第33話 誰もが惹かれる未来の宰相⑦
「今日も三人で、お昼にしよー!」
お昼休み。
ミレイアがいつものように、軽い調子で手を挙げた。
「今日も中庭のベンチにする?それとも図書館のテラスにしちゃう?」
「……ごめんなさい、今日はやめておくわ」
私が遮るように先にそう告げた瞬間。
ミレイアはきょとんと目を丸くする。
「え?」
「少し、あなたと二人だけで話したいことがあるのよ」
「二人だけで?リリィとあたしが?」
「ええ、そう」
その時だった。
「へぇ」
背後から、声がした。
ユリウスだった。
いつもの柔らかい笑みを浮かべている。
でも、なぜだか笑っているようには見えなかった。
「今日は僕、仲間外れにされちゃうんだね」
「……別に、そういうわけでは」
「リリィ、なに!?秘密の“転生者会議”ってやつ!?」
「声が大きい」
「あっ」
慌ててミレイアが口を手で押さえる。
本当にこの子は、油断するとすぐこれだ。
ユリウスは一瞬だけ、目をすうっと細めた。
「……転生者?」
「な、なんでもないっ!」
ミレイアはぶんぶん首を振る。
「最近読んだ小説の話!」
「ふぅん。小説、ね」
彼は優しく笑っていた。
でも、その瞳の奥の光だけが、妙に静かで冷たい。
「じゃあ、行きましょうミレイア」
「え、あ、うん!」
私はそのままミレイアの腕を強く引き、その場を離れた。
背中に、じっとりと張り付くような視線が刺さる。
振り返らなくても、彼がどんな目でこちらを見送っているのか、痛いほどよく分かった。
◇
「えっ、どうしたの急に?そんなに怖い顔して」
人気の少ない、西棟の古い廊下まで来たところで、ミレイアが不思議そうに首を傾げた。
「ユリウスのことよ」
「ユリウス?」
私は周囲に誰もいないことを確認してから、深くため息を吐き出した。
「……最近の彼、少し雰囲気が危ない気がするの」
「危ないって、何が?」
「ゲームでもあったでしょう?ユリウスの“依存ルート”」
無欲で朴訥すぎて、家庭を顧みない父。
社交界で浮名を流す、派手で奔放な母。
そんな歪んだ両親の間で、彼は幼い頃からまともな愛情を受けられずに育った。
だからこそ、彼は他人に必要とされることで、自分の価値を確かめようとする。
そして一度執着すると、壊れるほど深く沈んでいく。
――そういう危うさを持った人間なのだ。
「あー!」
ミレイアがぽんと手を叩いた。
「あの、伝説のヤンデレ化ルートのこと!?」
「声を抑えなさいって言っているでしょう」
「あっ、ごめん」
全然反省していない顔だった。
「でも、あれって恋愛ルート限定のイベントじゃなかった?あたしたち、まだそんなフラグ立ててないよ?」
「ええ、本来はね」
私は曇り空の窓の外へ視線を向けた。
「……でも、元々そういう素質がある人ってことよ。最近のユリウス、私たちへの執着が少しずつ強くなっている気がするの」
「えー?そうかなぁ?」
「私たちが二人だけで話している時、妙に機嫌が悪いでしょう?」
ミレイアは相変わらず深刻そうには見えない。
「でも、あたしたち今、ただの友達じゃん」
「そういう問題ではないの」
「うーん、リリィはちょっと考えすぎじゃない?」
軽い。
本当に、この子はどこまでも軽い。
「むしろ、前よりずっと楽しそうじゃない?良い変化なんじゃないかなぁ」
私は少しだけ黙り込んだ。
この子は、本当に人を疑うということを知らない。
だからこそ、危うい。
◇
一方、その頃。
「ユリウス様、もしよろしければ、この後の講義の後――」
一人の華やかな令嬢が、ユリウスの腕へ白い指を絡めていた。
上目遣いで甘えるような声。
彼にとっては、ずっと繰り返されてきた、いつも通りの退屈な光景。
でも。
(……あぁ、うるさい)
ユリウスは笑顔を貼り付けたまま、ぼんやり考えていた。
また、二人きりでどこかへ行ってしまった。
また、自分の知らない話をしている。
「ユリウス様?どうかなさいました?」
「……聞いてるよ」
嘘をつく。
笑ってみせる。
“お望み通りのユリウス様”を演じる。
それが、妙に虚しい。
「今日は少し、顔色がよろしくありませんわ」
「そう?」
「ええ。もしでしたら、私の部屋で少しお休みに――」
「今日は、もう帰って」
ぴたり、と。
令嬢の動きが止まった。
「……え?」
「ごめんね」
ユリウスは優しく笑う。
その声音は柔らかいのに、どこか刃物みたいに冷たかった。
「今日は、そういう気分じゃないんだ」
令嬢は傷ついた顔のまま、逃げるように去っていった。
「……はぁ」
一人きりになった薄暗い廊下で、ユリウスは深く息を吐き出した。
最近、何をしても心が満たされなかった。
笑っても。
褒められても。
誰かに求められても。
全部、薄い膜を一枚隔てたみたいに遠い。
リリアーナとミレイア。
あの二人と一緒にいる時だけは、不思議と楽だった。
考えなくていい。
演じなくていい。
それなのに最近は、二人だけで話していることが増えた。
「……なんなんだろうね、これは」
壁に背を預け、ユリウスはぽつりと呟く。
焦る。
落ち着かない。
自分だけが知らない何かがある。
その疎外感が、異常なほど神経を逆撫でしてくるのだ。
◇
翌日。
「今日は、ミレイア嬢と一緒じゃないんだね」
廊下ですれ違いざま、ユリウスが不意に話しかけてきた。
「……別に、私と彼女は科も違いますし、四六時中一緒にいるわけではありませんわ」
「ふぅん。そうなんだ」
軽い返事。
でも、どこか確認するような目をしていた。
「最近、随分と彼女と仲が良いよね」
「友人ですもの」
「……僕は?」
唐突で、真っ直ぐな問いかけだった。
私は言葉を失う。
ユリウスも、一瞬だけ黙り込んだ。
本当に、瞬きをするほど短い沈黙。
でも、その空気は呼吸が苦しくなるほど重かった。
「……そっか。そうだよね」
ユリウスは何事もなかったように微笑む。
いつもの、美しい外面の顔で。
なのに私は、心臓を冷たい指で直接撫でられたような寒気を覚えた。
◇
その日の夜。
ユリウスはまた、名前もろくに覚えていない令嬢の部屋で夜を明かしていた。
余計な思考を、他人の好意と熱で麻痺させるために。
でも、夜明けの白い光だけが、やけに冷たかった。
隣で眠る令嬢の温もりすら、ひどく遠い。
薄い毛布の中で、ユリウスは静かに目を閉じた。
脳裏に浮かぶのは。
ミレイアにだけ向ける、リリアーナの柔らかな顔。
少し砕けた口調。
公爵令嬢の仮面を外した、気の抜けた表情。
あんな顔。
あんな声。
僕には、一度だって見せたことがない。
(……あぁ。嫌だな)
胸の奥の暗い部分が、どろりとざわめく。
(――取られたくない)
ミレイアに。
他の誰にでも。
その独占欲だけが、鮮烈な熱を持って、静かに彼の内側を支配していくのだった。




