第46話 みんなに愛される心優しいヒロイン⑥
祈祷演習の失敗から、わずか数日後。
ミレイアは再び、聖堂へと呼び出されていた。
重厚な扉を押し開けて中に入った瞬間、彼女はすぐに気がついた。
聖堂内に佇む人間の数が、前回よりも明らかに、倍近く増えているということに。
「……これより、再確認の測定を行う」
中央に立つ神官の、抑揚のない淡々とした声が広く響き渡る。
「聖女候補、ミレイア・ルーンの生まれ持つ光属性適性と、それに伴う魔力出力の安定性を、今一度正確に測定する」
「は、はい……よろしく、お願いします……」
応じるミレイアの返事は、誰の耳にも明らかなほど弱々しく細かった。
◇
聖堂の最奥。
床に刻まれた白い魔法陣が、どこか冷徹に、静かに淡い光を放っている。
それを取り囲むように並ぶ、厳しい顔つきの教師と高位神官たち。
前回のような他の生徒たちの姿はなく、大人たちの純粋な"査定の目"だけがそこにあった。
(完全に観察されてる……)
ミレイアは今にも泣きそうになっていた。
前回の演習での失敗以降、自分を取り巻く空気が変わったのを彼女自身も感じている。
入学当初の純粋な”期待”。
平民の聖女という存在への”好奇心”。
そして――今の彼女に向けられているのは、それらが反転した冷ややかな”疑念”だった。
「ミレイア」
私は動揺する彼女の隣にそっと寄り添い、静かに声をかける。
今回私は彼女の付き添いという形で特別に同行を許されていた。
「聖女候補というのは、国中から絶大な期待を背負う立場ですもの。二度目のテストともなれば、周囲の目も一段と厳しくなるわ」
「うっ」
私の言葉が、今の彼女にはぐさりと刺さったらしい。
「だ、大丈夫……たぶん今回はいける……」
自分に言い聞かせるような言葉。けれど、その声は微かに震えている。
極度のプレッシャーに押し潰されそうで、緊張しているのが遠目にも丸わかりだった。
◇
「始めろ」
神官長の合図が下る。
ミレイアはゴクリと唾を飲み込み、光る魔法陣へと両手をかざした。
「――光よ……!」
彼女の体内から魔力が紡ぎ出され、陣の上に淡い白い光が広がっていく。
特訓の成果か、出力そのものは確かに前回よりも強い。
だが、その光の輪郭が、呼吸に合わせるように激しく揺れる。
均一であるべき結界の表面が、まるで水面のように不安定に波打っていた。
「……やはり、基礎の魔力制御が著しく乱れているな」
「出力の高さに対して、術式を固定するための維持能力が圧倒的に甘い」
神官たちが手元の記録板にペンを走らせながら、小声で冷淡に批評し合う。
その声が聞こえたのか、ミレイアの額に、冷たい汗が滲んだ。
(やば、やばい……! どうしよう、また変に波打って……っ!)
焦る。その焦りが、彼女の体内の魔力回路をさらに乱暴にかき乱す。
光が一瞬だけ眩く強くなり――次の瞬間、プツンと糸が切れたように急激に弱まった。
パチ、と小さく不吉な火花が散る。
せっかく展開しかけた白い光の結界が、まばらに弾け、煙のように虚空へと消えていく。
「っ……!」
ミレイアは自分の両手を見つめたまま、肩を激しく震わせた。
「そこまで。術を止めろ」
神官長が静かに手を上げる。
術式の強制停止。
静まり返った聖堂の中に、なんとも言えない冷え切った微妙な空気が流れた。
◇
「……確かに、魔力の適性数値そのものは著しく高い」
眼鏡をかけた年配の神官が、小さく呟く。
「だが、いかんせん出力のコントロールが安定しなさすぎる」
「ええ。これでは高位の治癒魔法はおろか、神殿の基礎術式の維持すら危うい場面があるな……」
「本当に、あの方は教会の予言にある“聖女”なのだろうか……?」
神官の漏らした最後の一言は、かなり小さな呟きだった。
けれど。物音一つしない、水を打ったように静まり返った聖堂の空間では、それだけで十分すぎるほどに響き渡った。
「……っ」
ミレイアの顔から、さっと血の気が引いて青ざめていく。
聖女に一縷の望みをかけていた大人たちの目が、期待から、明確な”疑念”へと、残酷なほど確実に、変わった瞬間だった。
◇
演習が終わり、解放された後の聖堂裏の古い回廊。
ミレイアは冷たい石壁に背中を預け、ずるずるとその場に座り込むようにしてぐったりとしていた。
「終わった……」
「……」
「あたしの人生、完全に終わったよぉ……」
「まだ、正式に候補剥奪の処分が下ったわけではないでしょう?」
私は彼女の前に立ち、冷静に言葉を返す。
「でも、完全に怪しまれてたじゃん! 思いっきり“本当に聖女なのか”って言われたし!」
彼女は半泣きになりながら、頭を抱えて小さくしゃがみ込む。
「最近、本当に何をやっても上手くいかないし……! ゲームだったら、こういうピンチの時って、隠された力が覚醒してイベント大成功して、みんなの好感度が爆上がりする流れじゃん……!?」
膝に顔を埋めたまま、彼女はぶつぶつと愚痴を繰り返している。
(やっぱり、ね……)
私はそんな哀れな彼女の姿を、静かに見下ろした。
ミレイアはまだ、心のどこかで自分に都合の良い"主人公補正"を信じているのだ。
自分は神に選ばれた特別な主人公なのだから。
だから、今は多少上手くいかなくて失敗したとしても、最後には上手くいくはずだと。
でも、現実という名のこの世界は、そんなに都合良く作られてはいない。
「ミレイア」
「……なに?」
「この国の人間が聖女に求めているのはね、ただ一つ。その身をもって“奇跡を起こせるかどうか”だけよ」
「奇跡……」
「ええ。血統も教養もない平民のあなたが周囲を納得させるには、”結果"が必要なの」
ミレイアは不安そうにじっと私を見上げてくる。
「そんなの……急に言われても、あたし……」
「まあ、普通に考えれば、奇跡を起こすなんて到底無理でしょうね」
静かな声色で続ける。
「――あなたが、本物の聖女であるならば、話は別だけれど」
「っ……!」
ミレイアの小さな肩が、恐怖を覚えたようにびくりと大きく震えた。
◇
そんな私たちのやり取りが交わされていた、すぐ近く。
手入れの行き届いた回廊の、鬱蒼とした柱の影の奥で。
王太子レオンハルトが、物音一つ立てずに静かにこちらを見つめていた。
相変わらずの、無表情。何一つとして感情の読めない、冷徹な目。
彼がいつからそこに佇み、私たちの会話をどこから聞いていたのかは分からない。
だが。その碧眼の王太子の視線だけは、冷ややかに、ミレイアと私を観察していた。




