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第37話 誰もが惹かれる未来の宰相⑪

 最近のユリウスは、明らかにおかしかった。

 けれど、その異変に本気で気づいているのは、おそらく私だけだ


「ねえリリィ、今日の放課後ちょっと街に行かない?」


 お昼休み、ミレイアがいつもの気軽な調子で声をかけてくる。


「買いたいものがあるんだよね。付き合って!」


「……まぁ、いいけど」


 私がそう頷いて返事をした、その瞬間。

 肌を刺すような、妙に粘着質な視線を肌に感じた。


(……また、だわ)


 さりげなく顔を上げると、少し離れた席にユリウスの姿があった。

 彼はいつものように笑っている。

 大勢の女子生徒たちに囲まれ、一人一人の機嫌を取るように柔らかく会話を交わしている。


 なのに、彼の視線だけは、会話の相手ではなく、はっきりとこちらへ向けられている。

 正確には――ミレイアと、私へ。


「ユリウスも一緒に来る?」


 ミレイアが何気なく、遠くから声をかける。

 ユリウスは一瞬だけ、動きを止めてから、ふっと優しく笑った。


「今日はやめておくよ」


 軽やかな声音。でも、その笑顔を作るタイミングは、ほんの少しだけ不自然に遅れていた。



 学園の中庭。

 ほとんど人通りのない、古い石造りのベンチにユリウスは深く背をもたれていた。

 降り注ぐ午後の日差しは穏やかで温かい。なのに、彼の周囲だけが、別の世界みたいに冷えて見える。


 その手元には、例の小さな遮光瓶。淡い青色の液体が、光を受けて静かに揺れていた。


「……」


 ユリウスはそれを一気に喉へ流し込む。

 冷たい感覚が身体の奥へ落ちていくと同時に、頭の中でうるさく鳴っていた雑音が、ゆっくりと遠ざかっていった。


 余計なことは、もう何も考えずに済む。

 周囲の声も。羨望も嫉妬も。全部が薄い膜を隔てたみたいに遠い。


(少しは、ましだ……)


 そう思った瞬間、自分がもう、この安らぎへ縋り始めていることを、ユリウスは理解してしまった。


 けれど、頭がどれほどぼんやりとしても、胸の奥のドロドロとした塊だけは、完全には消え去ってくれない。


(さっきまで……あそこに二人はいたのに)


 ミレイアとリリアーナ。

 楽しそうに二人で並んでいた。ただ、それだけのことなのに。

 思い出した瞬間、薬で押し込めたはずの感情が、胸の奥で再びじわりと滲み出してくる。


「……はは」


 乾いた、自嘲の笑いが唇から漏れる。

 その身を焼くような不快感を、力ずくで押さえ込もうとした、その瞬間だった。


 ――バキッ!!


 ユリウスのすぐ近く。石柱の上へ置かれていた鉢植えが、突然ひび割れて崩れ落ちた。


「っ……」


 ユリウスは息を呑み、自分の指先を見つめる。

 今のは、無意識に漏れ出た、自分自身の魔力だ。


(まただ……)


 最近、こういう異常が明らかに増えていた。

 感情が大きく揺れ動くと、魔力が制御を失って外へと漏れ出してしまう。

 制御はできる。でも、完全には抑えきれない。


 気づけば、指先が無意識に空の小瓶を探していた。

 そこでようやく、ユリウスは我に返る。


(……駄目だ)


 これ以上、この薬へ依存するのは危険だ。

 自分の理性が、明確にそう警告している。

 分かっている。分かっているのに。

 一度知ってしまった安らぎを、もう自分の力ではやめることができなかった。



 そして、放課後。


「リリィ!」


 校門の近くで、ミレイアが荷物を抱えて駆け寄ってきた。


「今日、結局ユリウスは、あたしたちのところに一度も来なかったね」


「そうね……」


「なんか珍しい。いつもなら何だかんだ理由をつけて、すぐに顔を出すのにさ」


 私は先日のユリウスとのやりとりを思い出していた。

 やはりミレイアに打ち明けるべきだろうか。


 「ミレイア、私ね……」


 その言葉を紡ごうとした、まさにその時だった。


 「……二人で、出かけるの?」


 心臓が跳ね上がるのを覚えながら振り返ると、そこにはいつの間にか、ユリウスが立っていた。


 その顔には、いつも通りの美しい笑顔。

 なのに、周囲の空気だけが、まるで重たい泥みたいに、どろりと沈み込んでいく。


 「え、うん!」


 ミレイアだけが、いつも通りの能天気さで普通に答える。


 「これから街へ買い物に行くとこ」

 

 「ふぅん」


 ユリウスは笑う。

 その笑顔を作るタイミングは、いつもよりほんの少しだけ、不自然に遅れていた。


「……僕も一緒に行こうかな」


 一瞬、空気が止まる。


「あれ?今日はやめとくって言ってなかった?」

 

 ミレイアが不思議そうに首を傾げる。

 ユリウスはその長い睫毛の奥にある目を、すうっと細めた。


「気が変わった」


 短い、そっけない返事。

 でも、その声には妙な重さがあった。

 まるで、“そこにいないといけない理由ができた”とでも言うみたいに。


 けれどミレイアは、相変わらずその変化に気づいていない。


「じゃあ三人で行こ!」


 ――最悪だわ。


 喉の奥が、からからに乾いていく。


(……まずい。本当にまずい)


 ユリウスの視線が、ずっと私へ向いていた。

 話しかけられているミレイアではなく。

 まるで、私がここから逃げ出さないかどうかを、じっと確認しているみたいに。


(これは……もう、“友達への嫉妬”なんかじゃない)


 背筋を冷たいものが這い上がる。


 どこかで線が、確実に越え始めていた。

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