第39話 誰もが惹かれる未来の宰相⑬
後日。
学園の最上階にある、一室。
静かすぎる部屋だった。
高い窓から差し込む午前の光はどこまでも白く、室内の空気は冷たい。
重厚な木製の扉が開く硬い音だけが、やけに部屋の奥へと響き渡る。
「……入れ」
レオンハルトの声に促され、私はゆっくりと中へ入る。
大きな執務机の向こう側に、王太子たる彼は座っていた。
いつものように一分の隙もなく整えられた、気高く美しい姿。
けれど今日の彼は、いつも以上に表情を硬く強張らせていた。
「リリアーナ」
再び、冷徹に名前を呼ばれる。
「先日の、ユリウス・クラウゼンの件だ」
その名前を耳にした一瞬、胸の奥がキュッと締まり、息が詰まる。
また部屋の空気が物理的に重くなるような錯覚すら覚えた。
「彼の身柄の拘束は、完了している」
「……」
「暴走しかけていた魔力は、完全に封じた。……あわせて、彼の体内からは、薬物の影響も確認された」
淡々とした、事実のみの報告。
レオンハルトはまるで、溜まった書類の事務処理でもするかのように声を紡ぐ。
「クラウゼン侯爵家にはすでに厳重な通達がいった。ユリウスは学園を退学となり、王家預かりでの終身監視対象になる」
「……そう」
今の私には、それだけしか言葉を返すことができなかった。
「薬物の過剰摂取による精神の損耗は著しい。……今後の彼の社会復帰は、おそらく、絶望的だろう」
レオンハルトは私を見つめたまま、そこで少しだけ間を置いた。
「この事実をお前に伝えるべきか否かは少々迷ったが」
「……」
「何しろお前は、この事件の最たる"関係者"だからな」
その、含みを持たせた言い方が、妙にチクリと胸に引っかかる。
「……関係者、ですか」
私の言葉に対しても、王太子の冷酷な青い瞳は、微塵も視線を逸らさなかった。
「ユリウスは最後まで、お前の名前を口にしていた」
心臓の奥が、わずかに激しく揺れた。
彼に対してなんと答えれば、どんな表情を浮かべれば正解なのか分からなくて、私はただ静かに視線を床へと落とした。
「私から伝えることは、それだけだ」
静かな声。
そこには私への慰めも、明確な非難も含まれていない。
ただ、目の前に厳然たる事実だけを無慈悲に置くような、そんな冷たい声だった。
しばらくの間、二人の間に重苦しい沈黙が落ちる。
レオンハルトはふと、興味を失ったように窓の外の景色へと視線を向けた。
「あの男を、救えたかどうかは私にも分からない」
「……」
「だが、クラウゼン侯爵家の権力がこれ以上失墜し、国政が悪化する前に、最悪の事態だけは未然に止めることはできた」
(……本当に、完璧すぎる人間というのは、完璧な正義の論理でどこまでも残酷になれるのね)
彼にとって最優先されるのは、個人の救済ではなく、常に"国家の天秤"なのだ。
そのあまりにも冷徹な割り切り方に、私は小さく頷くことしかできなかった。
「……そう」
幼馴染であったユリウスに対して、彼なりに思うところはあったのだろうか。
私の喉の奥が、少しだけ苦い味に染まる。
「――それで、リリアーナ。お前は本当に、無関係なんだな?」
「え……?」
突如として投げかけられた凍てつくような問いに、私は思わず顔を上げた。
「エドガー、カイルに続き、三人目だ。お前の周囲で事件が起きたのは」
「そんな……私を疑っていらっしゃいますの?」
「ああ、大いに疑っている。お前がどんな人間か知っているからな」
私を見据える彼の目は、文字通り氷のように冷たかった。
とてもじゃないけれど、久しぶりに顔を合わせた婚約者同士の会話とは思えない。
「……私は私なりに、善い行いをしてきたつもりですわ」
私も負けじとレオンハルトの目をまっすぐに見つめ返して言った。
「まぁいい。この世界において、悪は必ず裁かれる」
「……っ」
「もしお前が何かしていたなら、いつか必ず断罪されるだろう」
……すごい決めつけるわね。
もう完全に、私のことを疑っている言い方だ。
でも、レオンハルトは昔からずっとそうだった。
私たちは幼い頃に結ばれた婚約者同士だというのに、ただの一度だって、互いの心を通わせたことなんてなかったのだから。
◇
王太子の部屋を出る。
後にした廊下は、不気味なほどに静まり返っていた。
カツン、カツンと響く、自分の歩く不揃いな足音だけが、やたら大きく聞こえた。
(これで……終わったのね)
原作ゲームの攻略対象であり、未来の宰相と謳われた男の完全なる失脚。
また一人、いなくなった。
私の胸の奥には、まだ名前のつかない感情が、重く残り続けていた。
耳の奥にこびりついて離れない、ユリウスのあの掠れた声。
私を見つめる、あの昏い瞳。
最後に見せた、一切笑っていない虚無の顔。
(……いいえ、違うわ)
私は小さく、自分を律するように首を振った。
これは決して、哀れな彼への感傷などではない。
私はただ、起きた出来事を頭の中で客観的に"整理"しているだけ。
今は、頑なにそういうことにしておくべきなのだ。
そうやって無理にでも心を冷徹に尖らせていないと――今にも、私自身の足元まで一緒に折れて崩れてしまいそうだったから。
ユリウス編、終了です。
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