第60話 祝福された完璧な王太子様②
王城地下深部。
そこは、限られた者しか立ち入りを許されない、王族専用の秘匿保管庫だった。
重厚な扉が、鈍い音を立てて開く。
肌を刺すような、ひやりとした冷気が通路へ流れ出した。
「失礼いたします」
管理官が恭しく頭を下げる。
レオンハルトは無言のまま、薄暗い保管庫へと足を進めた。
壁際に並ぶのは、膨大な資料の山。
国家機密にあたる封印指定文書や古い魔導記録。
その最奥に、一冊の分厚い資料が保管されていた。
『アルヴェルト家管理記録』
レオンハルトは迷いのない手つきで、その書を開いた。
◇
アルヴェルト家。
それは、古代召喚術師の血を引く家系。
古代魔獣の召喚。
異界との契約。
あらゆる結界への封印干渉。
現代では失われたはずの、あまりにも危険な術式への高適性を持つ血統。
はるか昔。
この血統は、国家級の災害を引き起こした。
制御を失い、暴走した魔獣。
崩壊した封印。
一夜にして消失した都市。
数えきれない犠牲者。
――本来なら、一族もろとも根絶やしにするべき大罪人。
だが、その強大すぎる力は、途絶えさせるにはあまりにも惜しかった。
ゆえに王家は、アルヴェルト家を徹底的な管理下に置いたのだ。
公爵家という立派な肩書を与える代わりに、その強大な力を持つ一族を、手中に収めた。
その甲斐あって、ここ数百年間は大規模な災厄は発生していない。
だが、それは“起きていない”だけだ。
彼らの血に刻まれた異質な力が、消えたわけではない。
だからこそ王家は代々、アルヴェルト家を管理し続けてきた。
血統の統制。
婚姻の制限。
行動監視。
そして――
必要に応じた精神干渉。
「……」
レオンハルトは淡々とページをめくる。
その端正な顔に、躊躇いの色は一切ない。
彼にとっては、国家という巨大な歯車を維持するための、当然の処置だった。
『対象名:リリアーナ・フォン・アルヴェルト』
『召喚適性値:極めて高』
『封印干渉適性:危険域』
『精神干渉耐性:低』
レオンハルトの指先が、そのページで止まる。
リリアーナ・フォン・アルヴェルトは、歴代のアルヴェルト家の中でも、特に危険視されている個体だった。
もし彼女が王家への不満を募らせ、制御を失えば、その瞬間に国が滅びかねない。
だからこそ、彼女には幼少期から、高度な『精神干渉安定術式』が施されていた。
王家に対する敵意の抑制。
レオンハルトへの好意の増強。
攻撃衝動の緩和。
さらに、強い精神負荷による暴走を防ぐため、過度な恐怖や憎悪を定着させない補助術式も施されていた。
つまり、彼女が周囲からどんな仕打ちを受けようと、心を壊さないようにされているのだ。
「……妙だな」
レオンハルトが、誰もいない保管庫でぽつり、と呟いた。
ここ数年、リリアーナの情緒不安定化が急激に進んでいた。
思春期に入り、他者との接触が増えるにつれ、本来の気質と、成長過程で蓄積した感情、そして精神干渉が歪に噛み合い、ヒステリックになり、攻撃性が増していた。
大きな事件はないものの、家庭や社交の場で度々小さな問題を起こし、厄介な令嬢として、悪名が広がっていた。
このまま学園に入学させるのは危険だ。
そう判断し、入学を半年後に控えたタイミングで、強制的な追加調整を行ったはずだった。
それは、一見すると成功だった。
リリアーナは目に見えて大人しくなった。
ただ、精神干渉による変化としては、どこか異質にも見えた。
そして彼女の周りで起こる、事件――
◇
「殿下」
背後で、側近が静かに声をかけた。
「確認ですが、あの者との婚約を継続される理由は……やはり、最も近くで監視するためでしょうか」
レオンハルトは、音を立てて資料を閉じた。
「当然だ」
一切の迷いがない、冷徹な声。
「しかし、殿下ご自身が婚約者となられるのは、あまりにも危険が大きすぎるのでは。万が一の際、殿下の御身が……」
アルヴェルト家の人間は代々、王家の手足となる他貴族へ嫁がせ、間接的に管理するのが通例だった。
次期国王であるレオンハルト自らが婚約者に名乗りを上げたのは、異例中の異例だ。
短い沈黙の後、レオンハルトは、冷えた青い瞳を側近へ向けた。
「……あの女は特別だ。他の誰の手にも余る。檻の鍵は、私が握っておくべきだ」
そこに感情はない。
好意も。憐れみも。情も。
リリアーナ・フォン・アルヴェルトは、ただの“管理対象”だった。
――その時だった。
保管庫の入口側から、静寂を破る激しい足音が響いてきた。
「失礼します……っ!」
現れたのは、息を切らせた、血相を変えた若い騎士だった。
「緊急報告です!」
レオンハルトが不快そうに眉を寄せる。
「騒々しい。何事だ」
「たった今、監視を振り切ったリリアーナ様が――」
騎士が、恐怖に喉を鳴らしながら叫んだ。
「“旧礼拝堂”の結界を破り、内部へ侵入いたしました……っ!!」
保管庫の空気が、凍りついた。
「……何だと?」
初めて、レオンハルトが驚愕と焦燥を顔に滲ませた。
地下旧礼拝堂。
そこは、かつてアルヴェルト家の血を使った「禁忌の召喚術」の研究が行われていた――王家が最も隠蔽すべき、封鎖区域だった。




