第5話 健気で努力家な弟④
「……次は、これね」
私は手元のメモを見下ろした。
手紙作戦は失敗。それも、再起不能なレベルで。
「いや、むしろ悪化していたわよね……」
思い出して、少しだけへこむ。
目の前で、ビリッ、て。
魂を削って書いた(添削も受けた)手紙を目の前で破る?普通。
「……まあ、いいわ」
すぐに切り替える。
それだけ嫌われているのだから、想定の範囲内だ。
「次の手、いきましょう」
ペン先で机を軽く叩く。
今回の作戦名は、「お父様とエドガーの仲を取り持つ作戦」だ。
エドガーと父の関係は、良くも悪くも「評価」だけで成り立っている。
実の親子ではないからこそ、そこにあるのは冷徹な期待と実績のみ。
――だからこそ、だ。
そこに入り込む余地がある。
目に見える「結果」さえ出せば、評価の天秤は必ず動く。
「つまり、作ってあげればいいのよね。エドガーの実績を」
そうすれば、お父様も彼を見る目を変えるはずだ。
「評価が上がれば、エドガーの立場も盤石になる」
「それをサポートすれば、関係も良くなる」
「……完璧では?」
◇
「お父様、お時間をいただいてもよろしいでしょうか」
私は公爵家の書斎、その重厚な扉の前で声をかけた。
「……入れ」
短い返答。
中に入ると、書斎特有の古い紙とインクの匂いが鼻をつく。
高い窓からの光は遮られ、室内はどこか薄暗く、威圧感に満ちていた。
机の向こうには、アルヴェルト公爵――私の父。
私と同じ白銀の髪に、射抜くような灰色の瞳。
冷静沈着で、どんな感情も表に出さない、鉄仮面のような男だ。
父の鋭い視線が、私を捉える。
「何の用だ」
端的。無駄がない。
(相変わらずの威圧感ね……)
「一つ、ご相談がございますの」
「簡潔に言え」
「エドガーの件でございます」
その瞬間。
父の眉が、ピクリと動いた。
「エドガーがどうした」
「彼に、もう少し実務の機会を与えていただきたく存じます」
「……理由は」
「能力を示す機会が必要かと。現状、彼への評価材料は限られておりますわ」
私は淡々と、用意していた論理を展開する。
「それでは、正当な判断を下すことが難しいのではないでしょうか?」
父は何も言わない。ただ、値踏みするように私を見つめている。
(……通るかしら?)
「具体的には、一部の帳簿管理、および外部との簡易的な事務交渉を任せてみてはいかがでしょう。負担は限定的ですが、成果は明確に測れます」
「……」
長い沈黙が流れた。
父の手元にあるペンが、コツ、と机を叩く。
「なぜ、お前がそれを言う。以前のお前なら、彼の活躍の場を奪うことに躍起になっていたはずだが」
低く、腹に響くような声。
疑いの眼差しは当然だ。これまでのリリアーナの行いを知っていれば、この提案は「罠」にしか見えない。
「これ以上、家の中に無用な軋轢を抱えるのは、私自身の首を絞めることになると気づいただけですわ。彼が有能であれば、それは家の利益になります」
「……ふむ。企んでいるようには見えんな」
「嘘は申しませんわ」
……半分くらいは。
父はしばらく考え込むように黙り込み、やがて短く告げた。
「……条件付きで許可する」
「ありがとうございます、お父様」
「三ヶ月だ」
灰色の目が、冷徹に光る。
「それまでに相応の結果が出なければ、エドガーの評価を根本から見直す。……それで良いな?」
「……承知いたしました」
◇
「……通った」
部屋を出た瞬間、私は小さくガッツポーズをした。
心臓がバックバクだ。
「でもこれで、状況は動くはず」
エドガーに公的な実績ができる。
評価が上がる。
立場が安定する。
「……完璧では?」
今日二回目。私は自分に満足していた。
◇
「――というわけで」
私はエドガーの前に立っていた。
「新しいお仕事を用意したわ」
「……は?」
得意げな顔をする私に対し、エドガーは露骨に不審そうな、そして嫌そうな顔を隠さない。
「帳簿の管理と、一部の対外交渉よ。お父様からの正式な許可もいただいているわ」
「……」
エドガーは無言で私を見据える。
「なぜ、そんなことを。あなたが動く意味がわからない」
「あなたのためよ」
私は即答した。
「能力を示す機会は必要でしょう? 」
「……」
エドガーの表情が、わずかに揺れた。
ほんの一瞬、その視線が書類へと逸れる。
「断る理由はないはずよ。あなたにとっても、これはチャンスでしょう?」
「……」
沈黙。
彼は迷っている。
自分の立場を考えれば、この提案が「毒」なのか「薬」なのかを必死に天秤にかけているのだろう。
「……わかりました」
やがて、彼は小さく頷いた。
「引き受けます。その代わり、あなたが必要以上に干渉しないことが条件です」
「ええ、よかったわ。期待しているわね」
(第一段階クリア)
◇
「……これで」
部屋に戻り、椅子に深く腰掛ける。
「少しは、距離も縮まるかしら」
ぽつりと呟く。
やったことは間違っていない。むしろ、正しいはずだ。
エドガーのためになるし、家のためにもなる。
――だからきっと、大丈夫。




