第31話 誰もが惹かれる未来の宰相⑤
ユリウスは、少しだけ変わった。
――周囲から見れば、おそらく誰も気づかない程度の、些細な変化。
でも、毎日彼を見ていれば分かる。
確実に、どこか歯車がずれ始めていた。
「ユリウス、さっきの議題だけど――」
昼休み。
生徒会役員の男子生徒が、廊下で彼に話しかける。
以前のユリウスなら、相手が誰であれ完璧に耳を傾けていた。
必要なら雑談も交え、気分よく会話を終わらせる。
そういう男だった。
でも。
「それ、前にも説明したよね?」
空気が止まった。
責めるような口調ではない。
声音も穏やかなまま。
けれど、その返答には、相手への配慮が決定的に欠けていた。
「あ……ご、ごめん」
男子生徒が気まずそうに黙り込む。
「……」
一瞬だけ。
ユリウスの表情から、感情が抜け落ちていた。
以前の彼なら、こんな隙は見せなかったはずだ。
どんな相手に対しても、完璧な“ユリウス・クラウゼン”を演じ切っていたのに。
◇
「ユリウスってさー」
お昼休み。
ミレイアが焼き菓子を頬張りながらユリウスに向かって言う。
「最近ちょっと、塩対応が増えたよね」
「塩対応……?って何?」
「前はもっと全員に"アイドル営業”って感じだった!」
「営業って言葉好きね、あなた」
「だってそうじゃん!」
私は呆れて紅茶をすするが、ミレイアは全く悪びれない。
「アイドル営業……?」
ユリウスは、ミレイアの口から飛び出す未知の単語に、戸惑っているようだ。
「でも、あたしは今の方が自然で良いと思うな!」
「そう?」
「うん!なんかさ、“好きでもない子にも好きそうな顔をしてる感”が減った!」
その瞬間、中庭の空気がまた止まった。
(あぁ……また地雷を笑顔で踏み抜いたわね……)
私は思わず片手で目を覆った。
でも。
「ははっ」
ユリウスだけが、声を上げて笑った。
お腹の底から本気で可笑しそうに。
「好きでもない子、かぁ」
「え、違った?」
「いや」
ユリウスはまだ肩を震わせている。
「本当に遠慮がないね、ミレイア嬢は」
「よく言われる!」
「ミレイア、今の言葉は1ミリも褒められていないと思うわよ」
私は即座に、冷たいトーンで訂正を入れた。
私たちのやりとりを見て、またユリウスは声をあげて笑った。
◇
でも、その日の放課後。
私は偶然、彼を見てしまった。
学園の裏門近く。
古い石壁に囲まれた、夕日も当たらない人気のない薄暗い場所。
ユリウスが、一人の可憐な令嬢を壁際に静かに追い詰めていた。
「ユ、ユリウス様……」
頬を耳まで真っ赤に染めた令嬢。
ユリウスは彼女を優しく見下ろし、とろけるような笑みを浮かべている。
いつも以上に近い距離感。異質なまでの甘い雰囲気。
「今日は……君に慰めてもらおうかな」
その囁きは、ゾッとするほど空っぽに聞こえた。
◇
数分後。
令嬢は熱い吐息を漏らし、夢見心地で去っていった。
そして、一人その場に残されたユリウスは。
「……はぁ」
深く、重い息を吐き出した。
壁に片手を乱暴についたまま、しばらく動かなかった。
夕闇に紛れたその顔は、酷く疲れ果てていた。
満たされた男の顔などではない。
むしろ、その逆だった。
(最低ね……)
年頃の令嬢の好意をいいように利用する姿に、胸の奥で嫌悪が走る。
でも同時に。
(……そういう人なのよね)
納得している自分もいた。
ユリウス・クラウゼンという男は、誰かに求められていないと、不安になる人間だ。
だから空っぽになるほど、他人の好意へ縋ってしまう。
最近は、ミレイアのおかげで少し変わったのだと錯覚していた。
私たちの前で自然に笑うことも増え、以前より肩の力も抜けているように見えたから。
でも、根っこの歪んだ部分は、何一つとして変わっていなかったのだ。
むしろ、ミレイアと私という”安全地帯”ができたせいで、外面を取り繕う負担が減った分、空いた心を埋めるための“手段”だけが、より過激になっていったのかもしれない。




