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第33話 誰もが惹かれる未来の宰相⑦

「今日も三人で、お昼にしよー!」


 お昼休み。

 ミレイアがいつものように、軽い調子で手を挙げた。


「今日も中庭のベンチにする?それとも図書館のテラスにしちゃう?」


「……ごめんなさい、今日はやめておくわ」


 私が遮るように先にそう告げた瞬間。

 ミレイアはきょとんと目を丸くする。


「え?」


「少し、あなたと二人だけで話したいことがあるのよ」


「二人だけで?リリィとあたしが?」


「ええ、そう」


 その時だった。


「へぇ」


 背後から、声がした。

 ユリウスだった。


 いつもの柔らかい笑みを浮かべている。

 でも、なぜだか笑っているようには見えなかった。


「今日は僕、仲間外れにされちゃうんだね」


「……別に、そういうわけでは」


「リリィ、なに!?秘密の“転生者会議”ってやつ!?」


「声が大きい」


「あっ」


 慌ててミレイアが口を手で押さえる。

 本当にこの子は、油断するとすぐこれだ。


 ユリウスは一瞬だけ、目をすうっと細めた。


「……転生者?」


「な、なんでもないっ!」


 ミレイアはぶんぶん首を振る。


「最近読んだ小説の話!」


「ふぅん。小説、ね」


 彼は優しく笑っていた。

 でも、その瞳の奥の光だけが、妙に静かで冷たい。


「じゃあ、行きましょうミレイア」


「え、あ、うん!」


 私はそのままミレイアの腕を強く引き、その場を離れた。

 背中に、じっとりと張り付くような視線が刺さる。

 振り返らなくても、彼がどんな目でこちらを見送っているのか、痛いほどよく分かった。



「えっ、どうしたの急に?そんなに怖い顔して」


 人気の少ない、西棟の古い廊下まで来たところで、ミレイアが不思議そうに首を傾げた。


「ユリウスのことよ」


「ユリウス?」


 私は周囲に誰もいないことを確認してから、深くため息を吐き出した。


「……最近の彼、少し雰囲気が危ない気がするの」


「危ないって、何が?」


「ゲームでもあったでしょう?ユリウスの“依存ルート”」


 無欲で朴訥すぎて、家庭を顧みない父。

 社交界で浮名を流す、派手で奔放な母。


 そんな歪んだ両親の間で、彼は幼い頃からまともな愛情を受けられずに育った。

 だからこそ、彼は他人に必要とされることで、自分の価値を確かめようとする。

 そして一度執着すると、壊れるほど深く沈んでいく。


 ――そういう危うさを持った人間なのだ。


「あー!」


 ミレイアがぽんと手を叩いた。


「あの、伝説のヤンデレ化ルートのこと!?」


「声を抑えなさいって言っているでしょう」


「あっ、ごめん」


 全然反省していない顔だった。


「でも、あれって恋愛ルート限定のイベントじゃなかった?あたしたち、まだそんなフラグ立ててないよ?」


「ええ、本来はね」


 私は曇り空の窓の外へ視線を向けた。


「……でも、元々そういう素質がある人ってことよ。最近のユリウス、私たちへの執着が少しずつ強くなっている気がするの」


「えー?そうかなぁ?」


「私たちが二人だけで話している時、妙に機嫌が悪いでしょう?」


 ミレイアは相変わらず深刻そうには見えない。


「でも、あたしたち今、ただの友達じゃん」


「そういう問題ではないの」


「うーん、リリィはちょっと考えすぎじゃない?」


 軽い。

 本当に、この子はどこまでも軽い。


「むしろ、前よりずっと楽しそうじゃない?良い変化なんじゃないかなぁ」


 私は少しだけ黙り込んだ。


 この子は、本当に人を疑うということを知らない。

 だからこそ、危うい。



 一方、その頃。


「ユリウス様、もしよろしければ、この後の講義の後――」


 一人の華やかな令嬢が、ユリウスの腕へ白い指を絡めていた。

 上目遣いで甘えるような声。

 彼にとっては、ずっと繰り返されてきた、いつも通りの退屈な光景。


 でも。


(……あぁ、うるさい)


 ユリウスは笑顔を貼り付けたまま、ぼんやり考えていた。


 また、二人きりでどこかへ行ってしまった。

 また、自分の知らない話をしている。


「ユリウス様?どうかなさいました?」


「……聞いてるよ」


 嘘をつく。

 笑ってみせる。

 “お望み通りのユリウス様”を演じる。


 それが、妙に虚しい。


「今日は少し、顔色がよろしくありませんわ」


「そう?」


「ええ。もしでしたら、私の部屋で少しお休みに――」


「今日は、もう帰って」


 ぴたり、と。

 令嬢の動きが止まった。


「……え?」


「ごめんね」


 ユリウスは優しく笑う。

 その声音は柔らかいのに、どこか刃物みたいに冷たかった。


「今日は、そういう気分じゃないんだ」


 令嬢は傷ついた顔のまま、逃げるように去っていった。


「……はぁ」


 一人きりになった薄暗い廊下で、ユリウスは深く息を吐き出した。


 最近、何をしても心が満たされなかった。


 笑っても。

 褒められても。

 誰かに求められても。


 全部、薄い膜を一枚隔てたみたいに遠い。


 リリアーナとミレイア。

 あの二人と一緒にいる時だけは、不思議と楽だった。


 考えなくていい。

 演じなくていい。


 それなのに最近は、二人だけで話していることが増えた。


「……なんなんだろうね、これは」


 壁に背を預け、ユリウスはぽつりと呟く。


 焦る。

 落ち着かない。


 自分だけが知らない何かがある。

 その疎外感が、異常なほど神経を逆撫でしてくるのだ。



 翌日。


「今日は、ミレイア嬢と一緒じゃないんだね」


 廊下ですれ違いざま、ユリウスが不意に話しかけてきた。


「……別に、私と彼女は科も違いますし、四六時中一緒にいるわけではありませんわ」


「ふぅん。そうなんだ」


 軽い返事。

 でも、どこか確認するような目をしていた。


「最近、随分と彼女と仲が良いよね」


「友人ですもの」


「……僕は?」


 唐突で、真っ直ぐな問いかけだった。


 私は言葉を失う。

 ユリウスも、一瞬だけ黙り込んだ。

 本当に、瞬きをするほど短い沈黙。

 でも、その空気は呼吸が苦しくなるほど重かった。


「……そっか。そうだよね」


 ユリウスは何事もなかったように微笑む。

 いつもの、美しい外面の顔で。


 なのに私は、心臓を冷たい指で直接撫でられたような寒気を覚えた。



 その日の夜。


 ユリウスはまた、名前もろくに覚えていない令嬢の部屋で夜を明かしていた。

 余計な思考を、他人の好意と熱で麻痺させるために。


 でも、夜明けの白い光だけが、やけに冷たかった。

 隣で眠る令嬢の温もりすら、ひどく遠い。


 薄い毛布の中で、ユリウスは静かに目を閉じた。

 脳裏に浮かぶのは。


 ミレイアにだけ向ける、リリアーナの柔らかな顔。

 少し砕けた口調。

 公爵令嬢の仮面を外した、気の抜けた表情。


 あんな顔。

 あんな声。


 僕には、一度だって見せたことがない。


(……あぁ。嫌だな)


 胸の奥の暗い部分が、どろりとざわめく。


(――取られたくない)


 ミレイアに。

 他の誰にでも。


 その独占欲だけが、鮮烈な熱を持って、静かに彼の内側を支配していくのだった。

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