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第4話 健気で努力家な弟③

「……よし」


 机に突っ伏していた顔を上げる。


「次の段階ね」


 手紙は――届くようになった。

 前のメイドが去り、物理的な遮断がなくなったことは確認済みだ。


「つまり、ここからが本番ってことね」


 だが、一つだけ問題がある。


「余計に嫌われてる感じがするのよね……」


 そこだった。

 そして、もう一つ。


「……周囲の印象も、どうにかしないと」


 小さく呟く。

 いくらエドガーと仲良くなろうとしても、周囲が「あのリリアーナ様がまた何か企んでいる」と色眼鏡で見ていれば意味がない。


「まずは周りから、ね」


 印象を変える。

 それが結果的に、攻略対象の心を開く近道にもなるはずだ。



「失礼いたします」


 控えめに扉がノックされる。


「どうぞ」


 入ってきたのは、新しくエドガー付きとなったメイドだ。

 前のメイドより随分若い。私とあまり年も変わらないのではないだろうか。


「リリアーナ様、お呼びとのことでしたので参りました」


 落ち着いた声。無駄のない所作。


「ええ、ありがとう……リネット」


 名前を呼ぶと、彼女はわずかに目を見開いた。


「……覚えていただいていたのですね」


「当然でしょう? 家の者の名前くらい把握していて当たり前ですわ」


(前の私なら怪しいけれど、今は必死なのよ)


「本日はどのようなご用件でしょうか」


「少し、相談に乗っていただきたくて」


「……私に、でございますか」


 わずかに警戒が混じる。無理もない。


「ええ。エドガーのことで」


 その一言で、部屋の空気が微かに変わった。


「手紙を送っているのだけれど、どうも反応がよろしくないの。何か改善点があるかしら」


「……差し支えなければ、拝見してもよろしいでしょうか」


「ええ、構わないわ」


 私は最近書き上げた、渾身の二十枚にも及ぶ手紙を差し出す。

 リネットの視線が、その厚みに一瞬だけ止まった。

 すぐに元に戻る。さすがは公爵家に選ばれたメイドだ。


「……拝見いたします」


 数分後。


「……とても丁寧なお手紙でいらっしゃいます」


「そう?」


「はい。ただ……もう少し簡潔にまとめられると、より伝わりやすいかと存じます」


「なるほど」


「お気持ちは、痛いほど伝わる内容でございますので」


(ちゃんと中身を見てアドバイスしてくれてるな)


「では、一緒に内容を整えていただけるかしら?」


「……よろしいので?」


「ええ、もちろんよ」


「……承知いたしました」



 それからは、思った以上に真面目な共同作業になった。


「こちらは少し長いかと」


「削りましょう」


「この一文は、残された方がよろしいかと」


「では残すわ」


 リネットは的確だった。

 遠慮せず、しかし丁寧に。

 結果。


「……ちゃんと“手紙”になっているわ」


 思わず感嘆の声が漏れる。


「リネットのおかげね」


「いえ……元はリリアーナ様のお気持ちでございますので」


 少しだけ、彼女の声が柔らいだ気がした。


(よし、一歩前進ね。ちょっとだけ距離が縮まったかも)



 その日から、手紙のスタイルを変えた。


 一通につき、三枚。

 それを――ほぼ毎日、欠かさず送り続けた。


「これは……だいぶ、まともでは?」


 自画自賛する。

 これなら負担も少ないし、読んでくれるはずだ。



「――姉上」


 廊下を歩いていると、静かな声に呼び止められた。

 エドガーだった。

 その後ろには、リネットが申し訳なさそうに控えている。


「ごきげんよう、エドガー。顔色が良さそうで安心しましたわ」


「……何のつもりですか、これは」


 挨拶を遮るように、彼は手に持っていた束を差し出した。

 私がこの数日間、毎日届けさせた三枚綴りの手紙だ。


「何の、とは?」


「手紙です。毎日毎日……いったい、いつまで続けるおつもりですか」


「内容も量も、改善したつもりなのだけれど……」


「問題は、そこではありません」


 ぴしゃりと言い切られた。

 エドガーの瞳には、怒りよりも深い、底冷えするような拒絶が宿っている。


「そもそも、読む気がないと言っているんです。理解していただけませんか」


「……どうしてあなたが」


 そこまで言って、エドガーが言葉を止めた。


「……いえ、何でもありません」


 結局、彼は視線を逸らした。


「とにかく、もう二度と送ってこないでください。不快なだけです」


「それはできませんわ」


 はっきりと言い返す。


「まだ、私の本当の気持ちが伝わっていないもの」


「……っ」


 彼の表情が、耐えきれないというように歪んだ。


「……そうですか」


 エドガーは、手にしていた手紙を――


 びり、と。

 一切の躊躇なく、破いた。


「不要だと言っているんです」


 紙片が落ちる。

 白い紙が、石畳の上でひらひらと舞う。

 リネットと二人で一生懸命整えた文章が、無音で崩れていく。


「あなたの言葉も、気遣いも、全部」


「――迷惑です」


 散り散りになっていく手紙を見て、私は言葉を失った。


「……そう」


 絞り出すように、それだけ返す。

 エドガーは二度とこちらを見ることなく、静かに去っていった。


「……申し訳ございません、リリアーナ様」


 背後に残ったリネットが、小さな声で言う。

 そこには悲しみと申し訳なさが混じっていた。


「リリアーナ様のお気持ちは、誠実なものでございましたのに」


「いいのよ」


 私は力なく、小さく笑った。


「伝わらなかった、ただそれだけのことだわ」



「……完全に失敗したわね、これ」


 部屋に戻り、椅子に深く沈み込む。

 むしろ状況は悪化している気がする。

 手紙ルートは、これにて強制終了だ。


「じゃあ、次ね」


 私はすぐに思考を切り替える。

 直接がダメで、間接的な手紙もダメ。

 なら。


「……第三者ルートかしら」


 私は思い出す。

 エドガーと父――公爵の関係を。

 悪くはない。けれど、良いとも言えない。

 実子ではない以上、どうしても拭えない距離感がある。


 父は仕事に重きを置く鉄仮面のような人で、会話は必要最低限。

 評価は常に「結果」で示される。

 それだけの、乾いた関係。


 そして――。

 アルヴェルト家の後継は、まだ正式には決まっていない。

 エドガーは最有力候補だが、それはあくまで“今の評価”に過ぎない。

 養子である以上、その立場は盤石ではないのだ。


 最終的な判断を下すのは、お父様。


「……だからこそ、ね」


 そこに入り込む余地があるはずだ。


「お父様を経由すれば、無視はできない」


 公爵家としての正式な言葉なら、彼も無下にできないはず。


「……いけるかしら?」


 一瞬、不安がよぎる。

 けれど。


「他に手もないしね」


 私は立ち上がる。

 次はこれでいこう。

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