ける国王。


 その居並ぶ重鎮たちの視線の中心、広間の中央に、レオンハルトは毅然と立っていた。


 王太子の正装を身にまとったまま。だが、その衣服は血と煤で酷く汚れ、全身に一晩の激闘の跡を刻み込んでいる。それでもなお、彼の背筋は一寸の揺らぎもなく真っ直ぐに伸びていた。


「……中央結界の出力、安定化を確認しました」


 満身創痍の神官が、震える声で国王へ報告する。


「ですが……人的、物的な被害総数は、現在も集計不可能なほどに拡大しております」


 重苦しい沈黙が広間を支配する。

 誰も口を開かなかった。いや、開けなかった。



「国王陛下」


 重すぎる静寂を破り、最初に声を上げたのは大神官だった。


「この国の今後を諮る前に、我々として、どうしても確認しておかねばならぬことがございます」


 静かな声音。だが、それは広間全体を物理的に凍らせるほどの冷徹さを孕んでいた。


「今回の災厄を引き起こした、あの地下の召喚術式ですが……教会の解析班により、我が国の“王家管理術式”と完全に一致したことが証明されました」


 ざわり、と大貴族たちの間で不穏な動揺が走る。


「さらに解析を進めたところ、信じがたい事実が判明いたしました。その術式の根底には、我が教会の絶対禁忌である“精神干渉術式”が、長期間にわたって運用されていた痕跡が残されていたのです」


 大神官の鋭い視線が、真っ直ぐ国王へと向けられる。


「……陛下。これは事実ですか。王家は、教会の目を盗み、禁術に手を染めていたのですか」


 国王は答えない。ただ、青ざめた顔で固く唇を噛み締め、視線を彷徨わせる。

 広間が本格的にざわめき始める。


「精神干渉だと……? あの狂気の魔術か!?」


「王家自らが禁術を運用していただなんて……」


 困惑、嫌悪、そして王家への底知れない恐怖。その場にいる人間たちの感情がドロドロと混ざり合っていく。

 その糾弾の嵐の中心で、レオンハルトだけは、どこまでも静かだった。


「必要な管理でした」


 低く、よく通る声が響く。ざわめきがピタリと止んだ。


「アルヴェルト家は、一国を容易に滅ぼし得る危険性を秘めた血統です。国家の秩序を維持するためには、彼らを陰から監視し、制御することは当然の義務だった」


 真っ直ぐな声だった。一片の淀みも、罪悪感もない。

 本気で、己の行いこそが国家を守る正道と信じている。

 だからこそ――広間の空気は、深海よりも冷たく冷え切った。

 

「では」


 大神官が、憐れむような、あるいは突き放すような目でレオンハルトを見つめ、静かに言った。


「今回の王都崩壊の災厄は、その“完璧な管理”とやらが招いた結果なのではありませんか?」


 レオンハルトの冷徹な青い瞳が、わずかに細くなる。


「あなた方が構築した精神干渉術式を経由して、古代魔獣の召喚は成立した。結果として、王都は滅亡寸前に陥った。……違いますか、王太子殿下」


 レオンハルトといえど、これだけは否定できない。術式の解析結果はすでに共有されている。

 誰の目にも明らかだった。

 今回の召喚は――王家自身が築き上げた、管理構造を利用して引き起こされたのだ。


「…結果として、そうなっただけです。必要な処置でした」


「……レオンハルト・ヴァルディア」


 謁見の間の天井に、大神官の容赦のない宣告が響き渡る。


「この件は、再度査問の必要がありそうですね」


 その時だった。


「失礼いたします!!」


 広間の重厚な扉が開き、一人の騎士が血相を変えて駆け込んできた。


「地下旧礼拝堂の調査班より緊急報告! 災厄の中心にいたリリアーナ・フォン・アルヴェルトですが――」


 全員の視線が、弾かれたようにその騎士へ集まる。


「――消息不明です」


 瞬間、謁見の間がしんと静まり返った。

 騎士は息を整え、続けた。


「召喚術式は、リリアーナ・フォン・アルヴェルトが姿を消したのとほぼ同時に停止しております!」


「止まっただと……!?」


 広間にどよめきが走った。


「はい!その直後、教会と術師団は封印を再構築し、古代魔獣の再封印を確認しております!」


 息を呑む音が、あちこちから漏れた。


「では……王都は、助かったのか」


「はっ。しかし――」


 騎士は唾を飲み込み、続ける。


「リリアーナ・フォン・アルヴェルトは監視を続けていた封印区画から、忽然と姿を消しました」


「そんな馬鹿な、追跡魔術はどうした!?」


「それが、周囲に展開されていた全ての魔力反応が、ある一瞬を境に完全に断絶しており……! 現在、騎士団の全戦力を以て捜索隊を――」


「無駄だ」


 遮るように落とされた、静かな声。

 レオンハルトだった。騎士が言葉を詰まらせ、息を呑む。


「……殿下?」


 レオンハルトはゆっくりと目を閉じた。


「もう、どれだけ探そうとも見つからない」


 それは、彼が導き出した、確実な答えだった。

 

 一度も心が通じ合ったことはなくとも、管理し続けていたはずの婚約者。

 その歪んだ檻の隙間で、まさか自分を遙かに凌駕する計画を一人で完遂し、王家に致命傷を与えてみせたのだ。

 ――そんな怪物が、今更、凡庸な騎士ごときに捕まるわけがない。


  

 リリアーナ・フォン・アルヴェルトは、消えた。


 王家が隠し続けてきた醜悪な闇を白日の下へ晒し。

 二度と立て直せぬほどの政治的致命傷を残し。

 王都へ、その傲慢さを戒めるような深い爪痕だけを刻み。


 そして――風のように消え去った。


 あとに残されたのは、地下礼拝堂に転がる崩れた石片と、燃え尽きた忌々しい禁術の痕跡だけだった。

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