第47話 みんなに愛される心優しいヒロイン⑦
「――っ、光よ……!」
ぱちっ。
ミレイアが杖を突き出したものの、先端から放たれたのは、あまりにも小さな光。
それすらも、一瞬だけ頼りなく弾けてすぐに虚空へと消え去ってしまった。
「……うーん、おかしいなぁ」
ミレイアは難しい顔で、自分の持っている杖を不満そうに見つめる。
「なんか昨日より出力が弱くなってない?杖使わないほうがいいのかな?」
「集中力が乱れているのよ」
私は本を閉じながら答えた。
放課後の第一訓練場。
一日が終わりを告げようとしている午後の傾いた陽光が、石床の上に長い影を落としている。
あの不名誉な再測定での失態以降、ミレイアは真面目に放課後の居残り練習を続けていた。
……地道に続けてはいるのだが。
「だってさぁ! 光魔法のイベントってもっとこう、聖なる光がどーん!って大爆発する感じじゃないの!?」
「基礎訓練の段階から、そんな無駄な派手さを求めないで。今は魔力を等速で紡ぐことだけに集中しなさい」
「だってずっと地味なんだもん……。あたし、こういう細かい作業苦手なんだよぉ……」
ミレイアは杖を抱えたまま、すぐ後ろにある休憩用のベンチへ倒れ込んだ。
「魔力操作ー、魔力の体内循環ー、術式の維持ー、精神統一の瞑想ー……」
「ええ。どれも重要な基礎よ」
「毎日やってることずっと同じじゃん! 異世界のレベル上げってもっとサクサク進むものじゃないの!?」
「何度も言っているでしょう。現実はゲームじゃないのよ」
「うう、それは最近、身に染みてめちゃくちゃ実感してる……」
彼女はぐったりとした生気のない顔で、赤く染まり始めた空をぼんやりと見上げる。
その締まりのない姿は、国の命運を握る"聖女候補"というよりは、完全に部活の練習に疲れ果てた学生のようだった。
「……よし!」
ミレイアは突然がばっと勢いよく跳ね起きた。
「リリィ!」
「なにかしら」
「一回、気分転換しよ!」
「は?」
「街行こ、街! レッツゴー!」
「……今から? 放課後の訓練のノルマはまだ終わっていないのだけれど」
「いいの! こういう脳みそが疲れた時はね、甘いものを限界まで食べるに限るんだって!」
それがどういう理論なのかは分からない。
周囲の疑念を晴らすための猛特訓のはずなのに、こんなに早々に訓練を切り上げて本当に大丈夫なのだろうか。
だが、当の本人はすでに制服のローブを脱ぎ捨てて、すっかりその気になっていた。
◇
夕方を迎えた王都の中央大通りは、家に帰る人々や買い出しの主婦たちでいつも以上の活気に満ちあふれていた。
軒を連ねるベーカリーから漂う、焼き菓子の甘く香ばしい香り。
威勢の良い露店の商人たちの呼び声。
楽しそうに談笑しながら行き交う、色とりどりの服を着た人々。
美しく磨かれた石畳の上を、夕暮れのオレンジ色の光がゆっくりと、影を伸ばしながら流れていく。
「わぁぁあ〜!! やっぱり街は最高だね!」
学園を出て雑踏に紛れた瞬間、ミレイアは先ほどまでの死に体が嘘のように、完全に元気を取り戻して目を輝かせていた。
「見て見てリリィ! この露店で売ってるお菓子、見た目がすっごくカラフルで可愛くない!?」
「……すごく身体に悪そうだわ」
「もう、夢がないなぁ!」
彼女は不満そうに頬を膨らませながらも、紙袋いっぱいに買い込んだ焼き菓子を大切そうに抱えて抗議してくる。
そのあとも、彼女の暴走は止まらなかった。
「あっ、こっちの露店の髪飾りも可愛い!」
「え、待って。あの奥にある雑貨屋さん、絶対オシャレだから入ろ!」
「この香油の小瓶、パッケージの絵柄がめっちゃ凝ってる……!」
あちこちの店に目移りしては、子供のように大はしゃぎしている。
(本当に、良くも悪くも感情の切り替えだけは人一倍早いわね)
……けれど、そんな彼女の裏表のない無邪気な一挙一動を後ろから眺めているのは、なんだか不思議と見ていて飽きなかった。
◇
「ねえねえ、リリィ」
大通りに面した、お洒落な高級カフェのテラス席。
ハーブの清涼な香りがふわりと漂う、小さな白い石造りのテーブル。
ミレイアは紅茶のカップを両手で持ち、さっきからやたらと身体をそわそわと揺らしていた。
「……何かしら。落ち着きがないわね」
「あのさ、今日さ」
「ええ」
「お昼休みに、レオ様とちょっとだけだけど、またお話しできたんだよね……!」
その名前が出た途端、彼女が目に見えてワントーン上がった。
白い頬がほんのりと、薔薇色に染まっていく。本当にどこまでも分かりやすい子。
「図書館の件で、あたし嫌われてると思ってたけど、ちゃんと挨拶返してくれるし……」
完全に、恋する乙女の顔だった。
「……良かったじゃない」
「いやでも、あれ絶対脈あるとかじゃないからね!?」
誰もそこまでは言っていない。
「ただね、前世で画面の向こう側の二次元だった推しがさ、至近距離で実在して自分と会話してるっていうその事実だけで、オタクは簡単に致死量の致命傷を負うの!!」
「……はぁ」
「レオ様ってば、リアルで見ると本当に破壊力がやばくない!? 顔が良すぎるし、声良すぎるし、あの氷みたいに冷たい視線も逆に刺さるっていうか……!」
早口だった。彼女のマシンガントークは誰にも止められない。
熱弁するあまり声が大きくなり、周囲のテーブルに座る高貴な客たちが、怪訝そうな顔で少しだけこちらをチラチラと見始めていた。
(……だから、浮くのよね)
本物の貴族令嬢であれば、好意を伝えるにしても、もっと詩的で婉曲的な表現を使う。
恋心も憧れも、あそこまで身振り手振りを交えて露骨に表に出すような真似は決してしない。
でも、ミレイアは違う。
心の中の感情のグラデーションが、そのまま表に出てしまう。
「しかもさ! この前、すれ違いざまにちょっとだけ目が合ったんだけど、あれって絶対――」
「ミレイア」
「はいっ」
私が声音を落として鋭く名前を呼ぶと、彼女は一瞬でびしっと姿勢を正した。
「声が大きすぎるわ」
「……う、すみません」
注意されて、すぐに犬のようにしゅんとした顔になる。
けれど、ほんの数秒後にはまたすぐにカップを見つめながら、
「でも本当に、今日もビジュが天才的に良かったんだよなぁ……」
と、幸せそうにボソボソと呟いていた。
(本当に、分かりやすい)
私は呆れて、小さく溜め息を吐く。
でも。だからこそ彼女を嫌いになれないのだと思う。
腹黒い策略など一切なく、裏表が全くない。
自分の好きなものを、濁りのない目でまっすぐに好きだと言える。
その圧倒的な純粋さと素直さは、この世界ではむしろ珍しい。
夕闇が迫るテラス席で、楽しそうに笑うミレイアの横顔を見つめながら。
私は一時の日常を楽しんでいた。
裏設定:
魔導科の制服はローブが付いています。




