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第22話 強くて正しい騎士見習い⑨

 白銀祭は、表向きには何事もなく、穏やかに進んでいた。


 広場には楽しげな笑い声が溢れ、騎士科の模擬戦には割れんばかりの歓声が飛ぶ。

 魔導科の華やかな展示にも、長い列ができている。


 けれど、私は無意識に、そわそわと周囲を見回していた。


 原作ゲームのシナリオ通りなら、そろそろ大事件が起きる時間帯のはずなのだ。

 学園の誇る大結界が内側から乱され。

 無慈悲な魔族たちが一斉に侵入し。

 平和だった学園中が、一瞬にして凄惨な混乱に包まれる。


 胸の騒ぎが、どうしても収まらなかった。



「……っ」


 その頃、華やかなお祭りの喧騒から外れた、静かな校舎裏の回廊を、カイルが早足で歩いていた。


 その表情は鬼気迫るほどに険しい。

 張り詰めた横顔には、どす黒い焦燥が滲み出ていた。


(なぜだ……どうして何も出てこない)


 結界管理室の記録に異常はない。

 ロベルト・エインズの直近の行動にも、怪しい点は何一つ見つからなかった。


 だが――“起きる”はずなのだ。

 リリアーナの予言が、これまで外れたことは一度だってなかった。


 資料室の盗難事件も。

 演習場の魔物脱走も。

 薬品庫の紛失騒ぎも。


 すべて、事前に動いたからこそ未然に防いでこられた。

 なら、今回も。この学園の危機も、俺が止めなければならない。


(もし、すでに俺の目の届かないところで準備が終わっていたら……?)


 最悪な想像が頭をよぎり、背中に冷や汗が流れる。

 今日の学園祭には、外部からの一般客や他国の貴族も大勢詰めかけているのだ。

 一魔族の侵入を許せば、その被害は今までの小規模なトラブルとは比較にならない。大量の血が流れる。


 だから、迷っている時間など、もう一秒だって無い。

 俺が、やるしかないんだ。



「ロベルト先生!!」


 回廊に、カイルの鋭い怒声が響き渡った。


 荷物を抱えて歩いていた魔導科教師、ロベルト・エインズが足を止め、怪訝そうに振り返った。


「……おや、カイル君?」


 濃紺のローブを纏った教師は、どこか疲れたような顔をしていた。

 穏やかな目元と、白髪が混じり始めた黒髪。魔導科の中では生徒から慕われている、温和な印象の人だ。


「どうしたんだい、そんなに血相を変えて」


「あなたに、確認したいことがあります」


 カイルの一歩とともに、周囲の空気が一気にピリついた。

 ロベルトは少し困ったように眉を下げ、穏やかに問い返す。


「確認、かね?」


「本日、結界制御室へ立ち入りましたか?」


「……何の話をしているんだい?」


「質問に答えてください」


 あまりの剣幕に、ロベルトは小さく息を吐いた。


「……入ったよ。結界の点検をする必要があったからね」


「魔族を内側に引き入れるために、防護結界の術式を操作するつもりだったのではないですか?」


 一瞬の、痛烈な沈黙。

 そして。


「……は?」


 ロベルトが目を瞬かせた。本気で意味が分からない、という顔だった。


「何を言っているんだ。冗談にしては悪質だよ」


「誤魔化さないでください!!」


 カイルがさらに一歩、鋭く踏み込む。


「俺はすべて知っているんだ!あなたが今日、結界を操作して魔族を引き込む手引きをしていることを!」


 ただならぬカイルの怒号に、回廊の近くを通りかかった一般の生徒たちが、何事かと足を止め、ざわめき始めた。


「待ちなさい、カイル君」


 ロベルトの声が、教師としての厳しさを帯びて低くなる。


「落ち着くんだ。君は何か、重大な誤解をしている」


「誤解ではない!!」


 カイルの声が、さらに狂気じみて強くなる。


「今日、ここで大事件が起きるんだ!大勢の被害が出る!だから俺は、未然に――」


 完全に興奮状態にあるカイルを見て、ロベルトは深くため息を吐いた。


「そこまで言うなら、明確な根拠があるのかね?」


「……っ、それは、言えません。だが、絶対に確かな情報です!」


「証拠も根拠もない話で、教師を疑ったのか」


「違う……!」


「少し頭を冷やしなさい」


 ロベルトはこれ以上の会話は無意味だと判断し、背を向けて歩き出そうとした。


 その瞬間。


(――逃げる気か)


 カイルの脳裏に、その言葉がよぎった。


 今、ここでこの男を逃がせば。

 もし本当に、あいつの言う通りの大惨劇が起きれば。

 大勢の人が死ぬ。


 自分は事前にそれを止められたはずなのに。

 全てを知っていたはずなのに。


 焦燥に焼き切れたカイルの目には、学園を覆う防護結界の光に、微細な歪みが見えた。

 ――少なくとも、カイルにはそう見えた。


(逃がせば、全てが終わる……!)


 頭の中で、何かが弾けた。


「――待てッ!!」


 それは、正義感に突き動かされた、完全な反射だった。

 

 カイルの腰から、躊躇なく剣が引き抜かれた。

 鋭い金属音が響く。


 そして――鮮血が、白銀の飾りに飛び散った。


 一瞬にして、回廊の時間が静止した。



「……え」


 広場近くまで届いた、ただごとではない悲鳴に、私は顔を上げた。

 遠くからはまだ、楽しげな祭りの音楽が聞こえている。なのに、何かが決定的に狂ってしまったような、悍ましい予感が胸を突いた。


 心臓が、耳の奥で妙にうるさく警鐘を鳴らす。


「リリアーナ様!?」


 背後から追うリネットの声にも耳を貸さず、私は全力で駆け出していた。


 辿り着いた校舎裏にはすでに厚い人だかりができており、誰もが息を呑み、尋常ではないざわめきが広がっている。


 その、人だかりの中心で。

 魔導科のロベルト・エインズ先生が、石畳に倒れていた。

 肩口から、止めどなく血を流しながら。


 そして、そのすぐ目の前には。

 血に濡れた剣を握ったまま、真っ白な顔で固まっているカイルがいた。


「違う……俺は……俺はただ、学園を守ろうと……」


 カイルの震える声が響いた、その時だった。


「お父さんっっ!!」


 引き裂かれるような小さな悲鳴とともに、一人の少女が人混みを激しく押し分けて飛び込んできた。


 見覚えのある、栗色の髪。

 少女はボロボロと大粒の涙を流しながら、倒れたロベルトの体に必死にしがみつく。


「お父さん、お父さんっ……!」


 その光景を見た瞬間。

 私の背筋が、頭の先から足の先まで、氷水を浴びせられたようにぞくりと凍りついた。


「マリー……?」


 脳の奥から、一気に記憶がフラッシュバックする。

 原作ゲームで、温厚だったロベルト・エインズが魔族に魂を売り、結界を破壊した理由。


 それは――『事故で、最愛の娘を亡くしたこと』。

 悲しみに暮れた彼は、愛娘をどんな形であれ蘇らせるため、禁術に手を出した。

 そのために魔族の力が必要で、彼らに協力した。

 それが、ゲームで語られた本来のシナリオだった。


 でも。


(……生きてる)


 あの子は、生きている。

 王都の街で暴走する馬車から、私がこの手で助けた女の子。

 あの子こそが、ロベルト先生の娘、マリーだったのだ。


 つまり。


(ロベルト先生は……闇堕ちしていない……)


 娘が生きているのだから、魔族に縋る理由などどこにもない。

 今日、魔族の侵入事件なんて、最初から起きるはずがなかったのだ。

 事件が起きる動機そのものが、私の行動によって、とっくの昔に消滅していたのだから。


 なのに。


「何があったんだ……?」 


「カイル様が、教師を……?」


「どうしてそんなことを……」


 周囲の生徒たちの、怯えと不信に満ちたざわめきが、津波のように広がっていく。


 カイル自身も、もう顔色を完全に失っていた。

 血のついた剣を持ったまま、ただガタガタと立ち尽くすことしかできない。


 まるで、自分が一体何をしでかしてしまったのか、理解できていないみたいに。

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