第28話 誰もが惹かれる未来の宰相②
「――でね!あたし思うわけ!」
放課後の中庭。
今日も今日とて、ミレイアは当然のような顔で私の隣に張り付いていた。
「ユリウスってさ、絶対モテ疲れしてるタイプだと思うんだよね!」
「……モテ疲れ?」
私は紅茶を口に含みながら、眉をひそめる。
「そう!だって朝から晩までずーっと女子に囲まれてるじゃん?なのに嫌な顔ひとつしないで、常に百点満点の愛想の良さをキープしてるし。絶対あれ、“営業モード”だって!」
「営業モードって……」
……まあ、言いたいことは分からなくもない。
実際、ユリウスという男は、誰に対しても完璧に空気を読む。
相手が欲しい言葉を的確に選び。
求められる理想の反応を返し。
決して相手を不快にさせない。
だからこそ、彼は全校生徒から圧倒的な人気を集めているのだ。
(……そりゃ、疲れるでしょうね)
あれを四六時中、何年もやり続けるなんて。
私なら三日で胃に穴が空く。
「しかもさ!」
ミレイアが身を乗り出してきた。
「ゲームでも、“誰にも本当の心を見せていない”って描写あったじゃん!」
「あぁ……あったわね、そんな描写」
ユリウスルートの中盤。
ヒロインの前でだけ初めて弱音を吐くイベント。
あのギャップで、人気が爆発したのだ。
「だからあたし、閃いちゃったんだよね!」
(嫌な予感しかしないわ……)
「ユリウスには今、“素の自分”で話せる相手が必要なんじゃないかなって!」
「……へぇ」
「つまり!リリィが彼のすり減った心を癒やしてあげればいいんだよ!」
「なんでそうなるのよ」
即答だった。
「えぇ〜!?なんで拒否るの!?」
「いや、あなた前から思考の飛躍がすぎるのよ」
「でも、絶対相性良いと思うんだよね!」
「どこが?」
「だってリリィ、ユリウス相手でも全然媚びないじゃん!」
「それ、褒めてる?」
「褒めてる!」
元気に親指を立てて断言された。
ユリウスとは、ただ単に付き合いが長いだけだ。
彼の弱音を聞いて癒やしてあげるだなんて、想像もしたくない。
「それにさ、ユリウスっていつも周りからチヤホヤされてるから、絶対リリィみたいなタイプの方が逆に気になっちゃうって!」
「馬鹿なこと言わないで」
「えっ」
「真面目な話、万が一にもユリウスが本当に私を好きになったらどうするのよ」
「はっ」
ミレイアが固まった。
「……た、確かに。それは考えてなかったかも」
「そこを一番に考えなさいよ、このゲーム脳」
「いや、だって……ゲームだとユリウスって、最終的には絶対ヒロインを好きになるし……!」
「もうゲーム通りになんて進んでいないでしょう?」
「あっ」
本当に今初めて気づいた、という顔でミレイアが口元を押さえた。
(この子、本当に勢いとノリだけで喋ってるわね……)
「でもさ……別にユリウス様とリリィがくっついちゃっても、あたしは全然いいと思うな!」
「……は?」
「だってさ、聖銀のレガリアの仕様的にも、結局最後は誰か一人としか結ばれないわけだし」
それは暗に、『自分には本命のレオンハルトがいるから、ユリウスは譲る』と言われているのだろうか。
……だいぶ、大きなお世話だった。
◇
その日の放課後の帰り際。
誰もいなくなった夕暮れの廊下を歩いていると、背後から不意に声をかけられた。
「リリアーナ」
振り返ると、そこにユリウスが立っていた。
「……ユリウス。こんな時間まで、珍しいですわね」
「少し、君のことが気になってね」
夕日に照らされた赤みがかった髪を揺らし、彼はいつも通りの柔らかな笑みを浮かべる。
でも、その瞳の奥は相変わらず冷たく、こちらの出方を探るようだった。
「最近、ミレイア嬢と随分仲が良いみたいだね」
「ええ、まあ」
(親しいのかしら……?一方的に纏わりつかれている気もするけれど)
「君が誰かとあそこまで打ち解けるなんて、少し意外だったよ」
「そうでしょうか」
「うん。かなり」
ユリウスは肩を竦めてみせる。
「正直に言うと、最初はかなり警戒していたんだ。あの悪名高き公爵令嬢が、聖女様に一体何を仕掛けるつもりなんだろう、ってね」
「随分な言われようですわね」
「君にはそれなりの“前科”があるからね」
さらりと、抉るような嫌味を吐く。
それも、一見すればただの軽口にしか見えないような、極上の笑顔のままで。
(……本当に、こういうところが陰湿なのよね)
「でも」
ユリウスはそこで少しだけ目を細めた。
「最近の君を見ていると、少し印象が変わったかな」
「……どういう意味かしら」
「君って案外……普通の女の子なんだね」
そう言いながら、ユリウスが音もなく距離を詰めてくる。
そして、彼の細い指先がさらりと私の髪を一房すくい上げた。
「っ……」
「こんな風に大人しく僕の話を聞いてくれるなら、もっと早く知りたかったな」
あまりにも自然すぎる動作。
あまりにも近すぎる距離。
だからこそ、余計に手に負えない。
「……ずいぶんと、軽薄ですわね」
「ふふ。それって褒め言葉?」
「いいえ」
即座に言い放つと、ユリウスは気分を害するどころか、むしろ楽しそうに笑った。
その時だった。
前方の角から歩いてきた下級生の女子生徒が、小さく悲鳴を上げた。
廊下の端にある石畳の古い段差に、うっかり足を取られたらしい。
本や書類を抱えたまま、彼女は派手に転び――バサバサと紙束が廊下に散らばる。
「ご、ごめんなさい……!」
顔を真っ赤にしてしゃがみ込む彼女よりも早く。
ユリウスは何の躊躇もなく膝をつき、散らばった書類を拾い集め始めていた。
「大丈夫? 怪我はなかった?」
「あ……っ、は、はい……!」
「よかった。書類は僕も拾うから、急がなくていいよ」
どこまでも柔らかな声音。
女子生徒の顔が、一気に耳まで赤く染まっていく。
(……本当に自然なのよね)
他人への細やかな気遣いも。相手を瞬時に虜にする絶妙な距離感も。
誰かに好かれるための振る舞いが、もう呼吸みたいに染みついている。
「はい、これで全部かな」
「あ、ありがとうございます……っ!」
女子生徒は完全に見惚れてしまっていた。
ユリウスはそんな彼女へ優しく微笑み返し、そのまま立ち上がる。
――その瞬間だった。
ユリウスの表情から、ふっと感情が消えた。
本当に、一瞬だけ。
けれど、そこには喜びも、優しさもなかった。
ただ、ひどく静かで、空っぽな何かだけが残っていた。
「……ユリウス?」
「ん? どうかした?」
名前を呼ぶと、彼は何事もなかったかのように、すぐいつもの笑顔へ戻る。
「……いえ。なんでもありませんわ」
気のせい。
そう思うことにして、私は視線を逸らした。




