第32話 誰もが惹かれる未来の宰相⑥
ユリウスは、妙にこちらを見ることが増えた。
その視線はほんの一瞬で、すぐに逸らされる。でも、確実に向いている。
レオンハルトと一緒にいるときも、彼だけがじっとこちらを観察しているのだ。
……婚約者である私のことなど、一瞥もしない王太子の真横で。
かといって、何か用事があって話しかけてくるわけじゃない。
でも、ふとした瞬間に、どうしても視線が合ってしまう。
(……一体、何なのよ)
少し落ち着かない心地悪さが胸に残った。
◇
「それでさー!」
お昼休み。
今日もミレイアは、中庭のテーブルで元気に前世のトークを炸裂させていた。
「この世界、SNSがないの地味に不便じゃない?写真とかアップしたいよぅ」
「……そう?私はむしろ気楽だけど」
思わず遠い目になる。
「はうぅ~~!!せっかくの異世界キラキラライフなんだから、全世界に承認欲求を発信したーい!!」
「ミレイア、アカウントを作ったら秒で炎上しそうだわ」
「ひどい!」
その時だった。
「……何の話?」
頭上から、ふいに滑らかな声が落ちてきた。
顔を上げると、いつの間にか近づいていたユリウスが、こちらをじっと見つめていた。
「あ」
ミレイアが言葉を詰まらせて固まる。
「えっと、それは……」
「……また、僕の知らない新しい魔法の理論の話かな?」
ユリウスは笑っていた。
いつも通りの、人当たりの良い柔らかい笑顔。
でも、その瞳の奥には、鋭い探りの光があった。
「まあ、そんなところかしら。女の子同士の秘密ですわ」
私は、曖昧に微笑んで返す。
「へぇ」
ユリウスはそれ以上、深くは追及してこなかった。
でも。
「二人とも、そういう"僕の知らない話"の時だけ、妙に息が合うよね」
ぽつりと落とされた彼の声音に。
なぜか少しだけ、中庭の空気が冷たく止まった気がした。
◇
「ねえ、リリィ!」
その日の放課後。
教室を出たところで、ミレイアが私の制服の袖をぐいぐいと引っ張ってきた。
「図書館行こ、図書館!」
「今日は行かない」
「えー、なんで!?」
「未提出のレポートが山積みなのよ」
「またそんな仕事人間みたいなこと言ってる……!」
「終わらないものは終わらせるしかないのよ」
「うわぁ、完全に社会人の台詞だ……」
ミレイアはガクガクと肩を震わせる。
「リリィって、前世で絶対“残業代出ないのに頑張るタイプ”の社畜だったでしょ!」
「うっ……」
(……図星だわ)
悲しい前世の習性がこんなところで露呈するなんて。
「楽しそうだね」
背後から、またしても聞き慣れた声がした。
振り返ると、やはりユリウスがそこに立っていた。
「ユリウス!」
ミレイアがぱっと顔を輝かせる。
「聞いてよ!リリィがまた、社畜みたいなこと言うの!」
「しゃちく?」
「あっ」
またやってしまった、という顔でミレイアがピタッと口を塞ぐ。
「……また、僕の知らない言葉?」
ユリウスは綺麗に微笑んでいた。
でも、その笑顔は、いつもよりずっと薄くて冷たい。
「いや、その……なんでもない!ちょっとした身内の流行り言葉的な!」
「ふぅん」
軽い相槌。
でも、彼の冷徹な視線だけは、隣にいる私を射抜くように見つめていた。
最近、本当にこういうことが増えた。
ミレイアと私が話していると、どこからともなくユリウスが会話に入ってくるのだ。
でも、前世の文脈がある私たちの会話に、彼はどうしても深くは入れない。
そして、その瞬間を迎えるたびに。
彼は少し機嫌が悪くなる。
(……まずいわね)
私は薄々、気づき始めていた。
ユリウスは、自分だけ置いていかれる空気を嫌う。
「――てかさ!」
ミレイアはそんなことも気にせず、ニコニコと笑う。
「前から思ってたけど、リリィって意外とツッコミ上手いよね!」
「あなたがそれ以上にふざけすぎているから、調子が狂うのよ」
私だって、前世では決してしっかり者というわけではなかった。
「えへへ!」
ミレイアが嬉しそうに笑った、その時だった。
「……いいなぁ」
ユリウスが、ぽつりと小さく呟いた。
「え?」
「いや」
彼はすぐに、いつもの笑顔を作る。
「君たち、本当に仲良いね」
「……」
「リリアーナもさ。ミレイア嬢と話す時だけ、ちょっと違うよね」
軽い、冗談めかした声音。
でも、なぜだろう。その言葉だけが、泥のようにずっしりと重く耳の奥に残った。
「そりゃ、あたしたち友達だもん!ね、リリィ!」
ミレイアは悪気なく即答する。
「……まあ、そうね」
私が同意した、その瞬間。ユリウスは一瞬だけ、完全に沈黙した。
本当に、瞬きをするほどの短い一瞬。
でも、その時の彼の顔は――まるで、取り残された子供のような、ひどく寂しい顔をしていた。
完璧に作り込まれた笑顔の仮面が、ほんの少しだけひび割れた瞬間だった。
◇
夕暮れの放課後。
校門へと続く帰り道。
魔導科のミレイアは、すでに帰ってしまい、もういない。
今、赤く染まった夕闇の廊下を並んで歩いているのは、同じ貴族科の私とユリウスの二人だけだった。
「……ねえ。もしさ」
並んで歩くユリウスが、前を見据えたまま不意に口を開いた。
「君たちが……僕を置いて、どこか遠くへ行っちゃったら」
彼はそこで、いつも通り綺麗に微笑んで私を振り返った。
「僕、結構……本気で困るかも」
いつもの軽薄な、ただの冗談みたいな口調だった。
でも、その瞳の奥にある、底知れない真っ暗な空洞を見た瞬間。
私はなぜだか、背筋が凍りつくような、悍ましいほどの恐怖を覚えるのだった。




