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第32話 誰もが惹かれる未来の宰相⑥

 ユリウスは、妙にこちらを見ることが増えた。

 その視線はほんの一瞬で、すぐに逸らされる。でも、確実に向いている。


 レオンハルトと一緒にいるときも、彼だけがじっとこちらを観察しているのだ。

 ……婚約者である私のことなど、一瞥もしない王太子の真横で。


 かといって、何か用事があって話しかけてくるわけじゃない。

 でも、ふとした瞬間に、どうしても視線が合ってしまう。


(……一体、何なのよ)


 少し落ち着かない心地悪さが胸に残った。



「それでさー!」


 お昼休み。

 今日もミレイアは、中庭のテーブルで元気に前世のトークを炸裂させていた。


「この世界、SNSがないの地味に不便じゃない?写真とかアップしたいよぅ」


「……そう?私はむしろ気楽だけど」


 思わず遠い目になる。


「はうぅ~~!!せっかくの異世界キラキラライフなんだから、全世界に承認欲求を発信したーい!!」


「ミレイア、アカウントを作ったら秒で炎上しそうだわ」


「ひどい!」


 その時だった。


「……何の話?」


 頭上から、ふいに滑らかな声が落ちてきた。

 顔を上げると、いつの間にか近づいていたユリウスが、こちらをじっと見つめていた。


「あ」


 ミレイアが言葉を詰まらせて固まる。


「えっと、それは……」


「……また、僕の知らない新しい魔法の理論の話かな?」


 ユリウスは笑っていた。

 いつも通りの、人当たりの良い柔らかい笑顔。

 でも、その瞳の奥には、鋭い探りの光があった。


「まあ、そんなところかしら。女の子同士の秘密ですわ」


 私は、曖昧に微笑んで返す。


「へぇ」


 ユリウスはそれ以上、深くは追及してこなかった。

 でも。


「二人とも、そういう"僕の知らない話"の時だけ、妙に息が合うよね」


 ぽつりと落とされた彼の声音に。

 なぜか少しだけ、中庭の空気が冷たく止まった気がした。



「ねえ、リリィ!」


 その日の放課後。

 教室を出たところで、ミレイアが私の制服の袖をぐいぐいと引っ張ってきた。


「図書館行こ、図書館!」


「今日は行かない」


「えー、なんで!?」


「未提出のレポートが山積みなのよ」


「またそんな仕事人間みたいなこと言ってる……!」


「終わらないものは終わらせるしかないのよ」


「うわぁ、完全に社会人の台詞だ……」


 ミレイアはガクガクと肩を震わせる。


「リリィって、前世で絶対“残業代出ないのに頑張るタイプ”の社畜だったでしょ!」


「うっ……」


(……図星だわ)


 悲しい前世の習性がこんなところで露呈するなんて。


「楽しそうだね」


 背後から、またしても聞き慣れた声がした。

 振り返ると、やはりユリウスがそこに立っていた。


「ユリウス!」


 ミレイアがぱっと顔を輝かせる。


「聞いてよ!リリィがまた、社畜みたいなこと言うの!」


「しゃちく?」


「あっ」


 またやってしまった、という顔でミレイアがピタッと口を塞ぐ。


「……また、僕の知らない言葉?」


 ユリウスは綺麗に微笑んでいた。

 でも、その笑顔は、いつもよりずっと薄くて冷たい。


「いや、その……なんでもない!ちょっとした身内の流行り言葉的な!」


「ふぅん」


 軽い相槌。

 でも、彼の冷徹な視線だけは、隣にいる私を射抜くように見つめていた。


 最近、本当にこういうことが増えた。

 ミレイアと私が話していると、どこからともなくユリウスが会話に入ってくるのだ。

 でも、前世の文脈がある私たちの会話に、彼はどうしても深くは入れない。


 そして、その瞬間を迎えるたびに。

 彼は少し機嫌が悪くなる。


(……まずいわね)


 私は薄々、気づき始めていた。

 ユリウスは、自分だけ置いていかれる空気を嫌う。


「――てかさ!」


 ミレイアはそんなことも気にせず、ニコニコと笑う。


「前から思ってたけど、リリィって意外とツッコミ上手いよね!」


「あなたがそれ以上にふざけすぎているから、調子が狂うのよ」


 私だって、前世では決してしっかり者というわけではなかった。


「えへへ!」


 ミレイアが嬉しそうに笑った、その時だった。


「……いいなぁ」


 ユリウスが、ぽつりと小さく呟いた。


「え?」


「いや」


 彼はすぐに、いつもの笑顔を作る。


「君たち、本当に仲良いね」


「……」


「リリアーナもさ。ミレイア嬢と話す時だけ、ちょっと違うよね」


 軽い、冗談めかした声音。

 でも、なぜだろう。その言葉だけが、泥のようにずっしりと重く耳の奥に残った。


「そりゃ、あたしたち友達だもん!ね、リリィ!」


 ミレイアは悪気なく即答する。


「……まあ、そうね」


 私が同意した、その瞬間。ユリウスは一瞬だけ、完全に沈黙した。


 本当に、瞬きをするほどの短い一瞬。

 でも、その時の彼の顔は――まるで、取り残された子供のような、ひどく寂しい顔をしていた。

 完璧に作り込まれた笑顔の仮面が、ほんの少しだけひび割れた瞬間だった。



 夕暮れの放課後。

 校門へと続く帰り道。


 魔導科のミレイアは、すでに帰ってしまい、もういない。

 今、赤く染まった夕闇の廊下を並んで歩いているのは、同じ貴族科の私とユリウスの二人だけだった。


「……ねえ。もしさ」


 並んで歩くユリウスが、前を見据えたまま不意に口を開いた。


「君たちが……僕を置いて、どこか遠くへ行っちゃったら」


 彼はそこで、いつも通り綺麗に微笑んで私を振り返った。


「僕、結構……本気で困るかも」


 いつもの軽薄な、ただの冗談みたいな口調だった。


 でも、その瞳の奥にある、底知れない真っ暗な空洞を見た瞬間。

 私はなぜだか、背筋が凍りつくような、悍ましいほどの恐怖を覚えるのだった。

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