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第62話 祝福された完璧な王太子様④

 最初から、私は全部知っていた。


 優しかったお母様を精神的に追い詰め、壊したのが誰なのか。

 王家がその醜悪な罪を隠すために、何をしたのか。

 なぜ私が、幼い頃からずっと監視されていたのか。

 なぜ王太子の婚約者という名の、逃げられない檻に入れられたのか。


 全部、全部、知っていたのに。


 王家に抵抗することも、

 レオンハルトを憎むことも。

 術式のせいで、まともにできなくなっていた。


 怖かった。苦しかった。

 けれど、その感情さえ脳の奥へ押し込まれて、ただ涙を流すことさえできなかった。



 その後、私の精神は歪み、狂っていった。

 エドガー。カイル。ユリウス。

 彼らとの出会いもまた、私をさらに追い詰めていった。


 周囲から向けられる、いわれのない悪意と嘲笑。孤立と敵意。

 怒りや憎悪はあるのに、なぜかそれを正しく発散することのできないもどかしさ。

 

 “精神干渉術式”が施されていたにもかかわらず、私の魂は、内側から激しく拒絶反応を起こし続けた。


 周囲への激しい攻撃性。

 制御の利かない情緒不安定。

 醜悪に怒り狂う癇癪。


 本来向けるべき場ではないところで溢れ出る、ちぐはぐな感情や行動。

 王家はそれを“制御不良”と判断し、さらなる大罪を重ねた。


 学園入学前。

 より強く、より深く、私の自我をすり潰して都合の良い人形にするための、追加の精神再調整。


 ――けれど。


 それが、王家にとって最大の、そして最後の誤算となった。



 頭が割れるような激痛と共に、私の脳内に“異物”が流れ込んできた。

 息の詰まるような満員電車。

 チカチカと明滅するオフィスの中、夜遅くまで積み上がったデスクの資料。

 

 前世。精神的に成熟したもう一人の、私。

 その瞬間、パズルのピースが、恐ろしいほどの速度で噛み合っていった。


「……ああ。そういうこと、だったのね」


 すべてを、理解してしまった。

 この世界が、前世でプレイした乙女ゲーム『聖銀のレガリア』の舞台であること。

 私が、いずれ無様に破滅するはずの“悪役令嬢”リリアーナであること。


 王家の術式は、完璧ではなかった。

 彼らが抑え込もうとしたのは、あくまで“リリアーナ”の精神だけ。

 まさか、術式の負荷によって脳の障壁が壊れ、そこに“現代日本で生きた大人の人格”が丸ごと流れ込んでくるなど、想定できるはずもない。

 王家の洗脳など、前世の記憶という圧倒的な濁流の前には、ただの紙切れ同然だった。

 呪縛の術式が、内側から粉々に崩壊していく。

 押さえつけられていたすべての記憶と、本来の激しい感情が、一気に私のもとへ帰ってきた。


 ああ、そうか。

 術式が解けた今なら、はっきりとわかる。

 これこそが、私の憎しみなのだと。


「だから、思い出した」


 私は、暗闇の中で静かに笑う。


「だから、全部分かったのよ。レオンハルト」



 地下旧礼拝堂。


 王家が何百年も秘匿し、厳重に封鎖してきた禁忌の区域。

 灯りのない、冷え切った石造りの廊下を抜けた先。分厚い魔導扉の奥には、カビ臭い石の匂いと、おぞましいほど濃厚な古代の魔力の残滓が漂っていた。


 その部屋の最奥。


 床一面に彫り込まれていたのは、巨大な古代魔法陣。

 異界の魔獣を呼び寄せる、召喚術式。

 かつて一晩で都市を消滅させたという、アルヴェルト家の血統にしか起動できない、国家封印級の超遺産。


 私はゆっくりと歩み寄り、その魔法陣の中心へ、愛おしむように指先で触れた。


 ひやりとした石の冷たさ。

 直後、それを完全に塗りつぶすような、凶暴な魔力の脈動が私の血と共鳴する。

 キィィィィン、と、鼓膜を刺すような高音が響き、床に青白い光の回路が走った。


 ――起動。


 全身の血液が沸騰するような、凄まじい全能感が脳を焼く。


「ふふ……、あはははっ!」


 抑えきれない笑みが、暗い空間に木霊した。

 本来のゲーム『聖銀のレガリア』のシナリオ通りなら、悪役令嬢リリアーナは絶望の果てに魔族の手を取り、その力を借りて不完全な召喚テロを起こし、最後は正義の味方に討たれる。

 けれど、前世の記憶がある私は見つけてしまったのだ。

 魔族の力などという不確定要素を介さずとも、我が身の血だけで、この施設を“完全な状態”で強制起動する、裏の経路(隠しコマンド)を。


 だから。

 もう、誰にも私を止められない。

 世界が破滅の災厄に直面した時、それを阻止できるはずだった『登場人物メインキャラクター』は、もう一人も残っていない。


 宮廷魔導師を率いるはずだった、エドガーはいない。

 騎士団の矛となるはずだった、カイルもいない。

 聖なる結界で国を守るはずだった、ユリウスもいない。


 そして。


 聖女として、この召喚術式を浄化し、無力化する“鍵”の力を持つはずだったヒロイン――ミレイア・ルーンも、もうレオンハルトの側にはいない。


 全員、私が裏から糸を引いて、社会的に、物理的に、完璧に使い物にならなくしてあげた。


 この日のために。

 王家を、この国を、何一つ残さず叩き潰す、この瞬間のために。


 ドクン、ドクンと、魔法陣が生き物のように脈動を強めていく。

 視界を埋め尽くすほどの膨大な光が、地下空間を、そして城の土台を激しく揺るがしていく。

 空気が震える。

 世界の境界が、悲鳴を上げて軋みだす。


 私は光の渦の中で、静かに目を細める。


「――ようやく、ここまで来たわ」


 復讐の幕を上げるその声は、どこまでも静かだった。

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