第51話 みんなに愛される心優しいヒロイン⑪
神殿・王家合同審問。
ただその事実を並べた言葉だけで、十分すぎるほどの重さがあった。
特別国家審問室は、異様な静けさに包まれていた。
冷徹な白い石造りの広間。
高い天井に穿たれた細い天窓から差し込む光だけが、血の通わない空間をぼんやりと厳かに照らし出している。
左右の雛壇には、純白の法衣に身を包んだ神官たち。
正面の重厚な机には、厳格な表情を浮かべた王家関係者たち。
そして中央に、ミレイアがぽつりと、たった一人で立たされていた。
「……っ」
極限の緊張と恐怖のせいで、彼女の呼吸は浅く、喉の奥が引き攣る。
今すぐこの場から逃げ出したい。
でも、逃げられるはずがなかった。
「ミレイア・ルーン」
正面中央に座る年配の筆頭神官が、感情を削ぎ落とした声で静かに口を開いた。
「これより、先日に発生した学園内魔物侵入事件における、事実確認を行います」
「……はい」
応じる声は小さく、微かに震えていた。
「まず、再確認します」
「貴女は魔物襲撃の直後、現場において最高位の治癒魔法を行使し、公爵令嬢の致命傷を完治させた。これに間違いはありませんか」
「……はい、間違いありません」
「ですが、そのわずか数日前に行われた国家祈祷演習において、貴女は神殿の基礎的な術式維持すら不安定だった」
神官は老獪な双眸をさらに細め、値踏みするように彼女を射抜いた。
「それが突如として、神殿長でも不可能なレベルの高位治癒を成功させた。その不自然な魔力跳ね上がりについて、我々が納得のいく説明を」
「それは……その……」
ミレイアの喉が、プレッシャーで完全に詰まる。
「あの時は本当に必死で……」
「気づいたら、できていて……」
「気づいたら、ですか」
神官による静かな復唱。
それだけなのに、激しく責め立てられているかのように錯覚する。
すると、隣に座る別の神官が、冷ややかに口を開いた。
「言葉の並べ立ては不要。ならばこの場で、それを証明していただきましょう」
「……え?」
「貴女が本当にその身に高位の光魔法を宿しているというのなら、この場でも、同様に行使できるはずです」
「……っ!」
「なにも大掛かりな奇跡を見せろとは言いません。一般神官クラスの治癒、あるいは集光の術式で構いません。さあ、実演を」
ミレイアの顔が、恐怖で瞬時に強張った。
まずい。本当に、取り返しのつかないくらいまずい。
「どうした? 早くしなさい」
「……っ、う……!」
逃げ場をなくしたミレイアは、涙目でガタガタと震える手、必死に白い杖を握り締めた。
「――光、よ……」
しん、と静まり返る空間。
何も、起きない。
「……あれ。も、もう一回……」
額から冷たい汗を滲ませながら、彼女は必死に声を張り上げる。
「光よ……!!」
己の魂を削るように、体内の魔力を無理やり流そうとする。
だが、いくら意識を凝らしても、身体の奥からは何も掴めなかった。
彼女の体内は、あの日リリアーナを救うために全ての魔力を限界を超えて絞り出したせいで、完全に空っぽのままだったのだ。
「……魔力が、出ない……」
愕然とした、掠れた小さな声。
ミレイアの額から汗が垂れる。
焦れば焦るほど精神は乱れ、何度杖を突き出しても、奇跡の兆候すら現れない。
「そんな……」
ゲームで言うところの"MP切れ"。
それが今彼女に起きている、ごく純粋な魔法障害だった。
だが、この場に並ぶ神殿と王族の誰一人として、そんなゲームシステムのような事情を理解できる者などいるはずがなかった。
神官たちの視線が、一斉に、冷酷な色へと変わっていく。
疑惑。警戒。そして――完全なる失望。
「……貴女は本当に、あの日高位治癒を行ったのですか?」
「本当です! あの時は本当にできたんです! 嘘じゃないです、信じてください!!」
言い訳のように響くその必死な叫び声が、酷く痛々しく空虚に響く。
「……本当に彼女は聖女なのか?」
「基礎的な光魔法すら全く使えないなんて……」
背後の傍聴席に控える貴族や神官の代理人たちからも、隠しきれない不信の声が漏れ始め、室内の空気と同調していく。
「っ……う、あ……」
完璧に、四方八方から退路を断たれて追い詰められる。
肌を焼くような重苦しい圧迫感。突き刺さる無数の冷淡な視線。
ミレイアの頭は、もう何も考えられないほど混乱していた
「……あたし、嘘なんか……」
何か言わなきゃ。
疑いを、今すぐ晴らさなきゃ。
(何かあるはず。あたしが"本物の主人公"だって、証明できる強力な設定が、何かないの――!?)
「あ……」
「どうかしましたか?」
「――あたし! 未来のことが、少しだけ分かるんです……!!」
その突拍子もない叫びが響いた瞬間。
室内のすべての空気が、音を立てて完全に凍りついた。
「未来、ですか?」
正面の筆頭神官が、酷く不快そうにその眉を不機嫌にひそめる。
「神殿の長い歴史においても、聖女の権能にそのような予知能力は確認されていません」
「で、でも、本当なんです!」
ミレイアは半ば泣き崩れそうな声を上げながら、我を忘れて必死に言葉を捲し立てた。
「本当に未来の出来事が頭の中に流れてくるんです! それなら今すぐここで証明できます! これから学園や国に起きる大きな事件や災難を、あたしが全部当ててみせますから!!」
その叫びに対して、雛壇の奥に座る一人の神官が、冷徹に口を開いた。
「……未来予知、ね。奇妙なこともあるものだ。確か以前傷害事件を起こした、騎士団長の子息――カイル・レイナードも、同じようなことを言っていましたね」
――しまった。
そう思った時には、もう全てが遅すぎた。
「貴女と、カイル・レイナードに関係は?」
「あ、ありません! 」
思わず声が大きくなる。
「本当に信じてください! あたし、そんな……」
「――もう結構です」
筆頭神官が、冷淡に手を振って彼女の言葉を淡々と遮った。
「この件に関しては、これ以上の実演は無意味。この件については、さらなる追加調査の必要があるようですね」
静かな、けれど絶対的な宣告。
それだけで十分すぎるほどの威力だった。
◇
その様子を遮る、一段高い場所に設けられた傍聴席。
私は白い石壁際の豪奢な椅子に、令嬢らしく浅く腰掛け、微塵の乱れもない完璧な姿勢で静かにその破滅の儀式を見つめていた。
膝の上で白手袋に包まれた両手を優雅に重ね、表情はどこまでも穏やかに、少し哀れみを湛えている。
(徹底的に追い詰められているわね)
恐怖のあまり、彼女はもう完全に冷静さを失っている。
だから、焦りのあまりに口を滑らせ、言ってはならない前世の「ゲームの知識」を未来予知などという禁忌の言葉に置き換えて口にしてしまった。
並び立つ神官たちの視線は、もう完全に、一介の不審者を見るものへと変わっていた。
そして――正面の特別席に座る王太子、レオンハルトも。
その青い瞳に冷酷な光を宿し、ミレイアを見つめている。
(本当に、終わりが近いのね)
私は誰にも気づかれないよう、静かに目を伏せた。
ミレイアを見下ろす周囲の人間たちの目は、もう二度と――彼女を国を救う“聖女”としては見ることはないだろう。




