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第40話 また始まる日常

  ――すべてが終わった後、学園は妙に静かだった。


 大物貴族の失脚という大事件の後処理が、水面下では慌ただしく続いている。

 それなのに、生徒たちだけが感情を置き去りにされたように、校内には重苦しい沈黙が漂っていた。


「……これ、あたしのせいだよね」


 お昼休みの中庭。

 ミレイアが、消え入りそうな声でぽつりと呟いた。

 手元のハーブティーのカップを見つめたまま、顔を上げようとしない。


「ユリウスに薬を渡したの、あたしだし……」


「それは違うわ、ミレイア」


私は彼女の言葉を、即座に否定した。


「あの薬は元々、市中に出回っている一般的な安眠薬を、クラウスが少しだけ強力に調合し直したものよ。危険性や依存性も周知されていた。だから、今回クラウスも法的な責任を問われる立場には一切ないのよ。もちろんあなただって……」


「でも……」


 ミレイアは下唇をギュッと噛み締める。


「あたしが、もっとちゃんと考えて、説明していれば……ああはならなかったかもしれないし……」


 それ以上は、私も言葉を続けることができなかった。


「リリアーナ様」


 背後に控えていたリネットが、硬い空気を変えるように静かに声をかけてきた。


「少し、気分転換にお散歩へお出かけになってはいかがですか」


「……そうね」


「ミレイア様も、ご一緒に」


 リネットの細やかな気遣いが、今の私にはとても有り難かった。

 ずっと側にいてくれた彼女だからこそ、この重苦しい空気を敏感に察してくれたのだろう。


「……せっかくですし、少し城下の街にでも出てみましょうか」


 今の私たちには、張り詰めた感情を切り替えるための時間が必要なのかもしれない。



 私たちは数日ぶりに城下の街へと繰り出した。


 そこには、いつも通りの賑やかさが広がっていた。

 行き交う人々の活気ある笑い声。

 軒を連ねる屋台から漂う、香ばしい肉の匂い。

 どこかのベーカリーが焼いているのだろう、焼き菓子の甘いバターの香りが、生温かい風に乗ってふわりと流れてくる。


 学園の騒動など微塵も知らない、残酷なほどに何も変わらない世界。


「なんかさ……」


 ミレイアは雑踏を見渡しながら、自虐気味に小さく笑った。


「ようやく、まともな日常に戻ってきた感じがするね」


「そうね」


 賑やかな大通りを並んで歩きながら、私はふと、思考を巡らせる。


(……登場人物たちが次々と舞台から退場していっても、この世界は当たり前に続いていくのね)


 ゲームの筋書きは、すでに原型を留めないほどに大きく崩れ去っている。

 エドガーも、カイルも、ユリウスも、いない。


「ねえ、ミレイア」


「なに?」


「ゲームの本来のシナリオにあった、あの“世界の危機”って……これから先、まだ起こると思う?」


 ミレイアは歩調を緩め、少しだけ真剣な顔で考えてから答えた。


「うーん……たぶん、もう大丈夫だと思うよ」


「どうしてそう言い切れるの?」


「だって、リリアーナが魔王軍に協力して、古代魔獣を召喚しなければ、そもそも世界の危機は起きない設定だったし……今のリリィなら、絶対にそんな悪いことしないでしょ?」


 彼女は「考えすぎだよ」と言わんばかりに、軽く笑う。

 けれど、その無邪気な言葉に、ほんの少しだけ胸がざわついた。


「……そうね」


 そのとき、何かを思い出したように、ミレイアが口を開いた。


「あ、でもさ!」


「なにかしら」


「確か、リリアーナが闇落ちして魔族側に寝返る理由ってさ、攻略対象たちとの不仲もあるけど……"お母さんの件"も関係あったよね?」


 一瞬だけ、周囲の音が遠のいた。

 通りを吹き抜ける風が、急激に冷たく凍りついたかのような錯覚。


「……っ」


 喉の奥が、不自然に詰まる。

 私は反射的に小さく息を呑み、歩く歩調が一瞬だけ乱れた。


 ――思い出したくなかった。

 この身体の、本当の母親のこと。


 確かにゲームの設定では、悪役令嬢リリアーナが魔族と手を組む動機は二つ存在していた。

 一つは、周囲の人間から徹底的に孤立し、誰からも愛されなかったこと。

 そしてもう一つは、最愛の母を理不尽に奪った、この人間の世界そのものへの激しい憎しみ。


 けれど、私はすぐに表情を元へと戻した。


「そうね。あったわね、そんな設定も」


 努めて淡々と、静かに答える。


「でも、母の件に関しては……悲しかったのは紛れもない事実だけれど」


 私は一度言葉を切り、自分の胸に手を当てた。


「前世の記憶を完全に取り戻してからは、"リリアーナ"だけの感情ではなくなったから……前ほどは引きずっていないのかもしれないわ」


 感情を一切混ぜずに、そう言った。

 ミレイアを見ていると、前世の感覚の方が、ずっと強く残っているように思える。


「そっか……。それならよかった!」


 ミレイアは少し安心したように笑う。


 それからミレイアは、あのお菓子が食べたいとか、あの洋服が欲しいとか、いつも通りにはしゃぎ始めた。

 少し、無理に日常に戻ろうとしているようにも見えた。


 ひとしきりはしゃいだ後、私の少し前を歩いていたミレイアが、ふと足を止める。


「ねえ、ところでさ。リリィ」


「なによ」


 少しだけ、意味深な間を置いて。

 ミレイアは声をワントーン落とし、小さく言った。


「……リリィってさ。婚約者のレオンハルトのこと、好き?」


 一瞬。

 心臓が止まるような錯覚に陥った。


 急に街の喧騒が遠くなり、視界が狭くなる。

 西の空を真っ赤に染め上げる夕暮れの橙色が、なぜだかやけに目に刺さるように痛かった。


「……なんでそんなことを聞くの?」


 横を向くと、質問してきたはずのミレイア自身が、なぜか顔を真っ赤にしていた。


「ミレイア……あなた、まさか……」


「ち、違うの!レオ様はなんて言うか、"推し"っていうか!あたし、推しに対してリアコとか絶対にしないタイプだから!!」


 ……うん、バレバレである。

 必死になって早口で捲し立てる彼女の姿は、言い訳として完全に墓穴を掘っていた。


 空は、夜に染まり始めていた。


 当事者たちの感情だけが宙に浮いたまま、世界はいつも通りの速度で進んでいた。



次回から新章スタートです!


次の主役は……?

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