第22話 強くて正しい騎士見習い⑨
白銀祭は、表向きには何事もなく、穏やかに進んでいた。
広場には楽しげな笑い声が溢れ、騎士科の模擬戦には割れんばかりの歓声が飛ぶ。
魔導科の華やかな展示にも、長い列ができている。
けれど、私は無意識に、そわそわと周囲を見回していた。
原作ゲームのシナリオ通りなら、そろそろ大事件が起きる時間帯のはずなのだ。
学園の誇る大結界が内側から乱され。
無慈悲な魔族たちが一斉に侵入し。
平和だった学園中が、一瞬にして凄惨な混乱に包まれる。
胸の騒ぎが、どうしても収まらなかった。
◇
「……っ」
その頃、華やかなお祭りの喧騒から外れた、静かな校舎裏の回廊を、カイルが早足で歩いていた。
その表情は鬼気迫るほどに険しい。
張り詰めた横顔には、どす黒い焦燥が滲み出ていた。
(なぜだ……どうして何も出てこない)
結界管理室の記録に異常はない。
ロベルト・エインズの直近の行動にも、怪しい点は何一つ見つからなかった。
だが――“起きる”はずなのだ。
リリアーナの予言が、これまで外れたことは一度だってなかった。
資料室の盗難事件も。
演習場の魔物脱走も。
薬品庫の紛失騒ぎも。
すべて、事前に動いたからこそ未然に防いでこられた。
なら、今回も。この学園の危機も、俺が止めなければならない。
(もし、すでに俺の目の届かないところで準備が終わっていたら……?)
最悪な想像が頭をよぎり、背中に冷や汗が流れる。
今日の学園祭には、外部からの一般客や他国の貴族も大勢詰めかけているのだ。
一魔族の侵入を許せば、その被害は今までの小規模なトラブルとは比較にならない。大量の血が流れる。
だから、迷っている時間など、もう一秒だって無い。
俺が、やるしかないんだ。
◇
「ロベルト先生!!」
回廊に、カイルの鋭い怒声が響き渡った。
荷物を抱えて歩いていた魔導科教師、ロベルト・エインズが足を止め、怪訝そうに振り返った。
「……おや、カイル君?」
濃紺のローブを纏った教師は、どこか疲れたような顔をしていた。
穏やかな目元と、白髪が混じり始めた黒髪。魔導科の中では生徒から慕われている、温和な印象の人だ。
「どうしたんだい、そんなに血相を変えて」
「あなたに、確認したいことがあります」
カイルの一歩とともに、周囲の空気が一気にピリついた。
ロベルトは少し困ったように眉を下げ、穏やかに問い返す。
「確認、かね?」
「本日、結界制御室へ立ち入りましたか?」
「……何の話をしているんだい?」
「質問に答えてください」
あまりの剣幕に、ロベルトは小さく息を吐いた。
「……入ったよ。結界の点検をする必要があったからね」
「魔族を内側に引き入れるために、防護結界の術式を操作するつもりだったのではないですか?」
一瞬の、痛烈な沈黙。
そして。
「……は?」
ロベルトが目を瞬かせた。本気で意味が分からない、という顔だった。
「何を言っているんだ。冗談にしては悪質だよ」
「誤魔化さないでください!!」
カイルがさらに一歩、鋭く踏み込む。
「俺はすべて知っているんだ!あなたが今日、結界を操作して魔族を引き込む手引きをしていることを!」
ただならぬカイルの怒号に、回廊の近くを通りかかった一般の生徒たちが、何事かと足を止め、ざわめき始めた。
「待ちなさい、カイル君」
ロベルトの声が、教師としての厳しさを帯びて低くなる。
「落ち着くんだ。君は何か、重大な誤解をしている」
「誤解ではない!!」
カイルの声が、さらに狂気じみて強くなる。
「今日、ここで大事件が起きるんだ!大勢の被害が出る!だから俺は、未然に――」
完全に興奮状態にあるカイルを見て、ロベルトは深くため息を吐いた。
「そこまで言うなら、明確な根拠があるのかね?」
「……っ、それは、言えません。だが、絶対に確かな情報です!」
「証拠も根拠もない話で、教師を疑ったのか」
「違う……!」
「少し頭を冷やしなさい」
ロベルトはこれ以上の会話は無意味だと判断し、背を向けて歩き出そうとした。
その瞬間。
(――逃げる気か)
カイルの脳裏に、その言葉がよぎった。
今、ここでこの男を逃がせば。
もし本当に、あいつの言う通りの大惨劇が起きれば。
大勢の人が死ぬ。
自分は事前にそれを止められたはずなのに。
全てを知っていたはずなのに。
焦燥に焼き切れたカイルの目には、学園を覆う防護結界の光に、微細な歪みが見えた。
――少なくとも、カイルにはそう見えた。
(逃がせば、全てが終わる……!)
頭の中で、何かが弾けた。
「――待てッ!!」
それは、正義感に突き動かされた、完全な反射だった。
カイルの腰から、躊躇なく剣が引き抜かれた。
鋭い金属音が響く。
そして――鮮血が、白銀の飾りに飛び散った。
一瞬にして、回廊の時間が静止した。
◇
「……え」
広場近くまで届いた、ただごとではない悲鳴に、私は顔を上げた。
遠くからはまだ、楽しげな祭りの音楽が聞こえている。なのに、何かが決定的に狂ってしまったような、悍ましい予感が胸を突いた。
心臓が、耳の奥で妙にうるさく警鐘を鳴らす。
「リリアーナ様!?」
背後から追うリネットの声にも耳を貸さず、私は全力で駆け出していた。
辿り着いた校舎裏にはすでに厚い人だかりができており、誰もが息を呑み、尋常ではないざわめきが広がっている。
その、人だかりの中心で。
魔導科のロベルト・エインズ先生が、石畳に倒れていた。
肩口から、止めどなく血を流しながら。
そして、そのすぐ目の前には。
血に濡れた剣を握ったまま、真っ白な顔で固まっているカイルがいた。
「違う……俺は……俺はただ、学園を守ろうと……」
カイルの震える声が響いた、その時だった。
「お父さんっっ!!」
引き裂かれるような小さな悲鳴とともに、一人の少女が人混みを激しく押し分けて飛び込んできた。
見覚えのある、栗色の髪。
少女はボロボロと大粒の涙を流しながら、倒れたロベルトの体に必死にしがみつく。
「お父さん、お父さんっ……!」
その光景を見た瞬間。
私の背筋が、頭の先から足の先まで、氷水を浴びせられたようにぞくりと凍りついた。
「マリー……?」
脳の奥から、一気に記憶がフラッシュバックする。
原作ゲームで、温厚だったロベルト・エインズが魔族に魂を売り、結界を破壊した理由。
それは――『事故で、最愛の娘を亡くしたこと』。
悲しみに暮れた彼は、愛娘をどんな形であれ蘇らせるため、禁術に手を出した。
そのために魔族の力が必要で、彼らに協力した。
それが、ゲームで語られた本来のシナリオだった。
でも。
(……生きてる)
あの子は、生きている。
王都の街で暴走する馬車から、私がこの手で助けた女の子。
あの子こそが、ロベルト先生の娘、マリーだったのだ。
つまり。
(ロベルト先生は……闇堕ちしていない……)
娘が生きているのだから、魔族に縋る理由などどこにもない。
今日、魔族の侵入事件なんて、最初から起きるはずがなかったのだ。
事件が起きる動機そのものが、私の行動によって、とっくの昔に消滅していたのだから。
なのに。
「何があったんだ……?」
「カイル様が、教師を……?」
「どうしてそんなことを……」
周囲の生徒たちの、怯えと不信に満ちたざわめきが、津波のように広がっていく。
カイル自身も、もう顔色を完全に失っていた。
血のついた剣を持ったまま、ただガタガタと立ち尽くすことしかできない。
まるで、自分が一体何をしでかしてしまったのか、理解できていないみたいに。




