第27話 誰もが惹かれる未来の宰相①
あの衝撃的な白銀祭の事件から、数週間。
大きな傷跡を残しながらも、学園は少しずつ日常を取り戻していた。
いつも通りの退屈な朝の講義。
うららかな日差しが降り注ぐ中庭で、楽しげに昼食を取る生徒たち。
魔導科の実技演習棟から、時折響いてくる小さな爆発音。
騎士科の訓練場から、遠く風に乗って聞こえる勇ましい掛け声。
カイルの件は未だに生徒たちの格好の噂話になっていたが、それでも人は、目の前の平穏な日常に、良くも悪くも慣れていく。
賑やかな廊下を歩きながら、私は小さくため息を吐き出した。
(……平和、ね)
少なくとも、今は。
目に見える事件は何一つ起きていない。
でも、こういう時ほど、胸の奥の嫌な予感は消えてくれないのだ。
「リリィ~~!」
背後から、ひどく騒がしい足音と声が近づいてくる。
わざわざ振り返るまでもない。
「朝からずいぶん元気ね、ミレイア」
「だって聞いてよリリィ!さっきの講義、レオ様がめちゃくちゃ近い席だったんだよ!? ビジュが限界突破してて、危うく浴びせられた光属性ダメージで聖女のあたしが昇天するとこだった!」
「……朝から意味が分からないわ」
「あとユリウス様!今日も今日とて麗しの女子たちをこれでもかってくらい囲んでた!」
ミレイアは楽しそうに笑う。
完全に素が出ている。
初めて出会った頃の、あの可憐で清楚だった“完璧な聖女様”のオーラは、一体どこの次元へ消え去ってしまったのか。
今では普通に、
『はうぅ~~!』
『最高すぎて尊い~~!』
『ちょっと待ってそれ死亡フラグじゃない!?』
などと、周囲を気にせず騒いでいる。
しかも困ったことに、最近では他の人の前でもこのキャラを出し始めていた。
「ミレイア様って、案外お賑やかな方なのね……」
「前より親しみやすいかも?」
生徒たちの間からは、そんな好意的な声もある。
ただ、問題はそこではない。
「……でも、リリアーナ様と急に仲良くなってから、あんな風に変わられたわよね」
そんな不穏な囁きも、陰で少しずつ増えていた。
(本当にやめてほしいわ……)
私のせいで聖女がおかしくなった、なんてまた悪い噂が立ちそうで、背筋が寒くなる。
◇
お昼休み。
いつものように、中庭の端にあるお気に入りのベンチで本を読んでいると、ミレイアが当然のような顔をして私の隣へ滑り込んできた。
「ねぇ、リリィ。あたし思うんだけど」
「何かしら」
「リリィってさ、絶対みんなに誤解されてるよね!」
(ああ、また始まったわ……)
「別に誤解でも何でもないと思うけれど。実際、私が前の記憶を取り戻す前は、性格のひん曲がった我儘放題の公爵令嬢だったわけだし」
「いやいやいや!それはノーカウント!」
ミレイアはぶんぶんと首を振る。
「だって、今は普通に優しいじゃん!」
「別に優しくないけど」
「そこ、謙遜するとこじゃないから!」
ミレイアの声が妙に大きい。
中庭で行き交う生徒たちの視線が、ちらちらとこちらに集まり始める。
本当にやめてほしい。
「だからあたし、ちゃんとみんなに真実を伝えようと思って!」
「……真実って、何をよ」
「リリィは本当は、本当は良い人なんだって!」
最悪の予感しかしない。
「本気でやめなさい」
「えっ、なんで!?」
「悪評が定着している人間に聖女が肩入れしたら、周囲の嫉妬を買って、むしろ状況が悪化するのよ」
「なんでぇ!?」
本気で分かっていない顔だ。
(そうだったわ……この子、善意100%で動いてるから、タチが悪くて厄介なのよね……)
「おや」
その時。
頭上から、鈴の音のように軽やかな声が割って入った。
「何やら楽しそうな話をしているね」
ハッとして振り返る。
そこに立っていたのは――ユリウス・クラウゼンだった。
眩しい昼下がりの日差しを受けて、鮮やかにきらめく赤みがかった髪。
人当たりの良い笑顔。
一分の隙もない洗練された立ち振る舞い。
原作ゲーム通り、“未来の宰相候補”という言葉が、そのまま人の形を取ったような男だった。
「ユリウス様!」
ミレイアがぱっと顔を輝かせる。
「ちょうど良いところに!今ね、リリィ……じゃなくて、リリアーナ様の『学園内イメージ改善計画』の話をしてたんです!」
「……改善、計画?」
ユリウスの笑みが、わずかに止まる。
「そうなんです!リリアーナ様って、普段のツンとした態度で損をしてますけど、本当はすごく優しくて、あと普通に喋るとめちゃくちゃ面白いんですよ!」
「……それはまた、ずいぶん斬新な視点だね」
「事実です!」
自信満々に即答するミレイア。
ユリウスは貼り付けたような笑顔のまま、一瞬だけ私をじっと見つめてきた。
こちらの本心を奥の奥まで見透かそうとするような、怜悧な探りの視線。
だが彼は、すぐにいつも通りの人畜無害な笑みへ戻る。
「へぇ。それは……僕の知る彼女の姿からは想像もつかないな。知らなかったよ」
「でしょ!? リリアーナ様は、めちゃくちゃみんなに誤解されてるんですよ!」
ミレイアは身振り手振りを交えて熱弁している。
(お願いだからもうやめて、ミレイア……本当に胃に穴が空きそうだわ……)
気づけば、中庭の遠巻きにいたユリウスのファンらしい女子生徒たちが、鋭い視線でこちらを睨んでいた。
「……ミレイア様、最近になって急にリリアーナ様と親しくされているわよね」
「あのおこがましい公爵令嬢、今度はミレイア様に取り入って、ユリウス様にまで近づくつもりかしら……?」
悪意混じりの囁きが、隠す気もなく耳に届いてくる。
最悪だ。
イメージ改善どころか、悪役令嬢としてのヘイトが、また別方向から積み上がっている気がする。
一方で。
「はうぅ~~、近くで見るとユリウス様マジで顔面がルーブル美術館……眼福すぎる……」
当のミレイアは通常運転だった。
あまりに真っ直ぐな熱視線に、ユリウスが少しだけ引き気味に苦笑する。
その笑顔は、相変わらず完璧だった。
なのに。
なぜだか私は、ほんの少しだけ違和感を感じた。




