第4話 健気で努力家な弟③
「……よし」
机に突っ伏していた顔を上げる。
「次の段階ね」
手紙は――届くようになった。
前のメイドが去り、物理的な遮断がなくなったことは確認済みだ。
「つまり、ここからが本番ってことね」
だが、一つだけ問題がある。
「余計に嫌われてる感じがするのよね……」
そこだった。
そして、もう一つ。
「……周囲の印象も、どうにかしないと」
小さく呟く。
いくらエドガーと仲良くなろうとしても、周囲が「あのリリアーナ様がまた何か企んでいる」と色眼鏡で見ていれば意味がない。
「まずは周りから、ね」
印象を変える。
それが結果的に、攻略対象の心を開く近道にもなるはずだ。
◇
「失礼いたします」
控えめに扉がノックされる。
「どうぞ」
入ってきたのは、新しくエドガー付きとなったメイドだ。
前のメイドより随分若い。私とあまり年も変わらないのではないだろうか。
「リリアーナ様、お呼びとのことでしたので参りました」
落ち着いた声。無駄のない所作。
「ええ、ありがとう……リネット」
名前を呼ぶと、彼女はわずかに目を見開いた。
「……覚えていただいていたのですね」
「当然でしょう? 家の者の名前くらい把握していて当たり前ですわ」
(前の私なら怪しいけれど、今は必死なのよ)
「本日はどのようなご用件でしょうか」
「少し、相談に乗っていただきたくて」
「……私に、でございますか」
わずかに警戒が混じる。無理もない。
「ええ。エドガーのことで」
その一言で、部屋の空気が微かに変わった。
「手紙を送っているのだけれど、どうも反応がよろしくないの。何か改善点があるかしら」
「……差し支えなければ、拝見してもよろしいでしょうか」
「ええ、構わないわ」
私は最近書き上げた、渾身の二十枚にも及ぶ手紙を差し出す。
リネットの視線が、その厚みに一瞬だけ止まった。
すぐに元に戻る。さすがは公爵家に選ばれたメイドだ。
「……拝見いたします」
数分後。
「……とても丁寧なお手紙でいらっしゃいます」
「そう?」
「はい。ただ……もう少し簡潔にまとめられると、より伝わりやすいかと存じます」
「なるほど」
「お気持ちは、痛いほど伝わる内容でございますので」
(ちゃんと中身を見てアドバイスしてくれてるな)
「では、一緒に内容を整えていただけるかしら?」
「……よろしいので?」
「ええ、もちろんよ」
「……承知いたしました」
◇
それからは、思った以上に真面目な共同作業になった。
「こちらは少し長いかと」
「削りましょう」
「この一文は、残された方がよろしいかと」
「では残すわ」
リネットは的確だった。
遠慮せず、しかし丁寧に。
結果。
「……ちゃんと“手紙”になっているわ」
思わず感嘆の声が漏れる。
「リネットのおかげね」
「いえ……元はリリアーナ様のお気持ちでございますので」
少しだけ、彼女の声が柔らいだ気がした。
(よし、一歩前進ね。ちょっとだけ距離が縮まったかも)
◇
その日から、手紙のスタイルを変えた。
一通につき、三枚。
それを――ほぼ毎日、欠かさず送り続けた。
「これは……だいぶ、まともでは?」
自画自賛する。
これなら負担も少ないし、読んでくれるはずだ。
◇
「――姉上」
廊下を歩いていると、静かな声に呼び止められた。
エドガーだった。
その後ろには、リネットが申し訳なさそうに控えている。
「ごきげんよう、エドガー。顔色が良さそうで安心しましたわ」
「……何のつもりですか、これは」
挨拶を遮るように、彼は手に持っていた束を差し出した。
私がこの数日間、毎日届けさせた三枚綴りの手紙だ。
「何の、とは?」
「手紙です。毎日毎日……いったい、いつまで続けるおつもりですか」
「内容も量も、改善したつもりなのだけれど……」
「問題は、そこではありません」
ぴしゃりと言い切られた。
エドガーの瞳には、怒りよりも深い、底冷えするような拒絶が宿っている。
「そもそも、読む気がないと言っているんです。理解していただけませんか」
「……どうしてあなたが」
そこまで言って、エドガーが言葉を止めた。
「……いえ、何でもありません」
結局、彼は視線を逸らした。
「とにかく、もう二度と送ってこないでください。不快なだけです」
「それはできませんわ」
はっきりと言い返す。
「まだ、私の本当の気持ちが伝わっていないもの」
「……っ」
彼の表情が、耐えきれないというように歪んだ。
「……そうですか」
エドガーは、手にしていた手紙を――
びり、と。
一切の躊躇なく、破いた。
「不要だと言っているんです」
紙片が落ちる。
白い紙が、石畳の上でひらひらと舞う。
リネットと二人で一生懸命整えた文章が、無音で崩れていく。
「あなたの言葉も、気遣いも、全部」
「――迷惑です」
散り散りになっていく手紙を見て、私は言葉を失った。
「……そう」
絞り出すように、それだけ返す。
エドガーは二度とこちらを見ることなく、静かに去っていった。
「……申し訳ございません、リリアーナ様」
背後に残ったリネットが、小さな声で言う。
そこには悲しみと申し訳なさが混じっていた。
「リリアーナ様のお気持ちは、誠実なものでございましたのに」
「いいのよ」
私は力なく、小さく笑った。
「伝わらなかった、ただそれだけのことだわ」
◇
「……完全に失敗したわね、これ」
部屋に戻り、椅子に深く沈み込む。
むしろ状況は悪化している気がする。
手紙ルートは、これにて強制終了だ。
「じゃあ、次ね」
私はすぐに思考を切り替える。
直接がダメで、間接的な手紙もダメ。
なら。
「……第三者ルートかしら」
私は思い出す。
エドガーと父――公爵の関係を。
悪くはない。けれど、良いとも言えない。
実子ではない以上、どうしても拭えない距離感がある。
父は仕事に重きを置く鉄仮面のような人で、会話は必要最低限。
評価は常に「結果」で示される。
それだけの、乾いた関係。
そして――。
アルヴェルト家の後継は、まだ正式には決まっていない。
エドガーは最有力候補だが、それはあくまで“今の評価”に過ぎない。
養子である以上、その立場は盤石ではないのだ。
最終的な判断を下すのは、お父様。
「……だからこそ、ね」
そこに入り込む余地があるはずだ。
「お父様を経由すれば、無視はできない」
公爵家としての正式な言葉なら、彼も無下にできないはず。
「……いけるかしら?」
一瞬、不安がよぎる。
けれど。
「他に手もないしね」
私は立ち上がる。
次はこれでいこう。




