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第5話 健気で努力家な弟④

「……次は、これね」


 私は手元のメモを見下ろした。

 手紙作戦は失敗。それも、再起不能なレベルで。


「いや、むしろ悪化していたわよね……」


 思い出して、少しだけへこむ。

 目の前で、ビリッ、て。

 魂を削って書いた(添削も受けた)手紙を目の前で破る?普通。


「……まあ、いいわ」


 すぐに切り替える。

 それだけ嫌われているのだから、想定の範囲内だ。


「次の手、いきましょう」


 ペン先で机を軽く叩く。

 今回の作戦名は、「お父様とエドガーの仲を取り持つ作戦」だ。


 エドガーと父の関係は、良くも悪くも「評価」だけで成り立っている。

 実の親子ではないからこそ、そこにあるのは冷徹な期待と実績のみ。


 ――だからこそ、だ。


 そこに入り込む余地がある。

 目に見える「結果」さえ出せば、評価の天秤は必ず動く。


「つまり、作ってあげればいいのよね。エドガーの実績を」


 そうすれば、お父様も彼を見る目を変えるはずだ。


「評価が上がれば、エドガーの立場も盤石になる」


「それをサポートすれば、関係も良くなる」


「……完璧では?」



「お父様、お時間をいただいてもよろしいでしょうか」


 私は公爵家の書斎、その重厚な扉の前で声をかけた。


「……入れ」


 短い返答。

 中に入ると、書斎特有の古い紙とインクの匂いが鼻をつく。

 高い窓からの光は遮られ、室内はどこか薄暗く、威圧感に満ちていた。


 机の向こうには、アルヴェルト公爵――私の父。

 私と同じ白銀の髪に、射抜くような灰色の瞳。

 冷静沈着で、どんな感情も表に出さない、鉄仮面のような男だ。


 父の鋭い視線が、私を捉える。


「何の用だ」


 端的。無駄がない。


(相変わらずの威圧感ね……)


「一つ、ご相談がございますの」


「簡潔に言え」


「エドガーの件でございます」


 その瞬間。

 父の眉が、ピクリと動いた。


「エドガーがどうした」


「彼に、もう少し実務の機会を与えていただきたく存じます」


「……理由は」


「能力を示す機会が必要かと。現状、彼への評価材料は限られておりますわ」


 私は淡々と、用意していた論理を展開する。


「それでは、正当な判断を下すことが難しいのではないでしょうか?」


 父は何も言わない。ただ、値踏みするように私を見つめている。


(……通るかしら?)


「具体的には、一部の帳簿管理、および外部との簡易的な事務交渉を任せてみてはいかがでしょう。負担は限定的ですが、成果は明確に測れます」


「……」


 長い沈黙が流れた。


 父の手元にあるペンが、コツ、と机を叩く。


「なぜ、お前がそれを言う。以前のお前なら、彼の活躍の場を奪うことに躍起になっていたはずだが」


 低く、腹に響くような声。

 疑いの眼差しは当然だ。これまでのリリアーナの行いを知っていれば、この提案は「罠」にしか見えない。


「これ以上、家の中に無用な軋轢を抱えるのは、私自身の首を絞めることになると気づいただけですわ。彼が有能であれば、それは家の利益になります」


「……ふむ。企んでいるようには見えんな」


「嘘は申しませんわ」


 ……半分くらいは。


 父はしばらく考え込むように黙り込み、やがて短く告げた。


「……条件付きで許可する」


「ありがとうございます、お父様」


「三ヶ月だ」


 灰色の目が、冷徹に光る。


「それまでに相応の結果が出なければ、エドガーの評価を根本から見直す。……それで良いな?」


「……承知いたしました」



「……通った」


 部屋を出た瞬間、私は小さくガッツポーズをした。

 心臓がバックバクだ。


「でもこれで、状況は動くはず」


 エドガーに公的な実績ができる。

 評価が上がる。

 立場が安定する。


「……完璧では?」


 今日二回目。私は自分に満足していた。



「――というわけで」


 私はエドガーの前に立っていた。


「新しいお仕事を用意したわ」


「……は?」


 得意げな顔をする私に対し、エドガーは露骨に不審そうな、そして嫌そうな顔を隠さない。


「帳簿の管理と、一部の対外交渉よ。お父様からの正式な許可もいただいているわ」


「……」


 エドガーは無言で私を見据える。


「なぜ、そんなことを。あなたが動く意味がわからない」


「あなたのためよ」


 私は即答した。


「能力を示す機会は必要でしょう? 」


「……」


 エドガーの表情が、わずかに揺れた。

 ほんの一瞬、その視線が書類へと逸れる。


「断る理由はないはずよ。あなたにとっても、これはチャンスでしょう?」


「……」


 沈黙。

 彼は迷っている。

 自分の立場を考えれば、この提案が「毒」なのか「薬」なのかを必死に天秤にかけているのだろう。


「……わかりました」


 やがて、彼は小さく頷いた。


「引き受けます。その代わり、あなたが必要以上に干渉しないことが条件です」


「ええ、よかったわ。期待しているわね」


(第一段階クリア)



「……これで」


 部屋に戻り、椅子に深く腰掛ける。


「少しは、距離も縮まるかしら」


 ぽつりと呟く。

 やったことは間違っていない。むしろ、正しいはずだ。

 エドガーのためになるし、家のためにもなる。


 ――だからきっと、大丈夫。

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