第52話 みんなに愛される心優しいヒロイン⑫
国家合同審問が行われた、その翌日。
まだ夜も完全に明けきらぬ薄暗い朝早くから、ミレイアに与えられた宿舎の部屋には、複数の神殿騎士と学園関係者が詰めかけていた。
◇
「……え? 部屋の、捜索……ですか?」
ベッドから引きずり出されたミレイアは、寝乱れた髪のまま、呆然と大きく目を瞬かせる。
「どうして……」
「王家および神殿合同審問会において正式に下された決定です」
先頭に立つ神殿騎士は、淡々と事務的に答えた。
「先日の魔物侵入事件、および貴女が昨日の審問の場で口にした、一連の"未来予知"と称する不審な発言との関連性を調査します」
「予知、って……」
ミレイアの顔が、恐怖で引きつる。
昨日の審問での、あの手痛い失言。
窮地を脱するために必死に口にした前世のイベント知識――それが完全に裏目へと出て、自らの首を絞める最悪の縄と化していた。
「お、おかしいよそんなの! あたしはただ――」
「必要な手続きです。下がっていなさい」
冷酷極まる返答。
そこに並ぶ大人たちの誰一人として、“聖女候補”としては接していなかった。
◇
ミレイアの制止を聞き入れることもなく、部屋の中へ次々と無骨な騎士たちが土足で入り込んでくる。
本棚、机、引き出し。
年頃の少女のデリケートな私物までが、容赦なく乱暴にひっくり返され、確認されていく。
「わっ、ちょっと待ってそれ見ないで!」
ミレイアは顔を真っ赤にして、慌てて止めようとする。
「失礼します」
だが、神殿騎士は彼女を容易く片手で押しのけ、引き出しの奥底から数枚の紙束を取り上げた。
「……これは?」
「あっ……それはっ……」
ミレイアの顔が真っ赤に染まる。
騎士が持っていたのは、ミレイアがレオンハルトに宛てて書いた手紙だった。
ラブレターというほどではない、憧れの人に書いた、出せない手紙。
「……レオンハルト殿下宛てか」
騎士の一人が呆れたように呟く。
「ち、違うの!それは別に出してないし!」
「構いません。続けろ」
乙女の秘密を無理やり引っ張り出され、ミレイアは恥ずかしさで今にも泣き出しそうだった。
「失礼します。怪しいノートが見つかりました」
別の騎士が耳打ちをする。
「えっ」
ミレイアの顔から、文字通り完全に血の気が引いた。
騎士が持っていた一冊のノート。そこに、彼女自身の拙い筆跡でびっしりと書かれていたのは――。
『研究資料盗難事件』
『自立型魔導人形暴走事件』
『魔物侵入』
そして、それらの末尾に添えられた、ごく簡単な事件の発生内容と正確な日付。それは彼女が前世の乙女ゲーム『聖銀のレガリア』の知識を元に、忘れないよう自分用に書き留めていた”未来のイベントメモ”だった。
「ち、違っ……違います!」
ミレイアは必死で首を振る。
「それ、ただのあたしのただのメモで……!」
ノートに目を通した騎士たちの空気が一変した。
「……未来に起きる事件をすべて"把握"していたのですか?」
「違うの! これはそうじゃなくて、その!」
言葉が、無残に詰まる。
これを『ゲームの知識です』なんて説明できるわけがなかった。
「――隊長、こちらも発見いたしました」
部屋の隅にあるクローゼットを漁っていた別の騎士が、一通の高級な便箋を持ち上げた。
豪奢な白地に、鈍く輝く銀の紋章。
アルヴェルト公爵家の専用便箋だった。
「……え?」
ミレイアが完全に硬直する。
知らない。そんなもの、自分の部屋に置いた覚えは絶対にない。
「な、なんで……そんなの、あたしの部屋にあるわけが……」
騎士がその便箋を開き、書かれた内容へ冷酷に目を通す。
そこには、流麗な筆跡で短くこう記されていた。
『例の件、予定通り進めてください。明日必ず事件は起こります』
そして末尾には――リリアーナ・フォン・アルヴェルトの名前。
ざわり、と部屋を満たす空気が、不気味に大きく揺れ動いた。
「……未来の事件の話?」
便箋を覗き込んだ別の騎士が、低く押し殺した声で呟く。
「……まさか、カイル・レイナードの件か……?」
ミレイアの呼吸が、完全に停止した。
「さらに、一緒にこちらの紙が、便箋のすぐ裏の隙間から……」
騎士が差し出した数枚の紙には、リリアーナのサインをそっくりそのまま真似た文字が並んでいた。
まるで、誰かがリリアーナの筆跡を完璧に偽造するために、必死に練習を重ねたかのように。
騎士たちは、パズルの最後のピースが完璧に繋がったかのように、一斉に顔を見合わせた。
カイル・レイナードは拘束時、確かに狂乱しながらこう証言していたのだ。
『リリアーナに唆された』と。
だが、当時は何の証拠もなかった。
だからカイルの逆恨みとして片付けられ、正式には認められていなかった。
それなのに、今。その犯行を裏付けるアルヴェルト公爵家の便箋と、偽造の証拠が――他ならぬミレイアの部屋から、発見されたのだ。
「……なるほど、そういうことでしたか」
立ち会っていた神官の視線が、氷点下へと冷え切る。
「貴女が公爵令嬢であるリリアーナ様の筆跡と便箋を偽造して彼女を騙り、裏でカイル・レイナードを操って事件を引き起こしていた。その可能性が極めて濃厚ですね」
「ち、違う!!」
ミレイアが目に涙を浮かべて叫ぶ。
「あたし、そんなことしてない!!」
「では、この公爵家の便箋と、貴女の筆跡で書かれた事件メモの整合性は、どう説明するのですか?」
「知らない! 本当に知らないの! !」
でも。その必死の叫びを信じる者は、この部屋には誰一人として存在しなかった。
異様な未来予知の発言。
事件メモ。
そして、アルヴェルト家の偽造便箋。
全ての点と線が、完璧に繋がってしまっていた。
(……違う、違うのに……!)
肺が押し潰されたように、息が苦しい。
何も証明できない。
未来のメモは、紛れもなく自分の手で書いた。
便箋は、言い逃れようもなく自分の部屋から出てきてしまった。
何もかもが、言い訳の通用しない最悪の形で揃いすぎてしまっている。
「ミレイア・ルーン」
神殿騎士の隊長が、冷徹に剣の柄に手をかけながら静かに告げた。
「お前には引き続き、神殿特級管理下での強制拘束命令が出ている」
「え……あ……」
「連行する。同行を」
冷たい、無慈悲な声。
もう彼女には、弁明の余地すら一切与えられてはいなかった。
◇
両脇を屈強な神殿騎士に固められ、ミレイアは罪人のように薄暗い廊下を歩かされる。
登校中の生徒たちが足を止め、彼女を白い目で見つめる、その視線がナイフのように痛かった。
かつて彼女を"聖女"と持て囃した者たちは、誰も助けようとはしなかった。
もし、彼らと友好な関係を築けていたら、誰か一人くらいは庇ってくれたのだろうか?
そんな虚しい考えが脳をよぎる。
その時だった。
長い廊下の遥か先、冷たい朝の光が差し込む窓の傍らに、見覚えのある美しい銀の髪が見えた。
――リリアーナだった。
「……リリィ……っ!」
ミレイアはすがるような声を上げて身を乗り出そうとする。
だが、遠く離れた場所に佇むリリアーナは、ただ静かに、冷然とこちらを見つめ返すだけだった。
彼女の濃紺の瞳は、どこまでも冷たく、遠い目をしていた。
その端正な輪郭からは、何の感情も読み取ることはできない。
「助けて……」
消え入りそうな、震える声。
その懇願を聞いた一瞬だけ。
リリアーナの美しい瞳が、微かに細められる。
――でも。
彼女は最後まで、その薄い唇を開くことはなく、一言も言葉を発しなかった。
◇
重厚な鉄の扉が、容赦ない音を立てて閉まる。
冷酷に鍵がかけられる重い音が、石造りの廊下の奥深くまで虚しく響き渡っていった。
明かりのない、薄暗い地下の牢獄。
体温を奪う、冷え切った石の床。
鼻を突く黴の匂いと、じめついた重苦しい空気。
「……なんで」
全身の力が抜け落ち、ミレイアはその場に力なく膝をついた。
「なんで、こんなことに……っ」
暗闇の中で、彼女の問いに答える者はもう誰もいない。
ただ遠くで、鍵の閉まる残酷な音だけが、響いていた。




