第34話 誰もが惹かれる未来の宰相⑧
最近、ユリウスは明らかに様子がおかしかった。
講義中、どこか遠くを見るようにぼんやりしていることが増えた。
いつものように女子生徒に囲まれていても、どこか上の空。
あまり眠れていないのか、少しやつれて見える。
(……早すぎるわね)
私は少し離れた場所からその様子を盗み見て、静かに視線を伏せる。
原作ゲームでも、ユリウスの依存ルートは、こうして始まった。
心の均衡が崩れ始めると、彼は目に見えて荒れていく。女遊びも、隠れて嗜む酒の量も、急激に悪化する。
けれど、何を貪っても満たされない。
最後には――たった一人へ、異常なほど執着するようになる。
◇
「ねえねえ、リリィ!」
お昼休み。
今日も中庭のテーブルで、ミレイアはいつものように騒がしく捲し立てていた。
「最近さ、ユリウスが女子に囲まれてる時、ちょっとテンション低くない?」
「……そうかしら?」
「前はもっとこう、“はいはい、お望み通りのお姫様扱いをしてあげますよ~”感があったじゃん!」
「あなた、言い方」
「でも最近は、“早く終わんないかな”って顔をしてる時ある!」
私は思わず、ため息を吐いた。
「観察眼だけ妙に鋭いのよね……」
「えへへ、それほどでも〜!」
ミレイアは嬉しそうに胸を張る。
「ただ、本当にちょっと元気ないよねぇ」
「……そうね」
「ねえリリィ、あたしの光魔法とかで、ユリウスを元気にできないのかな?ほら、こう、モヤモヤした気持ちを楽にしてあげる、みたいなやつ!」
その言葉を聞いた瞬間、私はピシャリと言い放った。
「絶対にやめなさい」
「えっ、なんで?」
「……勘違いしないで。体力回復や睡眠導入を促したりするように、肉体側から体調を落ち着かせる補助魔法なら、魔導科でも許可されているわ。でも――心へ直接触れるのは、全くの別物よ」
「別物?」
きょとんとするミレイアの目を、私は真剣に見据える。
「感情や、他人の思考に直接手を入れる術は、この国では“精神干渉”と呼ばれていて、教会が定めた最上級の"禁忌"とされているの」
「え、でも、善意で気分を上向かせるだけでも駄目なの?」
「同じよ。一度でもその一線を許してしまえば、他人の心を“少し楽にする”ことと、“自分の都合のいいように従わせる”ことの境目が、簡単に消えてしまうもの。だから、絶対に禁じられているの。迂闊に口にしない方がいいわ」
「うわ……こわ……」
ミレイアは珍しく、少し青ざめていた。
ただミレイアの気持ちもわかる。
実際、ユリウスの荒れ方は目に見えて酷くなっていた。
最近では、夜な夜な女の子を部屋に連れ込んでは酷い扱いをしたという噂も耳にする。
「そういえば、この前さ……昼間なのに、ユリウスからほんのりお酒の臭いもしたんだよね……」
「そう……それは、心配ね」
私は小さく視線を落とした。
ユリウスは今、“誰にでも完璧に好かれる自分”を、維持できなくなり始めている。
確かにユリウスはこのままにしておくのは危険だ。
魔法はダメでも、他の方法があるかもしれない。
◇
放課後。
私は一人、普段はあまり足を踏み入れない魔導科棟へと向かった。
石造りの古い回廊には、乾燥した薬草と試薬の独特なにおいが漂っている。
その奥にある、薄暗い研究室の木製の扉を、静かに叩いた。
「クラウス、いるかしら」
「ひゃ、ひゃいっ!?」
中から、ひっくり返ったような情けない声が響く。
扉を開けて中に入ると、銀縁眼鏡をかけた背の高い少年が、ビクッと肩を大きく跳ねさせた。
「り、リリアーナ様……っ!?」
「ええ。驚かせてごめんなさいね」
「どうされましたか……?」
彼の机の上には、大量の書き殴られた紙束と、色とりどりの怪しい薬瓶。
相変わらず、足の踏み場もないほどに散らかっている。
「少し、貴方に相談したいことがあるの」
「そ、相談、ですか……?」
クラウスはおどおどしながらも、慌てて椅子を引いて私に勧めようとする。
クラウス・ベルトン。
原作ゲームでは、攻略対象たちに特殊な回復薬やアイテムを渡してくれる、いわゆる“便利なお助けキャラ”だ。
臆病で気弱だが、彼は薬学においては天才だった。
以前行き倒れになった彼を助けてから、私は彼の研究を支援している。
「実は……周囲に、精神的に酷く不安定になっている方がいてね。何か、助けになるような処方はないかしら」
私がそう切り出すと。
クラウスの怯えていた表情が、職人としてのそれに少しだけ変化した。
「あ……それなら、その……以前、僕が個人的に作った試作品があります」
眼鏡の奥の瞳が、専門分野の話になった途端に少しだけ輝きを帯びる。
彼は机の引き出しをごそごそと騒がしく漁り始めた。
「神経の伝達を、一時的に安定させる薬で……睡眠導入にも、かなりの効果があって……」
彼は次々と専門用語を並べ立てる。
「ただ、まだ試作段階なので……使用量には注意が必要です」
「副作用があるの?」
「強い鎮静系なので、人によっては少し依存性が出る可能性が……」
そこでクラウスは、ハッとしたように慌てて口を閉じた。
「す、すみません……っ!」
「別に、謝らなくていいわ。貴方の説明はいつも正確で助かるもの」
私は彼が差し出してきた、小さな遮光瓶を受け取る。
光にかざすと、淡い青色の液体が静かに揺れた。
「効果は、確かなのね?」
「は、はい……効果は僕が保証します」
「……でも、常用は危険だと」
「魔導科の研究室では基本的な内容ですけど……貴族科だと、知らない人も多いので……」
クラウスは不安そうにそう続けた。
「一度依存してしまうと、精神的にこれがないと落ち着かないという状態に陥ることがありますから……どうか、お気をつけください」
「……そう。分かったわ」
私は小瓶をしっかりと握りしめ、小さく視線を落とした。
「ありがとう、クラウス。助かったわ」
「いえ! こちらこそ、僕のような者に、高額な支援までしていただいて……!」
「当然の投資よ。あなたは間違いなく天才だもの。あなたの研究は、将来的に役に立つと、私は信じているわ」
「……っ!」
クラウスは少しだけ目を見開いた。
そして、耳まで真っ赤にしながら、嬉しそうに深く俯いた。




