第6話 健気で努力家な弟⑤
「……思ったより、ずっと順調ね」
私は提出された帳簿へ目を通し、小さく呟いた。
エドガーへ実務を任せて数日。
最初は混乱するかと思っていたけれど、意外にも業務は滞りなく回っていた。
「報告も期限通り。数字にも大きな乱れはないし……少なくとも表面上は問題なさそうね」
帳簿自体は丁寧に整理されている。
形式も整っていて、完成度が高い。
字も、すごく綺麗。
むしろ、初めて扱う人間の仕事にしては、出来すぎているくらいだった。
◇
「坊ちゃんには助かっておりますよ。確認も丁寧ですし」
「ええ、本当に。最初はどうなるかと思いましたけれど……」
廊下を通り過ぎる際、使用人たちのそんな会話が耳に入った。
リリアーナが無理やりねじ込んだ仕事だったから、現場も最初は戦々恐々としていたのだろう。
けれど、今のところ大きな問題は起きていないらしい。
(……評価、悪くないわね)
私は内心で頷く。
やっぱり機会がなかっただけなのだ。場さえ与えれば、彼はちゃんとやれる。
◇
「エドガー、今回の帳簿を確認したわ」
執務室に呼ぶと、彼は以前よりずっと早く現れた。
「はい」
「問題ないわ。よくやっているじゃない」
そう告げた瞬間、彼の肩の力がほんのわずかに抜けた。
「……ありがとうございます」
(あら、あんなに嫌っている姉に褒められても、ちゃんと嬉しいのね)
「丁寧なのは良いことよ。その調子で続けなさい」
「……はい」
よし、少しずつだけどエドガーとの距離が縮まっている気がする。
◇
「……とはいえ」
一人になり、私は提出された帳簿をぱらぱらとめくった。
実は、偉そうなことを言ってみたものの、細かい部分は正直よく分からない。だって私も実務なんてしたことないわけだし。
もちろん、公爵令嬢として基礎的な教育は受けている。でも、ここに書かれている計算や処理はやたら複雑だった。
(……頭脳派キャラって感じよね)
ゲームでも、エドガーは知略タイプだった。
だからきっと、こういう細かい作業にも強いのだろう。
私は深く考えず、そう結論づけた。
◇
「リリアーナ様、少々よろしいでしょうか」
翌日、帳簿係の使用人が困惑した顔で私を訪ねてきた。
「エドガー様のことなのですが……一度書面でお渡しした確認事項を、何度も改めて聞きに来られるのです」
「熱心なのね。……でも、少し行き過ぎかしら?」
「現場も少々、対応に苦慮しております」
私は「引き続き支えてあげてちょうだい」とだけ伝えて、使用人を下がらせた。
けれど、胸の奥に小さなざらつきが残る。
◇
数日後。
エドガーが外部への報告書を持ってきた。
「……一点、この数字。元の帳簿と少しズレているようだけれど」
「修正済みです。こちらが“正しい”数値です」
被せるような即答だった。
「……元の帳簿が間違っていたの?」
「……確認は済んでいます。問題ありません」
彼は私の目をまっすぐ見据えたまま、逸らさない。
そこには、有無を言わせぬ強迫観念のようなものが滲んでいた。
(……まあ、ここまで問題なく来ているんだし)
この程度の修正なら、彼なりに確認した結果なのだろう。
私は彼の言葉を信じることにした。
「では、それで進めなさい。提出前に、もう一度だけ確認しておくのよ」
「……はい」
大丈夫。
ちゃんとうまくいっている。
そう自分に言い聞かせながら、私は小さく息を吐いた。




