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第63話 祝福された完璧な王太子様⑤

 異変が起きたのは、唐突だった。


 最初は、微かな地鳴り。

 けれど次の瞬間――。


 ――ゴォォォォォォン……!!


 王都全域を激しく打ち鳴らすような、重苦しい轟音が響き渡った。


「っ、何事だ!?」


 城壁を見回っていた夜警騎士たちが、一斉に夜空を見上げる。

 大気が不気味に歪み、世界の魔力が狂ったように乱高下を始めていた。

 まるで、世界の境界そのものが悲鳴を上げているかのように。

 美しかった王都の夜空が、見る間に禍々しい赤黒さへと染まり始めていく。



「何が起きている!報告を!」


 王城内は、一瞬にして怒号の飛び交う戦場へと化していた。


「地下最深部より、測定不能の異常魔力反応!」


「封印領域の古代術式が暴走しています!」


「結界の出力が急低下!外周部が崩壊寸前です!」


 押し寄せる混乱と悲鳴。

 城内を未曾有の緊張が駆け抜ける中、その中心で、王太子レオンハルトだけが微動だにせず立っていた。

 冷徹な青い瞳が、地下最深部に繋がる廊下の奥へと向けられる。


「……地下旧礼拝堂か」


 苦渋をにじませた、低い声。

 胸の奥の嫌な予感は的中した。だが、これほどの規模など、流石の彼も想定の枠外だった。


 レオンハルトは側近と騎士団を引き連れ、凄まじい魔圧の吹き荒れる地下深くへと駆け下りた。



 地下旧礼拝堂――封鎖区域最深部。


 レオンハルトが駆けつけた時には、そこはすでに、現世の理が通用しない異界と化していた。

 床一面の巨大な魔法陣が赤黒く脈動し、空間そのものがメリメリと音を立てて軋んでいる。


「封印維持が追いつきません!防壁が消失します!」


「未知の召喚術式が展開中!出現対象、確認――ひっ!?」


 その瞬間、バリィィィンと空間が硝子のように割れた。


 ――ギィィィィアアアアアアアアアア!!


 人間の本能そのものを呪うかのような、おぞましい絶叫。

 獣とも、魔族とも違う。聞いただけで精神が汚染されそうな歪な咆哮だった。

 割れた空間の裂け目から、這い出てくる巨大な“何か”。

 漆黒の外殻に、蠢く無数の眼球。周囲の空気を腐らせていく圧倒的な瘴気。


「古代……魔獣……」


 へたり込んだ解析官の一人が、掠れた声で絶望を呟く。


 数百年前にアルヴェルト家が引き起こし、王家がようやく封印したという、国家滅亡級指定の“大災厄”。

 それが今、目の前で完全な姿を取り戻そうとしていた。


「あり得ません!」


 狂ったように魔導具を叩いていた術式解析官が、悲鳴を上げる。


「召喚術式の構造が異常です!これでは、これではまるで……!」


「どういう意味だ。簡潔に言え」


 背後に到着したレオンハルトの鋭い声に、解析官は顔の血の気を完全に失わせながら振り返った。


「……王家側の、管理術式です……!」


「何だと?」


「この召喚陣の核には王家の術式を使われています!!」


 解析官が悲鳴のような声を上げた。


「……アルヴェルトの、血統能力か」


 レオンハルトの拳がみしりと鳴る。


 あらゆる結界を書き換えるという、封印干渉の異能。

 リリアーナの能力なら、理論上可能だった。



「殿下!地上より緊急伝令!」


 さらなる追い打ちをかけるように、騎士が駆け込んでくる。


「王都各地でパニックが発生しています!“なぜ王家直轄の封鎖区域から、王家の魔力反応を伴った災厄が出現したのか”と、教会も騒然としております……!」


 レオンハルトの瞳が、初めて激しく揺れた。

 当然だ。ここは一般人が立ち入ることはできない絶対聖域。

 そこから国家滅亡級のバケモノが現れ、しかも王家の術式反応が混ざっている。


 王家と分権している教会側から見れば、これは『王家が裏でテロを仕掛けた』か、『王家が禁忌の実験に失敗して自滅した』ようにしか見えない。

 王家が何百年もかけて築いてきた“完璧な威信”が、音を立てて崩壊していく。


「結界維持班、限界です!王都中央結界、崩壊率三十二%を突破!」


 破滅への秒読みが響く中。

 レオンハルトは、赤黒く燃え盛る魔法陣の中心へと歩み出た。


 光の渦の最奥。

 激しい魔力の嵐の中で、一人の少女がぽつんと佇んでいた。

 銀髪を静かに揺らし、その表情は驚くほど穏やかだ。まるで、長い長い旅の果てに、ようやく目的地へ辿り着いた人間のように。


「……リリアーナ」


 レオンハルトが、その名を低く呼んだ。


 リリアーナは、ゆっくりと振り返る。そこには怒りも、焦りも、醜い復讐心すらもなかった。ただ、すべてを終わらせにきた者の、透き通った瞳があるだけ。

 魔法陣の光を映した濃紺の瞳は、夜空のように静かに煌めきーーなぜだかセシリアを思い出させた。


「なぜだ。なぜお前単独で、王家術式を使うことができる」


 レオンハルトの声は、辛うじて王太子としての威厳を保っていたが、その実、焦燥でひび割れていた。

 王家が握っていたはずの主導権が、完全に奪われている。

 リリアーナは、小さく、愛らしく笑った。


「簡単なことよ、レオンハルト」


 赤黒い光を指先で弄びながら、彼女は歌うように言った。


「あなた達が、親切にずっと私と繋がっていてくれたから」


「……何?」


「おぞましい精神干渉の術式で。あなた達はずっと、王家側の魔力を流し込み続けていたでしょう?」


 リリアーナが、最後の一押しとして魔法陣の核へ、そっと触れる。


「だったら、その繋がりを利用してあなた達の魔力を陣のエネルギー供給源にするだけ」


 空気が爆ぜた。

 王家の魔力を吸い尽くした召喚陣が、最悪の輝きを放つ。

 世界を破滅させる古代魔獣が、ついにその完全な巨体を現世へと現し始めた。

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